第13話黒き門をくぐる 3
「なんだ!?」
初めてジークリードが焦った声になる。
なぜ自分に触れずに、リエットに触れようとしていたのかと思ったのだろう。
一方のリエットは「やっぱり」と思う。
苦しみを実感し、嘆くほど感情が動かなければ、この本の中では『受け入れた』とはみなされないのだ。
自分で実感できないのなら、誰かが手伝うしかない。でもどう『実感させれば』いいのか。
「大丈夫かリエット」
ジークリードはリエットの事を心配して表情をくもらせる。すると、不意に影がジークリードに手を伸ばした。
「うわっ」
不意のことだったせいか、ジークリードは思わず飛び退く。
その様子に、リエットは閃いた。今の状況の打開策を。
「ジークリード王子。何をしてでも、苦しくても、本当に闇の魔術がほしいですか?」
「え?」
訝しげな表情をしたジークリードだったが、リエットが真剣に見つめていることに気づいたのか、ややあって答える。
「もちろんだよ」
「なら、私が代わりに教えます」
リエットはジークリードに詳細を聞かれる前に、実行した。
「私のお母さんも、小さい頃に病気で亡くなりました。顔もはっきり思い出せなくなったけど、悲しかったことは覚えてます。だからあなたがお母さんを殺されたって聞いて、私は悲しかった」
ジークリードは、急に何を言い出すのかと困惑するような笑みを見せている。
「もしジークリード王子だったらどう思う? 弟のお母さんが、彼が五歳のうちに毒殺されたら?」
「エリオスの……母が?」
「そうよ」
「もしそんなことになれば……僕は殺した奴を許さない」
答えた瞬間、ジークリードが『普通の』怒りの表情を浮かべた。
その瞬間だった。
白い影の一つが、彼に抱きつく。
「なっ!」
ジークリードに抱きついた白い影は、小さな子供に変わる。それは泣き顔ではあっても、ジークリードを幼い子供に変えたような姿だった。
リエットが驚きながら見守る中、しがみつかれたジークリードが苦しそうに呻き、その場にうずくまる。
子供の姿をした白い影は、そんな彼の中に溶け込むように姿を消していった。
荒く息をつきながら、ジークリードが呆然としたように呟く。
「これが……受け入れるということか?」
たぶんそうなのだろう、とリエットは思った。
けれどその影の他は、相変わらず周囲をカタカタと音を立ててめぐるばかりで、接触してこない。
(そうか、一つ一つを受け入れなければだめなんだ)
リエットは唇を噛みしめた。
こんな苦しそうなのに、まだまだ同じようにジークリードは苦しまなくてはならないのだ。そうしないと、彼の望みは叶わない。
「もし……もしエリオス王子が空くらげに食べられたって聞いたら、怒るでしょう?」
「あたりまえだ」
先ほどの怒りのせいか、今度はたやすく声に嫌悪感がまじっていた。
そんなジークリードに、さらに複数の白い影がまとわりつく。ほんの十歳くらいの子供の姿をしている、白い影たちだ。
リエットは見ているのが辛かった。
影は、おそらく辛い思いをした頃のジークリードの姿をとっているのだ。
ジークリードは、こんな小さな頃に空くらげに食べられ、空隙に吸い込まれたあげく、命からがら脱出したのだ。
今、まさに魔術を習得するための試練を受けているからこそわかる。
おそらく、今の状態は『闇』を深く知るために、徹底的に『闇』を再体験させられ、心に『闇』が何なのかを刻みつけられている。
そのための暗い山道。そして偽りの死という体験。心の闇を受け入れる経験なのだ。
(ああ、そうか……。だからこの人は、闇の術を手に入れようとしたんだ)
本の概要を識っていると言ったジークリード。
エリオスや、その母である二番目の王妃のことも大切に思っている彼の言葉から推測できた。
魔術師になれる方法を体験したことのあるジークリードは、こんな痛みを、辛さを、他の人に味わわせたくなかったのだ。
「剣で斬られたら痛かったでしょう。エリオス王子の代わりに毒を飲んだら、苦しかったでしょう? 私は聞いてるだけで辛いです」
苦しくて、泣きそうになるのに涙はでない。けれど震える声で、リエットは一つ一つ数え上げるように言った。
「リエット。それ以上は自分でやる。だからやめるんだ!」
急にジークリードが制止してくる。
何が、と思ってリエットがふと見回せば、白い影がリエットにも手を伸ばしてきていた。
頭の中をよぎったのは、この一つを自分が受け入れたせいでジークが魔術を習得できなかったら、という恐れだ。
一方で、ジークリードを間接的に痛めつけている自分が、本当に辛い思いをしなくていいのかと心が叫ぶ。
だから動けずにいた。
白い影のようだった手が、すうっと人の手に変わる。
もうほとんど、今のジークリードと同じ年頃の姿になった影が、リエットの首に手を伸ばしていた。
ひやりとした感覚が伝わる。
その瞬間、暖かな温もりに包まれた。
リエットを抱きしめたジークリードの肩へと、白い手が沈み込んでいく。そして消えた瞬間、山の中からざわめきが消えた。
泣けないまま嗚咽する、リエットの声だけを残して。
「ごめん、リエット……ありがとう」
彼は苦しそうに謝りながら、リエットを抱きしめ続けた。
リエットはその腕を拒まなかった。
こんなに苦しいのに、涙がひと粒も出てこない自分の頬をジークリードの肩に押しつける。
可哀相なジークリード。
状況が彼に悲しむひまを与えなかったから、自分が可哀相だということに気付かなかった人。それを必要だからと、無理に思い出させたのはリエットだ。
どうしたら償えるだろう。
苦悩するリエットの意識は、やがて薄れていった。
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