それが最後だと言うなら、私はあなたと

佐槻奏多

第1話 序 炎の書

 瞳を灼くような炎が上がった。


 アアアアァァァアアアアァァァ


 炎の中心で、叫び続けるのは人の姿をした影だ。

 まるで屍になってなお戦おうとする黄昏の国をさまよう死者のようにも見える。

 その男が一声叫ぶと、彼の体から火柱が立ち上った。


 まるで彼の命を燃やす、墓標のように。


「新たな魔術師の誕生を讃えよ!」


 進んでくるのは、炎に鉄の鎧を赤く煌めかせた者達。隣国クレイデルの兵だ。

 迎え撃とうとしたレーヴェンスの兵たちは、剣を構える。が、敵と対するより前に、火柱から飛ぶ炎のつぶてに打たれ、炎に包まれて崩れ落ちる。


「炎妖王……」


 呟いた若い兵士は、おとぎ話を思い出す。

 国を滅ぼされたある王が、たった一人で敵を滅ぼすため、火の山に住む炎の妖霊に命を捧げたという話だ。そして王は自らを炎と変え、七日七晩かけて敵国を焼き尽くしたという。


 その様子は、今目の前にしている光景のようだったのだろうか、と兵士は思う。


 火柱が動く度、生き物の姿は炭に変わった。

 充満するのは、焼け焦げる布と生き物の匂い。

 絶叫と赤い色に染められた世界の中、若い兵士以外の者達も、皆足を震わせて一歩も動けなくなる。


「引け!」


 年若い青年の声が恐怖の空気を切り裂いた。

 声に気付いた兵士達は、急いで退きはじめる。

 けれど、恐怖にかられて周囲の者を押す者もいた。転んだ若い兵士は、続く者に背中を踏まれ、そのまま圧死するのではないかと怯えたが、


「早く立つんだ」


 腕を引き起こしてくれる若い青年がいた。

 亜麻色の髪が炎の照り返しに煌めいていた。繊細そうな顔のつくりに、先程までの戦闘でついたのだろう、頬を汚す血糊がひどく似合わない。


 彼に礼を言おう。そう思った若い兵士は、背後からの衝撃に、その場から吹き飛ばされた。


 熱い。

 痛い。


 ころげまわってようやく酷い痛みが治まっても、まだ背中がひりひりと痛んだ。それでも逃げなければと急いで立ち上がる。


 無我夢中で走った若い兵士は、仲間達の集まる林の中に飛び込んだ。

 そこでは糸のような雨が降り、少しだけ炎の熱さが遠ざかる。見上げれば、森に住む雨魚が空を泳いでいる。青い木の葉のような姿をした空飛ぶ魚達は、自らの住処を守るために、水を運んでは降らせているのだ。


 ここなら大丈夫。ほっとした兵士はようやく心の余裕をとりもどし、背後を振り返る。

 そして息を飲んだ。

 炎とクレイデルの兵の前に、先ほど引き起こしてくれた青年がいたのだ。


「は、早く逃げろ!」


 兵士の声に重なるように、誰かも叫んだ。

 助けに行こうと走り出そうとした足は、しかし途中で止まる。


 泡のように膨らんでいく炎の柱、それが男の悲鳴が何重に響くような音と主に、爆発した。

 炎が雨のように周囲にふりそそぐ。

 熱波と共に、林の木をも焼き始めた。

 若い兵士は、無我夢中で炎の雨から逃れるしかなかった。


 そうしてもう熱さを感じない場所まで来て、若い兵士はようやく青年の姿を探そうと振り返る。

 けれど目の前に広がっているのは一面の焼け野原で、無傷の敵兵と、黒こげの遺体。その背後にそびえ立つ、竜巻のような炎の柱だけで。


 あの青年の姿は見えなくなっていた。

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