第19話悩むより忘れろ
久しぶりの休み。
仕事も落ち着いて、別段持ち帰り仕事もない。
だが、こうゆう時に限って特にやりたいこともない。
彼女なし、趣味なし人間にとっては、逆にこの手の時間はつらい。
時間があると、考えてしまうから。
昔のこと、
これからのこと、
その他、色々。
まだ、仕事をしている時の方が、考え事をしない分楽なのかもしれない。
ひょっとして、だけれど。
社畜だな、
飼いならされているな、と感じる瞬間。
「どうしたの?不景気そうな顔して」
「実際景気は良くないからな、私の表情もあながち間違ってないと思うが」
「兄さんの表情と日本経済は独立しているよ。日本が破綻しようと、滅びようと、私がいる限りは、兄さんにはちゃんと笑顔になってもらわないと」
ハンディクリーナー片手の妹に諭される。
そういえば、いつも休みの日は家事をしてたっけ。
今は妹が家賃代わりとやってくれている。
働き者のメイドさんである。
「それで、どうしたの?悩み事?」
すとんと、私の横に座る。
とすんと、クリーナーを床に転がし、
自身の頭も私の膝の上に転がす。
逆膝枕。
普通、女の子がするものだろうに。
いや、兄が妹に膝枕を味わう状況はそれで問題があるか。
「いや、こう暇だとやることないなーって、なんか色々無駄なことを考えてしまうだけだ」
私は気にせず、会話を続ける。
実家の猫も、ごくまれにこうして膝の上にのってきていたか。
懐かしい、まだ元気だろうか。
「なるほど、つまり今日の課題は悩み事の消去、ということで」
転がりながら、妹は人差し指をピンと立てる。
立ち上がる気はないようで、そのまま言葉を続ける。
「人間は悩む生き物だからね。いつの時代も悩み続けてる。古代ローマの人だって最高の浴場を作るために悩んでたし、ライト兄弟だって特許戦争に悩んでたし、福沢諭吉だって自身と周囲の考え方の違いに悩んでた」
「いや、そんな壮大な悩みではないのだけど」
もっと大雑把で、
しょうもないものだ、
私如きの悩みは。
「悩みの大小は関係ないよ、右手を吹き飛ばされても仕事に行かなきゃと思う人がいるのと同時に、小指のささくれが痛くいから今日の仕事はお休みにしようと思う人がいるみたいに。結局大事なのは本人がどう思うか、だよ」
そう言いつつ、妹は「あ、ついでに頭撫でて」と謎の要求をする。
若干の抵抗はあったが、特段断る理由もなかったので、私は従った。
妹の髪に触れ、
ゆっくりと上下に撫でる。
実家の猫を撫でて以来の経験、
無論、触り心地の良さの比較は言葉にはできない。
怒られそうだから。
「そうそう、いい感じ。でね、悩み事の消去の仕方の話なんだけど、要は頭の外に出せばいい。つまりは、紙に書く、言葉にする。抽象的だから、考え込んでしまうのだよ。言語化して、正体をはっきりさせてしまえばどうということはない」
「紙に書いたら、逆に記憶に残りそうだけどな」
「そうでもないよ。兄さん、ペリーが日本に来た年、覚えてる?」
「流石にそんな昔のことは覚えてないよ」
二重の意味で。
たしかに、たくさん書いてゴリ押しで年号を覚えた記憶がある。
「じゃあ、初恋の人に書いたラブレターの内容は覚えてる」
「それはーー」
あ、覚えてない。
出したということは覚えている、
だが、何を書いたかは覚えていない。
大枠しか、
ふわっとしか覚えてない。
というか、言われるまで彼女の存在すら、忘れていた。
「おーい、撫でる手が止まってますよー」
「すまない」
妹にせかされ、撫でる作業を再開する。
うん、よろしいと満足げだ。
「つまりそういうこと。人は忘れる生き物、意識して振り返ったり、相当のトラウマじゃないと、記憶には残せない。きっかけがあれば思い出すけどさ。でも、悩み事なんて、そうそう実現するものじゃない、それに悩んで解決するものでもない。だったら、書いて忘れてしまうのがいいのだよ」
妹は続ける。
それにさ、と。
「こうやって私の頭を撫でてれば、気は紛れるでしょ?身体的接触、相手へ奉仕しているという感触、人の心の動かし方って、存外単純なんだよ」
と笑った。
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