第4話 安眠の仕方
「なにこれ」
残業終え、時刻は23時。妹が作ったワンプレートディナーを足早に平らげ、寝室に向かうと、景色がいつもと違っていた。
見覚えのない、間接照明。暖色系の光が部屋を覆っている。そして、仄かに香る花の香り。これは、なんだろう。嗅ぎ覚えのある、安心感のある香り。
「お風呂あがったの、兄さん」
呆けている私に、妹が声をかける。いつのまにかパジャマルックになっている。薄桃色をベースにしたパジャマ。袖にフリルがついているのが妹らしい。そういうふりふりが好きなところは昔と変わっていないようだ。
「寝室の様子がいつもと違うのだけど」
正直に疑問をぶつける。昨日の寝室は、こんなおされピープルな部屋ではなかったはず。
「お隣さんから、ラベンダーオイルもらったから、ついでに寝室も改造しちゃいました」
てへぺろ、と悪戯っぽく笑う妹。ラベンダーオイルをもらったことと、寝室を改造することに何の関係があるのだろうか。風が吹けば桶屋が儲かる、というようなややこしいストーリーがあるのだろうか。しかし、あの諺、字面をそのまま受け取ると、現在には合っていないよな。今風に言えば、風が吹けばAmazonが儲かる、だろうか。確実に桶が売れる確率より高そうだ。
「また、ぼーっとしてる」
くだらない思考に耽っている私を、妹が小突く。
「そんなに兄さんのために、できる妹である私は、またまたご奉仕したのであった」
妹が私の手を引き、流れるような動作で、そのままベットに押し倒す。くるり、と上下を反転させ、うつ伏せに転がされる私。
「お疲れのようだから、今日の解説フェイズは、マッサージでもされながらのんびり聞いてくださいな」
そう言って、妹は私の腰をほぐしにかかる。妹の手の力。普通の女子高生と変わらないくらいの、か弱さ。だが、的確に『つぼ』のような場所に力がかかり、気持ちが良かった。
「兄さんって、あまり睡眠の質が良い方ではないと思うのですよ。寝つくのも遅いし、眠りも浅い。その年で何回も起きるって、私は将来が不安ですよ」
妹はかたをほぐしにかかった。
「うわ、肩こり半端ない。巨乳じゃないのに、凄いね。ーーまぁ、それはおいといて。睡眠の話。睡眠って、人間の三大欲求の一つでもある大事なタスク。人生の三分の一を占めるくらい、長い時間を費やす行動。毎日6時間以上食べ続けている奴はいないだろうし、毎日6時間以上セックスしている奴はいないよね。少なくとも、私は知らない。睡眠は基本、毎日する。それも長時間。だから、睡眠の質を早めに改善することは長い人生にとってとても大事なことなのですよ」
長い人生、か。妹に言われると、胸がずきりと痛む。
「なので、民間療法含め、睡眠の質に効果がある手法をいくつか試してみました、というのがこの寝室。名付けて『眠り羊』!」
ででんと、見栄を張っている姿が目に浮かんだ。予想通り、一瞬、肩もみのリズムが狂っていた。
「この部屋は、兄さんに安眠と安心をお約束する快適空間。10以上の手法を組み込んであるけれど、とりあえず今日は三つだけその手法を説明してあげよう」
そう言うと、妹は肩もみをやめ、ゆるりと私の体に密着した。
妹の体の冷たさが、布越しに伝わる。
「ちゃんと記憶に残るように、少し刺激的な解説方法にしてあげる。お兄ちゃん冥利に尽きるよね」
てへぺろ、と続けながら妹は耳元で囁くように言う。
歳不相応な妖艶さが、声からにじむ。
「まず一つ目。さっきも言ったけど、ラベンダーオイル。ラベンダーには鎮静作用とか、つまりはリラックス作用があるの。普通の芳香剤ーートイレとかのアレね、でも良いかもしれないのだけど、やっぱ天然物のほうが効果が高いらしいよ。人工物だと、色々混ぜ物入ってるからかな」
妹は、囁く。
ゆっくりと。
優しく。
甘く。
「匂いの力って、以外に効果高いんだよ。『嗅ぐ』という行為の影響は侮れないのだよ。こうやって、寝室内に香りを満たして、吸い続ける。すると、兄さんの体は常時ラベンダーの効能を受けることができる。つまりは、ここはドラクエの宿屋の効果を得ることができたのよ」
昨夜はお楽しみでしたね、と言ってくれる主人はいないけれど、と妹は続ける。
「二つ目は間接照明。ブルーライトが眠りの妨げになるとか、よく言われているけど、まあ、それの防止とほぼ一緒だよね。暖色系の照明、それも明度を落とすことによって、視覚から入る刺激情報を低下させて、脳の興奮状態を下げる。あ、でも、こうして密着してどきどきさせると、安眠にはよくなかったかもね」
反省反省、とゆるりと身を翻し、妹は私の隣で寝転んだ。
「そして、三つ目……と言いたいところだけど、もう寝た方が良い時間だからね。続きは今度にしようか」
妹は言うと、ベットから起き上がり、キッチンへ向かった。
そして、テコテコと、ティーカップを持って戻ってくる。
「はい、これ飲んでさくって眠っちゃいな」
そう言って、暖められたティーカップを手渡される。
中身はホットミルクだった。仄かな甘さが、心を解きほぐすようだった。
「ホットミルクも寝つきをよくしてくれるからね。カモミールでも良かったのだけれど、茶葉がなかったからね」
妹も、自身のカップに口をつける。ほのぼのとした表情。
ーー
ーーーー
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「おやすみなさい」
妹は私を強引にベットへ寝かせると、自身も寝転び、布団をかけた。
妹と同じ布団で眠るのはいつ振りだろうか。
「ほら、明日も仕事あるんだから、早く眠ってくださいな」
妹に促されるまま、私は瞼を閉じた。
思考が徐々に霞んでいく。
ラベンダーの香りとともに、実家でよく使っていた、懐かしいシャンプーの香りが鼻に届いた。
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