囚人服の少年 -37-

 気がつけば、俺と国宗は廃墟と化した刑務所の残骸に腰掛けお茶を片手に語りあっていた。俺は持参した缶コーヒーを片手に、国宗は自ら創造した紅茶を淹れたカップを片手に、実に穏やかに語り合っている。


 だが、一見して胸襟を開いたような国宗だが、これは俺達を完全に信用したからではない。彼自身、自分が置かれている状況や今成すべき事を分かっている。


 俺達の来訪をキッカケに、自身の問題に真っ向から取り組んでいるに他ならない。突然の来訪者の出現で、是幸いと、話し相手にする事で思考の整理をする気だ。


 うたいは相変わらず国宗への警戒を解かずに、いざという時のために俺の傍で構えている。しかし、俺と国宗が肩を並べて話す姿を、驚きつつも冷静に捉え、受け入れようとしている。お市達に報告するためでもあるだろうが、一番は不可解な俺の行動について理解しようと努力しているようだ。なんともありがたいことで。


 最初は、国宗と衝突する覚悟で臨んでいた芽の探索だったが、こうして再び国宗と相対し、肩を並べて話をしていると、国宗の人柄がまた一段と分かってきたし、評価を改めることになった。ともかく、話の核心部分に触れる前に、俺はもう少し国宗と他愛の無い話を続ける事にした。


 信頼関係を築くのもそうだが、純粋にこの青年のことをもっと知りたいという想いが強く、素直にその欲求に従う事にしたからだ。


「国宗君は、セパタクローはいつからやってるの?」


「実は、セパタクローはやったことがありません。競技自体は子供の頃から知ってましたけど、両親に反対されてやらせてもらえなくて」


 やった事も無いのにあれだけの足業を繰り出すとは、驚きだ。


 天才、いや、おそらくは想念が具現化する

 この世界でセパタクローができる自分を、想念で作り出していたという事か。


「未経験であれだけの足業を使いこなすとは恐れ入った。あれだけできるなら、ご両親が習わせてくれてたらよかったのにな」


「はい・・・。そんな誰も知らないマイナー競技より、メジャーなサッカーをやったほうが良いと諭され、ずっとサッカーをやっていました」


「ほぅ。スポーツくらい好きなのをやらせてくれてもよさそうなもんだが」


「両親に言わせると、誰も知らないようなマイナーな競技をするより、サッカーのほうが僕のためになると思ったらしいですよ。学校のスポーツの成績や、周りに与える印象が、メジャーな競技のほうがいいとかで」


「そんなもんかね」


「僕の両親は、好きな事をするより、見栄えや有用性を重視していたようです。なんでも、そのほうが人生に安定をもたらすとかで」


「人生に安定を、ねぇ。でもさ、それでもやりたいならやれば良かったんじゃないか?」


 俺の問いかけに、国宗は少しの間沈黙し、僅かに表情を歪めながら、蚊の鳴くような小さな声で答える


「怖かったんです」


 国宗の体が強張っていくのが分かる。彼の脳裏に何が浮かんだかは分からないが、恐怖にかられ、怯えている様だった。


「一体何が怖かったんだ」


「父がです」


 国宗は俯き僅かに体を震わせている。この様子から見るに、国宗は窮屈な少年時代を送っていたであろうことが窺える。


 国宗の話は続く。


「思えば、刑務官の父はとても厳格な人で、ことあるごとに、お前は決して道を踏み外すなと、耳にタコができるぐらいに言われてきました。職場でそういう人達を見ていたせいか、病的な程に真っ当に生きていく大切さを諭されたものです。僕への躾でも、少しでも反抗的な態度を取ったり、悪戯しようものなら烈火の様に怒られていました」


「なるほどね。厳しい親の下で育ってきたわけだな。でもさ、それとセパタクローやらせてもらえなかったって、何か関係あるの?」


「父は、真っ当に生きるということに関して、世間体や人からの評価を酷く気にしていました。父にしてみると、どうせ足でボールを転がすスポーツをやるなら、セパタクローではなくサッカーのほうが良いと考えたようです」


「なんだか、変な話だな」


「僕も、正直そう思います。でも、子供にしてみると親は絶対的存在です。特に厳しく躾けられた事もあって父に萎縮してもいましたし、それに対して反論することはできませんでした。気付けば、父を恐れるあまり、何をやるにしても親に伺いを立て、許可された事しかやらなくなっていきました。終いにはやりたいことをやるどころじゃなくなっていましたね。気付けば、僕と父との関係は親子というよりかは管理する側とされる側とに分かれ、僕は父に隷属していました。父はそんな僕をどう見ていたかは分かりませんが、ことあるごとに僕の人生をまるで囚人に命令するみたいに何でも決めていきました」


 国宗は大きく溜息をつき、肩をガックリと落す。


「警察官になったのも、いじめてきた奴らへの復讐なんて嘯いて必死に勉強して警察官になりましたが、それは本心からではなかったんです。父は僕に警察官になって欲しいと願っていましたが、その願いがいつしか自分の物だと錯覚してしまいました。僕は父の夢を叶えるためだけに生きているも同然でした」


 国宗は両の手で顔を覆い、肩を震わせている。


「その事実に気がついて、愕然としました。僕は・・・僕は自分の事が分からなくなってしまいました。本当は何がしたかったのか、何を望んでいたのか。復讐を隠れ蓑にして、親に言われるがままの人生を送って・・・。どんなに周りから褒められようと、全く嬉しくなくて」


 小刻みに震えていた体が、更に大きく震える。


「最後には、僕が誰なのか分からなくなってしまいました。自分は何が好きなのか。どうしたいのか。何もかも分からなくなっていました」


 慟哭する国宗。堰を切ったように嗚咽と涙を流しながら、国宗は心情を吐露している。


「僕には何もなかった。本当の意味で僕は人生を生きてこなかった。その事実に気付いてしまった僕は、上っ面の人格を看守として作り上げ、僕の魂を監獄にいれることで、その事実から目を背けようとしたんです。ただ、逃げるために。それだけのために。馬鹿みたいに思うでしょうが、この世界に囚われていた三年間、ずっと考え続けて分かった答えです。」


 慟哭が止まぬ国宗の背をそっと撫でてやる。


 人生の悩みなんてのは、単純極まりない物事が原因であったりするものだが、その単純明快な答えを直視できずに、目を背け続ける人間は多い。というかほとんどの人間がそうだ。


 悩みの本質はその悩みの解決ではない。


 最初から答えは分かっている。だが、その答えを受け入れる勇気や覚悟の無さから、つい目を背けちまう。だから、上辺の悩みに想いを馳せる事で、己自身と対峙する事からも逃げ続ける。


 これでは、いつまでたっても悩みが解決するわけがない。


「色々、大変だったんだな」


 俺は、呟くように国宗に言葉を投げかけた。国宗の慟哭は更に増す。可哀想に、きっとこの子は偽りの自分を演じ続ける中で、こうして泣く事もできなかったのだろう。


 俺は国宗が泣き止むまで、黙って背中を撫で続けた。

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