囚人服の少年 -36-

 抵抗するうたいを、なだめ落ち着かせながらそっと謡を放す。


「九十九様、これ以上は偵察の域を超えます。応援が来るまで待機を。もしくは一旦お引き下さい」


 無表情かつ冷淡だった謡の顔が僅かに紅潮している。さすがの謡もお怒りだ。だからといって、このまま帰るのは良くないだろう。国宗の胸中を覗くのであれば、このせっかくの機会を逃す手は無い。


「責任は俺が持つ。ここは俺に任せてくれ」


「しかし、九十九様」


「頼むよ」


 語彙力なんて俺には無い。謡を説得する技量も無い。


 だが俺は、今ここが国宗の正念場だと感じている。ここで全てを吐露すれば、コイツだって何かしらの変化があるかもしれない。俺は謡に懇願した。


「我々にむざむざまといを失う余裕はありません。自重して下さい」


「やけに噛み付くな。ひな人形にそこまで命令を徹底させるとは、お市も大した人形を作るじゃないか」


「そんなんじゃありません・・・」


 今度は謡の顔が苦虫を噛み潰したような表情を僅かに見せた。それに、何か思い詰めている様子も見て取れる。


「もう、纏の皆様を失いたくないのです」


 俯く謡の顔から、その言葉はひな人形に植え付けられた命令などではなく、あくまで謡本人からのもであるらしい。これは失礼な事を言ってしまった。しかし。怪我の功名とでも言おうか、ひな人形について少し理解が進んだ事はよかった。


「心ない事を言ったな。すまない」


「いえ・・・」


 俺は自分が悪いと思ったら相手が誰であれば謝る男だ。こういうところは人間として大事だと思う。


「話の腰を折って悪かったな、国宗よ」


「いえ・・・」


 国宗は俺達の話が終わるのを待ってくれていたらしい。やっぱり、いい子だな、国宗は。


 だが、問題はそこだ。


 こいつはいい子過ぎる。大人にやたら可愛がられるタイプのいい子だ。従順で反抗せず、素直に大人の言う事を良く聞く、大人にとって御し易い子供。大抵の場合は成長に伴い、親への反抗や青春のあれやこれやの葛藤を乗り越えながら自我を形成していくのがセオリーだろうが、国宗はこの辺をすっ飛ばしているのか、もしくは経験する機会がなかったのか、精神の稚拙さを感じる。


 本人は上手く隠せているつもりなのかもしれないが、いい子の雰囲気がだだ漏れだ。そこに付け込む悪ガキにも嫌な目に遭わされた口だろう。過去、いじめを受けたと言っていたしな。


「あの技は見事だったな。何だっけ?セパ、なんとかというボールを蹴って相手のコートに入れる」


「セパタクローですよ。それが一体何ですか」


「俺はあんなカッコいい足業が好きなんだ。素人目で見ても、あの足業の巧みさは分かる。よくあんな事ができるな」


「・・・僕は、まだまだですよ」


 謡の不服そうな視線を感じつつ、俺は当たり障りの無い話題を振る。


 話を聞こうにも信頼関係が無い状態で聞き出そうとしても、土台無理な話だ。まずは信頼関係の構築が必要なわけだが、とにかく嘘偽り無く正直に会話するのが手っ取り早い。そして、俺には対悩める子羊リーサルウェポンがある。これを使えば上手い事、取り入りながら会話がはずむ事間違い無しだ。


「とりあえず、立ち話もなんだし、これでも飲みながらもっと教えてくれよ。お前が好きな事をさ」


 俺は世界の芽に入る前に自分のポケットに忍ばせていた缶コーヒーを取り出す。


「ほれ、赤いのと青いの、どっちがいい?」


 特に自分が好きな二種類の缶コーヒーを持ってきた。甘党のコーヒー好きには堪らない銘柄だ。俺は二つの缶コーヒーを差し出す。


「・・・僕、紅茶派なんですよね」


「えっ?!」


 思わず思考と体が硬直する。


 まさか、缶コーヒーが飲めない人類がいるとでも?この至高の飲料を?


 人間、突然の出来事があるとこうも狼狽するものとは・・・。飲み主を失った缶コーヒーを眺め、いたたまれなく俺は謡に缶コーヒーを差し出す。


「・・・お一つどうぞ」


「私、コーヒーは飲めません。お茶にしてください」


「あっ、ハイ、失礼しました」


 行き場を無くした缶コーヒー達。


 見る間に冷えて行く場の空気。心無しか缶コーヒーも冷えていくようだ。


 こんな時は、缶コーヒーを飲んで落ち着かなければ。俺はおもむろに赤い缶コーヒーを開け、ぐっと一口飲む。


「あぁ・・・うまい」


「何一人で飲んでるんですか」


 すかさず謡の突っ込みが小脇と心に突き刺さる。


「いや、だって、どうすんだよ、この空気!缶コーヒー飲んで落ち着くしかないじゃん」


「意味がわかりません」


 謡の冷徹な表情が、この時ばかりはさらに磨きがかかっている様に見える。しかし、そんな謡の表情を窺う余裕も無い程に俺は狼狽していた。狙った言動が完全に空振りし、滑り、場の空気を壊した事に死にたくなっている。


 そんな心のざわつきを押さえるために、もう一口、缶コーヒーを口に運ぶ。


「あぁ・・・うまい」


「だから、何一人で飲んでるんですか」


 あぁ、これがお笑いでいうところの天丼なのかなと、小脇に謡の突っ込みを感じつつ、俺はすっかり意気消沈してしまった。もう帰りたい。


「やっぱり、あなたは妙な方ですね」


 振り向くと、クスッと笑いをこぼしている国宗がいた。


「さっきまでは、あなた方をどうやって追い返そうかと考えていましたが、そんな気がなくなっちゃいましたよ」


 やつれている国宗の顔が綻ぶ様を見て、俺達は安堵する。どうにか会話のとっかかりは掴めたらしい。


「どうだ、謡。うまくいっただろ」


「少し上手くいったからって調子に乗らないで下さい」


 今度はドスッと重い突っ込みが小脇に刺さる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る