囚人服の少年 -30- 束の間の休息

 境界へ帰還した後の事はよく覚えていない。

 太刀川に襟首を掴まれ引きずられながら霽月邸せいげつていの庭に放られたのは記憶している。五人囃子ごにんばやし達の手で介抱されながら俺は霽月邸内に運ばれ、そこで意識を失った。目が覚めた時には、見慣れた天井があった。霽月邸に泊まる時によく通された部屋だ。丁寧に寝かされていたらしい。


「お目覚めになりましたね」


 声の方を見るとそこには少女が正座していた。どうやら俺の介抱をしてくれたのは、彼女のようだ。


「おはようございます、九十九つくも様。体の具合はいかがでしょうか」


 とても無機質で機械的な声。感情も生気も感じられない。整った顔立ちがそれらをさらに引き立てている。


「大丈夫だが、寝すぎて体が痛い。丸一日寝たみたいだ。ところで君は誰なのかな?霽月邸で初めて見る顔だ」


「ひな人形が五人囃子の一人、うたいと申します。以後お見知りおきを。〈まとい〉の九十九様」


 少女は慇懃いんぎんに頭を垂れる。烏帽子を被り、狩衣に似た着物を着ている。なんとも時代錯誤な格好だが、ひな人形を依代として顕現しているせいだろうか。長く艶のある銀髪がなんとも神々しい。だが、やはり人間らしさというものが感じられない。同じひな人形でも、長柄とは大分違うな。


「九十九様は探索から御帰還後、丸三日寝ておられました。お寝坊さんですね。桔梗様が心配なさっていましたよ」


 一瞬背筋が凍る心地がした。なんと、そんなに眠っていたのか。


「マジで?」


「マジです。ですが、どうか気になさらないでください。初の幽界探索で疲労困憊になっただけです。生体情報を観ても疲労は取り除かれたようですし、目立った負傷もなく、健康体そのものです。良かったですね。」


 少女は目の前に広がっている扇状の半透明のディスプレイを観ながら答える。


「三日も経ってるんじゃ、みんなはどうしてるんだ?」


 謡は、ディスプレイを見続け、何か操作しながら答える。


「松浪様と太刀川様は一旦帰宅されています。あれから逢禍時おうまがどきも発生してませんし、いたって世界は平和です」


「そうか、平和で何よりだ」


 俺は大きなあくびをしながら体を起こす。グゥと腹も大きく鳴った。流石に三日も寝ていればそうか。


「お食事も手配しています。着替えはこちらに。支度ができたら大広間までお越し下さい」


 謡は言い終わると一瞥し、ディスプレイを閉じてから部屋を後にした。なんとも、取りつく島が無いな。


 着替えを手に取る。綺麗に洗われ丁寧に畳まれた着替えからは僅かに香の香りがする。雅な対応。これも謡がしてくれたのかな。


 ともかく、着替えを済まし、大広間へ向かう。


 庭ではこれまたひな人形の仕丁じちょう達が庭の手入れをしていた。彼らは俺の姿を見て、にこやかに会釈をする。こちらも同じくにっこり笑顔を作り、会釈を返す。

 大広間にはお市と翁と媼が既に居り、俺に気付くなり手招きをする。


「お目覚めだな、惣介。探索ご苦労。三日も寝てれば腹が空いてるだろ」


「まったくだよ。早いとこ飯にありつきたい」


「さぁさぁ、おすわり、今ご飯をよそりますからね」


 相変わらず翁は大きい声だし、媼は柔らかな声をしている。三人の声を聞き、無事戻ってきたのだなという実感が得られ、俺はどこかほっとしていた。


「御苦労だったな、惣介そうすけ


 大広間の上座にはお市が煙管で煙草を吸いながら座っている。見た目は市松人形みたいなおかっぱ頭の幼女のくせに見透かした様な不敵な顔をして俺を見る。


「御苦労じゃったのう。初めての幽界はどうじゃったかのう」


「夢見心地の世界だったよ。早いとこ腹を満たして現実感を味わいたい」


 実際、幽界は現実感の無い世界だった。本来は肉体を持っている俺達現界の人間が入り込める余地なんてない世界だ。辛うじて、花姫の力や〈影〉を纏う事でどうにか入り込める世界だ。現実感が無いのは当たり前だ。


「昔の人らはよくあんな世界に何度も足を運んだな。素直に尊敬するよ」


「そりゃ、すき好んで行く様な者は少なかったさ。じゃが、幽界は魂の本来の住処。魂を持つ者は死ねば皆、幽界へ還る。それ故、魅了される者もおった。惣介は、何か感じなかったか?あの原初の世界で」


 俺は用意されたお膳の前に座りながら、思い返す。目の前の事に一生懸命でそんな余計な事を感じる暇がなかった。思い出そうとしているとお市はクスっと笑った。


「そんな渋い顔をせんでも良い。ともかく、初の探索御苦労であった。ゆっくり食事を楽しめ」


「あぁ。そうさせてもらうよ。ありがとな。それじゃ、いただきます!」


 振る舞われた食事はとても精がつき、そして旨かった。やはり、食事というものは生きている実感を得らていい。俺は無心に飯を喰らう。


 お市も翁も媼も、それに庭で手入れをしている仕丁達も、そんな俺を見てにこやかだった。なんだか大事にされているのだなぁと感じる瞬間だ。俺は満悦していた。


 だが、それも束の間、謡が猛然と大広間に向かって走ってきた。


「お食事中失礼します。〈世界の芽〉が復活しました」

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