囚人服の少年 -19- 刑務所内

 赤い。

 視界が赤で染まっている。全身の倦怠感と無気力感に包まれながら、俺は座敷の壁にもたれ足を放り出して座っている。


 ここは一体どこだ?


 辺りを見渡すと、そこには泣きじゃくる桔梗や怪我だらけの体で項垂れる翁と媼。

 どうした、さっきまで俺は幽界探索をしていたのではないか?


 体が動かない。まるで全身の力が抜けきったように体が言う事を聞かない。それに、外が騒がしい。耳を澄ますと、それは苦痛や苦悶に満ちた悲鳴や絶叫であることが分かった。


 だが、俺はそんな声を耳にしながらも、心は動じず、ただじっとその悲痛な声を聞いているだけだった。

 すると俺の顔の前に細く美しい手が差し出される。手の先を見ると、真っ赤な顔をして目に涙を湛えた美咲がそこに居た。


 細く白い小さな両手で俺の顔を優しく包みながら、ごめんね、ごめんねと呟きながら、両の手が俺の首の後ろに回る。

 首の後ろを撫でられたと思った瞬間、背骨を中心として激痛が走った。あまりの激痛に身悶えし、絶叫するが痛みはじわじわと体中の神経という神経に行き渡る。


 美咲はもはや絶叫に似た声で、ごめんなさい、ごめんなさいと涙をこぼしそれでも、なお背筋に何かを挿し込んでくる。激痛が頭蓋を貫通し、脳の中心へと到達した瞬間、俺は飛び起きた。


「わぁっ!ビックリした!」


 目の前には、女がいた。美咲ではない。あの第三段階の人型クランケの女だ。目をぱちくりさせながらも、俺の顔に伝う冷や汗を濡れタオルで甲斐甲斐しく拭いてくれている。


「お前大丈夫かよ。だいぶうなされてたぞ」


 状況が飲み込めない。さっきまで見ていたのは夢か?探索に出る前に見たあの白昼夢を夢の中でも見ていたのか。だが、さらに鮮明さが増していた気がする。


「起きたか。気分は・・・あまり宜しくないようだな」


 松浪の声。改めて周囲を見渡す。

 俺はソファで横になっていた。応接間に置いてある様なよくあるソファだ。部屋を見渡すが、窓はなく、調度品や家具を見る限りどうやら応接間らしき部屋に俺は居るようだ。奥には給湯室もちらっと見える。おまけに空調完備。やけに快適な部屋だな。


 部屋の中央には、机が置かれており、向かい合うようにソファがもう一つ置いてあり、松浪はそのソファに腰掛け、こちらを見ていた。

 その更に奥にドアがあり、その脇に太刀川は壁に寄りかかりながら立っていた。


「体の具合はどうだ?」

「多分、大丈夫だ。あの光の弾を受けた後、意識が飛んじまったが、あの後どうなったか分かるか?」

「実は、俺達三人ともやられてな。最後まで意識があったのはそこのクランケだけだ」


 松浪は、顎でくいっと女を指す。それに対し、女は不機嫌そうに、睨み私にだって名前ぐらいあるんだと怒った。


「いい加減、覚えろよ。私には“霞”って名前があるんだ。クランケなんて呼ぶんじゃねぇよ」


 クランケに名前があるとは。しかも随分可愛い名前じゃないか。


「分かったよ、霞。悪いがもう一度俺達がこの部屋に入れられるまでの事を惣介にも説明してやってくれないか」


 ハイハイと、面倒くさそうに応えているが、しっかり言う事を聞いているな。この女、仕草を見るに意外と根がいいのかもしれない。

 まだ冷や汗が完全に引いてない俺の顔や体を拭いながら、霞は事の顛末を話してくれた。


「お兄さん、光の弾にやられたとこで気を失ったんだよな。あの後、あっちのボサ頭のお兄さんと、刀のお姉さんもやられてさ、これはチャンスと逃げようかと思ったけど氷で、身動き取れないし、なんだかんだあたしもダメージ受けててさ、逃げるに逃げれなかった。どうしようか悩んでたら光の弾が飛んできたドアから制服着たのっぺらぼうみたいな顔無しの奴らが出てきたんだよ。それで、私も思わず死んだ振りしてやりすごそうとしたんだけど、結局全員建物に連れて行かれて、この部屋に放り込まれたわけさ。それからは制服の奴らも一度も入ってきてないし、なんか知らないけど、水も食料もあるから、こうしてあんたら介抱してたわけよ」

「なんで介抱したんだ?そのままとどめを刺しても良かったんじゃないか?」


 俺は疑問をぶつける。自分を捕獲した相手を介抱するなんて、お人好しにも程がある。


「そりゃお兄さん達が庇ってくれなかったら私は最初の攻撃でやられてたからだよ。何にせよ守ってもらった以上、その礼は返すのが私の流儀だ」


 あらまぁ、義理堅い子だこと。にしても、ほんとにクランケとは思えないな。こうして話していても、人間と遜色がない。おまけに、やっぱりいい匂いがする。


「そうか、それはありがとうな、霞」


 クランケとはいえ、こちらも介抱してもらったのなら礼はキッチリ言わねば。霞は俺の礼の言葉に驚いているようだったが、ニカッと笑い、気にすんなと気持ちの良い答えを返す。


「ところで、色々確認したい事があるんだが、俺達はなぜ〈影〉を纏ってないんだ?ここは幽界じゃないのか?」


 そう、さっきから気になっていたが、松浪も太刀川も〈影〉を解いている。幽界にいるはずの俺達が生身を晒しているのに、想念の具現化が起きないのはおかしい。


「この部屋は、おそらく現界化がかなり進んでいるのね。ドアはどうやっても開かなくて、外の様子は分からないけど、私達が〈影〉を解いている、というよりかは、纏えないのはそれが原因だと思うわ。ちなみに、〈折り紙〉での通信も試してみてるけど、不通のまま回復の兆しも無し。それにしても気になるのはその霞って子がここにこうして存在している事よ。第三段階であってもクランケはクランケ。幽界の存在が、現界に近しい環境で良く生存できてるわね。」

「それは、私らが進化の中で手に入れた能力の一つみたいなもんだな。私らくらいになると、肉体も持てるし、その気になれば現界でも活動できると思うぞ。まぁ、行けたらだけどな。」


 霞はおどけたように笑う。


「あと、第三段階って呼び方もセンスねぇからやめろ。あたしらは、エフィラだ。ちなみに第一段階はプラヌラで第二段階はストロビラってんだ。お前ら〈纏〉の常識じゃないか、これくらい」

「初耳だぞ。松浪も太刀川も知ってたのか?」


 二人は目を見合わせ肩を竦めている。二人もこのクランケの名称は知らないらしいのだが、霞は何か合点がいったようだ。何度も頷き、考えている。


「そうか・・・、そうか。まぁ、桔梗の人間じゃ仕方ないか。あんたらしばらく鎖国状態だったもんな。余所の世界の奴らは結構活発にうごいてるぞ」


 余所の世界。そういえば、他の花姫が治める異世界があるっていってたな。つまり、異世界にも〈纏〉がいて俺達と同じように幽界探索をしてるわけか。


「霞さんや、お前も〈世界の芽〉に来たのは、その余所の世界が何か関係してるのかい?」


 更に突っ込んで質問してみる。思わぬ所で情報収集が出来ている。おまけに、霽月邸の第三段階のクランケ、もとい、エフィラの宇上さんからは聞いた事の無い話も聞けそうだ。


「単に、私は桔梗由来のクランケだから、あのできたてほやほやの桔梗の〈世界の芽〉に興味があったし、余所者が入って欲しくなかっただけだよ。要は新しい縄張りの見回りだな。余所者見つけ次第蹴散らしてやろうと思ってね」


 なるほど、それであんだけのクランケを従えてたわけか。


「非常に有益な情報だが、とはいえ、余所の世界について考える前に、まずは目の前の状況をなんとかしなけりゃな。」


 松浪の御意見、ごもっとも。まずは、目の前の事が最優先だ。だが、今しばらく休ませてもらおう。思った以上に体が堪えている。

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