囚人服の少年 -12-

 ひな人形達はそれぞれの持ち場に向かう。

 鳥居の入口両翼に仕丁達6名が展開し、その後方に右大臣と左大臣が同じく左翼と右翼に控えている。これは、万が一幽界からクランケが侵入しても水際で防ぐ為らしく、仕丁が前衛を、右大臣と左大臣が後衛を務めている格好らしい。

 その右大臣と左大臣の後ろに、俺達は待機。その後方にオペレーターとして三人官女と五人囃子達がそれぞれディスプレイに着き、男雛と女雛は翁、媼と共に霽月邸の軒先で探索の指示を出し、かつ、探索を見守るお市の傍に控えている。

 いよいよといった具合か。このほどよく緊張した空気感は嫌いではない。皆久々の探索とあって士気も高い。

 それは松浪も太刀川も同じようだ。感慨深い物もあるようだし、当然といえば当然か。

 そして、俺といえば、特段感傷も無くただ眼前にあるお務めをいかに果たすかということに集中している。もうそれ以外にやるべきことはないしな。

「これより、幽界探索を開始する。松浪、太刀川、九十九、影を纏え!」

 お市から号令が飛ぶ。

 銘々、呼吸を整え、影を纏う準備をする。この〈影を纏う〉ことこそ、俺達がクランケと戦うための武器であり盾だ。

 最初は俺も面食らった。普通に怪物と戦うこと考えれば、銃器でも鈍器でも何でも武器を装備するものかと思いきや、蓋を開ければとんでもない方法で武装していたわけだからな。

 そもそも現界と幽界は世界の在り方からして全く違う。現界は物理法則が支配する世界だが、幽界は想念が支配する世界だ。世界を渡るということは、渡った先の世界の法則に身を晒す事になる。これがどういうことかといえば、生身でいきなり宇宙や深海に放り出されるのをイメージすると分かり易い。

 そこで、深海に潜る時は潜水服を。宇宙遊泳するのなら、宇宙服を着る様に、幽界に行く時にも体を保護する〈服〉が必要だ。

 その異なる世界で自分の命を守る活動兼、戦闘服としての役割を担うのが、俺達が『影』と呼ぶ鎧だ。だが、実際に物としての鎧を着込むのではなく、天恵を介し鎧を形成し、装備するということだ。正直、初めてこの話を聞いたときは、なんのこっちゃ分からなかった。

 ここで重要なのが、俺達は想念が支配する世界に赴くという所だ。

 想念の世界は、思った事、願った事が瞬時に形を成す世界だ。語弊を恐れなければ、なんでもありの夢の世界だ。

 人間は一日に6万回思考するらしいが、このほとんどは人間の無意識の領域が思考しているものだ。この無意識は潜在意識とも呼ばれ、幽界の法則たる想念はこの潜在意識の思考さえ具現化してしまうのだ。

 すると何が起こるか。

 瞬間、瞬間の雑念が具現化されるということだ。

 これは思い浮かべたあれやこれや空想の産物が善悪、倫理、道徳、公序良俗といった分別も無く、のべつまくなしに物質として、あるいは現象として実現されてしまうのである。

 余程人間ができた人物でなければ、いい事も考えれば悪い事も考える。だから、人間が生身で幽界に行くことはできないのだ。

 だが、〈影〉はそんな想念の世界の法則を逆手に取る。

 あらゆる想念を実現させてしまうのであれば、想念の世界で活動できる己の姿を実現させてしまえばいい。強く、逞しく、そして忌まわしく、醜い姿。人の心は表裏一体、光があれば闇もある、そうした己を受け入れ精神が調和した在り方を具現化させたものが〈影〉だ。

 影を全身くまなく纏ったその姿は、自分の心の奥底に潜む願望や理想、あるいは無意識に嫌悪する自分の姿を取るので、戦隊ヒーロー宜しくカッコ良く変身、とはいかない。現に、俺達三人の影を纏った姿も散々なものだ。だが、これは己の心の影の部分と向き合い、受け入れたからこそだ。

 古来より〈影〉を纏える人間は稀少であった。精神的に優れていれば幽界での活動のみならず、境界との親和性も高い。故に花姫は『纏』と呼び、花姫の有用な従者として特に大切に扱われてきたそうだ。

 そして現在、桔梗の世界が擁する『纏』は、俺と松浪と太刀川の三人だ。

人手不足も甚だしい。が、これも事件で多くの纏を失ったからだ。

 とまぁ、これがお茶会で教えられた『纏』についての知識だ。

 影や纏について思いを馳せていたら、すでに松浪と太刀川は影を纏う準備に入っていた。

 二人とも意識を集中させている。

 頭の頂点、うなじ、背骨、尾てい骨の当たりから真っ黒な霧とも水ともつかない物が全身を分厚く包み込み、そこから灰が風で飛ばされるように身に纏わり付いた影がぼろぼろと剥がれ落ちていき、鎧と成った影を纏った二人が少しずつ姿を現す。

 太刀川の纏の姿は、一言で表すと武士だ。キッチリ兜から脛当てまで全身フル装備の甲冑を身に纏った戦国武士の姿だ。

 武士の甲冑といえば、己の存在を誇示する為に派手な装飾をしている気がしたが、太刀川の纏の姿からはそうした主張は汲み取れない。むしろ総じて地味で、戦いでの動き易さを追求したと思われるシンプルな甲冑を付けている姿だ。兜も鍋でも引っくり返して被っているのかと思うほど地味だし、色使いも赤茶色で、まるで返り血を浴びてそのまま錆びた様な色をしている。

 加えて、顔も憤怒の表情をした髭面の面具を付けていて、目元も真っ赤なレンズで覆われ表情は窺い知れない。

 そんな女性らしさが微塵も感じられない姿だが、辛うじて胴の鎧がくびれていて胸元も少し膨らんでいることからどうやら女であろうと見当がつく。

 一方、松浪の纏の姿は、スーツに中折れハットを被った紳士の姿だ。松浪は背も高くスタイルも良い。ただただお洒落な格好で、特異な出で立ちではないし、むしろ後ろ姿は惚れ惚れする。

 だが、正面に回って見てみれば、フルフェイスのガスマスクを装着した怪しい顔がそこにはある。おまけにこのガスマスク、血で染めた様な真っ赤なレンズが不気味でたまらない。これではB級映画に出てくる殺人者みたいだ。

 なぜ二人の〈影〉がこうした姿をしているかは、直接本人に聞いた事がないから謎のままだが、興味深くはある。お市達にそれとなく聞いた事もあるが、それ相応の経験を経てあの姿をとるに至ったとのことだ。

 そして、それは〈纏〉になる人間の条件でもあるらしい。それは己の人生に破滅をもたらす程の凄惨な体験をすることで揺らぎ、崩壊した自我が再統合されていく過程で〈纏〉の力を発現する可能性を獲得するらしい。必然的に〈纏〉になる人間は限られるということだ。

 もちろん俺にもそうした経験がある。

 更に物思いに耽りかけていると松浪達から、はよせぇと言いたげな目でこちらを見ているのに気づいたので、物思いに耽るのはまたにしよう。

 俺も〈影〉を纏う準備に入る。

 呼吸を整え、心を落ちつかせイメージする。

 背筋から黒い何かに包まれる感触は特になく、臭いや熱さといったものも感じられない。単に日陰に入り影に包まれるぐらいにしか感じない。傍から見るとおぞましい姿だが、体感してみるとそんな嫌な感じがしないのがいつも不思議だ。

 俺を包む〈影〉は全身を多い、〈纏〉の姿を表す。

 俺の〈纏〉の姿はスノーボーダーの姿だ。

 スノーボーダーと言っても、山岳装備を身に付けているのが特徴だ。

 顔はヘルメットと真っ黒のゴーグルとフェイスマスクで顔は見えない。ジャケットとパンツも山用品らしからぬ地味な色合いでお洒落とはほど遠い。どちらかというと山岳で活動する特殊部隊の軍人といったほうがしっくりする。

「それにしても、見た目がとっ散らかった三人組だな。これじゃなんのチームか分かりゃしねぇ」

「まったくだな。だが、個性がハッキリ出ていて、いいんじゃないか?」

「でも、普通に考えて怪しいだけだぞ、俺らの格好」

「おめかしできたとて、見せる相手なんて幽界にはいやしねぇさ。気にするだけ無駄だ」

「松の言う通りだ。九十九、見てくれより探索に集中しろ」

「ハイハイ、三人とも、そこまで。もう探索始まるわよ。」

 窘める媼の声。だが、その声色は暖かい。やはり探索を再開できたことが嬉しいのだろう。邸内に目をやると、お市も暖かい視線をこちらに向けている。

「松、雫。お前達二人は幽界探索の経験が浅いとはいえ、惣介にとっては先輩だ。面倒を見てやってくれ」

「了解。」

 二人ともお市の言葉に簡潔に返答する。

 なんだかんだこの二人は先輩なわけだし、

「宜しく頼む!」

 俺は拳を松浪に向ける。松浪はそれに答え、拳を突き合わせてくれた。

「宜しくな、太刀川!」

 同じく太刀川にも拳を向ける。

「あぁ・・・」

 太刀川も拳を握り、突き合わせようとした瞬間、ピタッと体が止まる。一瞬の間があり、そっぽを向かれてしまった。

 俺の拳の行き場はどうなる、こんちくしょう。

 偶然、その光景を五人囃子達は目の当たりにし、見てはいけない物を見てしまったとばかりに固まっている。

 三人官女に至っては、口元を手で隠し笑いをこらえているではないか。なんと恥ずかしいことか。

 居たたまれなくなった俺は、恥ずかしさを拳に込め天へと向ける。

「行ってきます!」

 境界に響く俺の声。邸内に広がる失笑。

 俺達の探索はこれからだ!

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