囚人服の少年 -10-

 防虫剤の臭いと言えば、思い出すのは多くの場合タンスである。

 しかし、俺の場合はタンスの他にもう一つある。それは、ひな人形を収めた桐箱だ。

 女系の一族の家に産まれた俺は、子供の頃は端午の節句よりもひな祭りといった女の子の年中行事に半ば強制連行されることが多かった。

 親戚を見渡しても男の子は片手もおらず、その何倍も女の子が多かったので、必然的に祝われる規模も女の子の行事のほうが大きかったのである。

 我が家でもそれなりに立派なひな人形が飾られていたのだが、年に一度しか飾られない故、一年中防虫剤に包まれたひな人形には、当然防虫剤の臭いが染み付いている。

 存外ひな人形自体は綺麗だが、いかんせん臭いが強いので防虫剤、即ち雛人形の公式が俺の頭の中に刻み込まれてしまっているのだ。

 霽月邸に漂い始めた匂いはまさにそれであった。

 そしてそれはだんだんと俺達に近づきつつあり、気配と共に足音も聞こえてきた。

 いち早く反応したのは、太刀川だった。

 気配で察し、臭いで何かを確信した様子。ハッとした表情から顔がほころび目をキラキラさせ思わず声を上げた。

「長柄ちゃん!」

「雫!」

 霽月邸の邸内から太刀川に駆け寄る女の姿。

 それはそれは女の子らしい再会の光景だった。お互い手を握り合いなぜ?どうして?とお互いの近況を話しだす。その間、飛び跳ねてこれでもかというほどに再会の嬉しさを表現しているではないか。なんとも微笑ましい光景であるが、俺からすると普段の冷徹と暴言の権化の様な太刀川が、こうも女の子っぽい姿に仰天し、面食らってしまった。

 太刀川に駆け寄った、長柄という女。この女から防虫剤の臭いがする。しかもだいぶ染み付いた臭いだ。だが、奥にもまだ気配があり、臭いが漂ってきている。

 案の定、ゾロゾロと数人の人影が邸内から姿を現した。

「お久しぶりですね、皆さん」

 そう爽やかに話しかけながらイケてるサラリーマン風の男が松浪に近づいていく。その傍らには、大和撫子を思わせる眉目麗しい女性の姿。更にその後ろに二人の付き人と思しき数人の男女と子供達の姿があった。

 松浪も一瞬驚いた様子だったが、何者であるかをハッキリと視認してからは、嬉しそうにサラリーマン風の男と握手をし、再会を喜んだ。

「久しぶりだな、男雛、それに女雛。加えて仕丁のお三方に、五人囃子達も」

「あぁ、久しぶりだ。また会えて嬉しいよ、松浪君」

 イケリーマンは話し方も立ち居振る舞いもイケている。おまけに、そこはかとなく細かな所作も雅で気品を感じる程上品な人物でもあるようだ。傍らの女性も同様で、まさに、やんごとなき方々といった雰囲気を醸している。彼らも例外無く防虫剤の臭いがキツいが。

「お久しぶりです、松浪さん。十五年ぶりでございますね。こうして顔を合わせるのは。幽界探索のサポートとして任に就いていた私達は、事件後お役御免と相なり、今まで桐箱の中で眠っておりました。ところがどうでしょう、世界の芽が出現したことで、お市様に召還され、こうしてまたお役目に就くことができました。」

 イケリーマンの傍らにいる大和撫子は慇懃に松浪と言葉を交わす。

 会話の内容から昔の仕事仲間であることは分かった。しかし、どうにもこの空気に馴染めない。そこかしこで昔話に花が咲き乱れるこの状況。まるで同窓会ではないか。

 出来上がったコミュニティに新たに入り込むのは、俺の様な割と人見知りな性格の人間にとってハードルが高い。変に会話に割り込んでせっかく咲いた話の花を枯らせやしないか、そもそも、なんだこいつ的な視線を向けられ居たたまれない空気を作ってしまうのではないかと、数えれば数限りない不安がそれこそ走馬灯のように頭の中を駆け巡るのだ。

 気にし過ぎと言われようが、そういう性格なのだから仕方ないのだろうが、なんともいたたまれない気分だ。

 しかし、気になる単語も耳にした。

 桐箱の中で眠っていたとな?まさか、吸血鬼でもあるまいに、棺ならぬ桐箱に防虫剤にまみれて眠っていたと、そう言う事か。

 そんな馬鹿な。いかに霽月邸の面々が人間離れしてるからってそれはないだろう。

 ・・・ないよな、そうだよな。

 霽月邸の面々を見渡し、思考する。

 そこでふと気づく、霽月邸では根っからの人間のほうが少ない事を。そして、松浪が言った彼らの名前。その中に五人囃子と言っていた。五人囃子と言えばひな祭りの歌で聞いた事があるが。

 ・・・まさか!

「なぁ。松浪。感動の再会のとこ悪いけど、この方達はどちら様で」

「あぁ、すまん。話に夢中になって紹介するのを忘れていた。彼らは、昔幽界探索で世話になった雛人形達だ。天恵の力で顕現しているから、一目では人形だとは分からないがな」

「なんと。天恵はそんなこともできるのか」

「そうだ。もっとも、お市が桔梗の世界開闢以来の優れた人物達の技術や知識を天恵に込め顕現させた雛人形だから、優秀も優秀だ。作戦指揮から探索、戦闘の補佐と仕事の幅が広く、ずいぶん助けられた」

 なんと、八面六臂の大活躍ではないか。というか、天恵はそんな事にも使えるというのも驚きだ。だが、そういうことであれば、彼らの臭いが防虫剤であるのも得心がいく。お役御免になり桐箱で保管されていたというのなら、防虫剤臭いのは致し方ない。十五年物なら臭いも染み付くわけだ。

「はじめまして、九十九さん。雛人形を取り仕切っている男雛と申します。あなたのお話は先日お市様方からお伺いしました。まだこのお役目に就かれて半年というのに、めざましい戦果を上げているとのこと。そのような御仁とお役目を共にする事ができ、我ら雛人形一同、光栄に感じております。」

 なんと礼儀正しい。流石は貴族をモチーフに作られた伝統人形。品が違う。

 俺への思いがけない好評価には、嬉しいやら恥ずかしいやら。そんなに戦果を上げていただろうか。

「こちらこそ、よろしくお願いします。そんなに褒めてもらえるなんて、素直に嬉しいです。ですが、そこまで戦果を上げた記憶がないもので。半年間は松浪と太刀川についてクランケ討伐をしていただけですので。」

 謙遜ではない。素直にそう思うのだ。俺はただ単に二人についていくだけで必死だった。無論、日々の訓練はしっかりこなし、精進しているつもりではあるが、二人の強さは尋常ではない。実戦に於いても二人は常に経験の浅い俺を気遣いながら、かつ、余力を残しながらお役目を全うしている。

 その手慣れた動きは素人の俺から見てもとんでもない実力の持ち主であるという事を痛感させる程だ。伊達に桔梗の世界を守ってきたわけではないという事だ。それをも十五年間、二人だけで。

 女雛に続き、挨拶してくれた女性がもう一人。三人官女の一人、三方と名乗る女性も続いて話しかけてくる。

「ご謙遜を。クランケ討伐は本来ベテランの『纏』の仕事。にもかかわらず実戦経験も無ければ十分な訓練を受けていない筈のあなたが、クランケ討伐のお役目を全うしているなど、前代未聞です。お市様はあなたのことを高く評価していましたよ」

 正直素直に嬉しい。こんなにハッキリと褒めてもらえると鼻の穴が膨らむというやつだ。ついつい、いやーそれ程でも、と調子良く答えようとしたら、背後から鋭い突っ込み。もとい、張り手が飛んできた。

「三方、新人だからって、あまりコイツをおだてないで。」

 ・・・痛い。普通に痛かった。今の突っ込み。

「九十九、先に言っておくけど、幽界探索はクランケ討伐はと比較にならないほど危険よ。現界と幽界は世界の在り方からして全く違う。何が起こっても不思議じゃない。これはあんたが嫌いだからとかそんなんじゃなく、一先輩としての忠告なのだけど、調子こいて舐めてかかったら死ぬよ」

 先ほどまでの和やかな空気が一転、冷え冷えとした空気に包まれる。

 後ろで松浪が顔を抑え、こいつやってしまった感がありありと見て取れる。しかし、俺からしてみればこの冷淡かつ直截に物を言い心を抉る太刀川の接し方には大分慣れたもので、俺の心のダメージより、せっかく和やかだった霽月邸の雰囲気が冷え込んだ事で心を痛めた。

 感情も抑揚も無くあんな事言われたら思わずビビっても仕方ないのだろうが、それでも、太刀川は太刀川なりに俺を気遣っているのだろうと思っている。でなければ、いままでの実戦でもお互いにサポートし合う事などできないだろうし。

 要は太刀川は、それほど危険なお役目だってことを言っているだけなのだろう。そういうことにしておこう。

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