囚人服の少年 -9-

息を呑む光景。

 眼前に広がる星々は、真冬の夜空より遥かに澄んで見える。なるほど、境界には現界のように大気の影響を受ける事はないということか。だからこれほどまでにハッキリと美しく見えるのだろう。

 星空を眺めるとついつい知っている星座を探してしまうが、どうも見当たらない。いや、見当たらない以前に、どうにも違和感が拭えない。これはもしや・・・。

「お市よ、この夜空・・・」

 俺は素直に感じた違和感をぶつける。

「星座が一つも見当たらない。夏の星座と言えば大三角だが、どこにも見当たらないし、そもそも夜空の色がうっすら紫がかっていて怪しさ満点なんだが。これは本物の夜空か?」

 思えば、俺はお茶会に足繁く通っていたとはいえ、外の景色には無頓着だった。

 それもそのはず。いつも境界には霞が立ちこめ、外の景色を見る事はできなかった。辛うじて霽月邸内の庭を眺めるのがせいぜいだったのだ。そんな状況だったので、霽月邸に着けばさっさと屋敷の中に入ってしまうし、帰りも寄り道せずにそのまま真っすぐ帰っていた。

 このあまりにも周囲の環境に対して無関心な原因は、お茶会で振る舞われる魅惑のお菓子の数々に魅了され、花より団子状態だったからというのは。決して間違いではない。間違いではないのだが、これではあまりに自分が情けない。

「全く、九十九は感情が顔に表れる様になったな。儂は嬉しいぞ。」

 お市はそんな情けない面を下げている俺を見てケラケラと笑う。

 この時ばかりは、お市の顔が年相応、いや、姿相応の顔をしている様に思えた。なんせ、市松人形の様な姿をした少女だが、普段は世界をみそなわす花姫としての威厳や風格を漂わせているのだ。

 そんなお市の顔がほころぶ姿は、なんとも言えず温かい気持ちになるのだ。

「さきほど、世界の芽の話をしたがの、見てみぃ綺麗にまたたく星々を。これらはな、星のように見えるが、星がまたたいているのではない。産まれては消え、また新たに産まれる世界の芽じゃ。萌芽の世界の誕生と消滅の営みが、この境界から星の煌めきに見えるのじゃ。なんとも哀しくも美しい眺めではないか。」

 先ほどとはうって変わって、表情は曇り哀しげだ。

「世界の芽の発生。まるで泡の様に夢想世界が産まれ、消えていく。それは人の世が興ってから何度も何度も営まれ続けている。だが、今までこのように世界の芽が幽界に根着く事はなかった。これは災厄の前触れかもしれんし、祝福すべき出来事なのかも知れん。それを見極め、それを儂は知りたいのじゃ。さすれば、我が世界も平穏と安寧が守られるというものよ。」

 こんな表情は初めて見たかもしれない。

 お茶会でさんざ話をしていても、のべつ幕無し下らない話をしていただけで、仕事の話なんぞ口にしていなかった。これほど特殊な仕事をする上で、やれる事は俺なりに一生懸命やっているつもりだが、お市は自らが世界に顕現してから今日までずっとこの世界をみそなわしていたわけだ。

 想いの大きさは計り知れるものではない。

 ならば、普段世話になっている分の恩返しのつもりで仕事に励むとするか。

 が、その前に問題がある。

 ここから見えるお星様が世界の芽であるならば、俺達は一体どうやってそこにたどり着くのか。

 というか、そもそも 満点の星空でどれが目標の星か分かりゃしない。

「ねぇ、松浪君。ところで僕らはどの星に向かうんだい?それに移動方法はどうするんだい?」

 正直、この時点で頭が軽くショートしているのかもしれない。話がとんでもない方向に進み、理解が追いつかない。俺は半ば呆けた状態で松浪に聞いたが、松浪は生暖かい目で俺を見ながら微笑んでいる。

「初々しいお前を見るのがこれほど愉快とはな。これは新しい発見をしたもんだ。心配せずとも、道はお市が導いてくれる。」

 まぁ見てなって。そう松浪は言うが、もう少し詳しく説明してくれてもいいと思うぞ。割と寡黙な男なのが松浪だが、こういう時はさすがにもう少し話してもらいたいもんだ。

「案ずるな、信介よ。この星々は現界の夜空に似て非なるもの。星の数は世界の数。大きさは、その世界の天恵の強さを表し、光の強さは存在確度を表す。そして、我が桔梗の幽界から産まれた世界の芽は、色で見分ける。見よ、一際鈍く藍色に光るこの星を。」

 お市が指し示したその先には、針の先ほどのように小さいが、力強く輝いている星が一つ。

 お市はその星を一瞥し、懐から扇を取り出す。

 その所作は一々が美しく、雅であった。両の手に扇を持ったお市は流れる様に舞い踊り、その動作に合わせ、どこからともなく現れた鮮やかな花びらが宙を舞う。

 美しい。素直にそう思った。

 神秘的な光景。舞は緩急があるものの、おしなべて静かな所作であるが、お市の周りに風に舞う花びらは次第に勢いを増し、その数も増えていく。それだけではない。見上げるとお市と藍色の星を繋ぐ直線上の宙に大きな渦が出来ている。その渦の中心が少しずつ開いていき、穴はトンネル程の大きさに至った。

 そのトンネルの少し手前に、舞っていたその花びらが鳥居の形を成し、荘厳な大鳥居へと姿を変えた。

 鳥居の先には橋が伸び、先ほど空いた渦のトンネルに向かって伸びている。

「この鳥居は境界と幽界を繋ぐ道の入口じゃ。かつては、私はこの鳥居を拵え、お前達人間を送り出し、幽界を調べさせていた。しかし、事件が起きてからは、防衛に徹するため、ついぞ開門はせなんだ。この門を開けたのは本当に久しぶりじゃ」

 お市は感慨に耽っている様子。事件以来の開門であるなら、それもそうか。

 気づけば、翁や媼、それに松浪に太刀川もどこか懐かしそうに鳥居を眺めている。

 そういえば、言っていたな。昔は境界から幽界へと渡っていたと。

 俺はこんな鳥居を見るのは初めてだし、当時の状況なんか知る由もない。皆には皆の積み重ねた時間や経験が沢山あるのだろうなと、想いを馳せる事ぐらいしか今の俺には出来ない。そもそも想いを馳せた所で何となるわけでもないが。

 別に疎外感を感じているわけでもないが、なんとも場違いの様な気もしてしまし、微妙な居心地だ。

 それを察してか、松浪は俺に話しかけてくれた。ほんとにこいつは顔のみならず性格もイケメンだから素直に尊敬する。

「俺達は元々この鳥居を通じ、幽界へ出向いて色々調べ事をしていたのさ。主には現界ではかなりの制限を受ける天恵の力についての調査だったが、時より幽界で産まれ、現界へと侵入を試みるアノマリーなクランケの調査と討伐も行なわれていた。当時は境界も賑やかだったんだ。調査に派遣される人間も多く、調査専従の人や、討伐専門の人なんかもいてな。俺と太刀川は年齢的にも若輩だったし、まだまだ実戦に耐えうる程の力も無かった。それでも後方支援として経験を積むために先輩方と幽界に渡っていた。ほんとによく可愛がってもらったもんだ。」

「昔はそんなに多勢いたのか」

「そうだ。なかなかの大所帯だった。が、それも事件までの話。半年間、俺達といて、分かっただろうが今や実動部隊は俺含め三人。九十九が入るまでは太刀川とのツーマンセルでクランケの討伐だけはなんとかこなしてきたが、調査なんてしている余裕もなく、今回、実に十五年ぶりの幽界調査ってわけだ。」

「そうかぁ〜。でも翁や媼は邸宅の守護があるとして、宇上さんは調査には参加しなかったのか?」

「あの人には、別のお役目があるからな。何も無ければ食客として、邸宅にいるが、事あらばすぐ境界から出てもらうから、調査は頼んでないんだよ」

 なるほど、宇上さんとはこれまたお茶会でしか会わないし、しかも仕事の話もほとんどしていなかったから知らなかった情報だ。

 それにしても、絶望以外の何者でもない状況で活動していたんだな。事件のせいで滅亡の一歩手前まで追い込まれた結果がこれとは、本当に何が起こったんだ。

 完全にすっぽ抜けている過去の記憶。

 実を言うと、事件の事を考えると妙に頭の中がむず痒くなるのだ。おそらく、深層心理にはしっかりと記憶が刻まれているのだろうが、表層意識か何かが記憶を思い出す事に歯止めをかけているのだろう。これが本当にむず痒い。

「なんにせよ、今回は久しぶりの調査だ。リハビリというわけではないが、まずは軽めの偵察を行いたい。なんせ、幽界調査が久々なのは我々とて同じ事。眠っていたあやつらもそろそろ起きてこちらに来るだろう。まずは打ち合わせからじゃ」

 あやつら、とな?実動部隊は俺達だけじゃなかったのか。

「えっ?じゃぁ長柄ちゃんにまた会えるの?」

 太刀川がにわかに騒ぎだす。この目の輝きは、二葉という人物、旧知の友人なのだろう。明らかに生き生きしだしてつい驚いてしまった。

 ふと気づけば何かが近づいてくる気配がする。人、ではないはずだが、無機質でもない。しかも複数。そして漂うタンスの防虫剤の臭い。

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