囚人服の少年 -8-
「その世界の芽ってのは一体何なんだ?自然発生云々言ったが、そんなしょっちゅう生えてくるものなのか?」
あぁ、そうか、まだ教えてはいなかったか。
そうボツリと呟いたのは翁だった。面紗で表情は伺えないが、あっけらかんと応える。声だけ聞くに、おっとりとして柔らかな声をしている。さぞ心穏やかな好々爺と思わせるが、その実、顔は厳つく、まさしく由緒正しい頑固親父と言った風貌をしているのが翁だ。お茶会の時などのいわゆるオフの時は、翁も面紗を外しているので、俺はその事をネタに翁をからかう事もあった。
無論、からかった後は翁もお返しとばかりに肉体言語でちょっかいを出してきては締め上げられるが、最早お茶会の鉄板となっているのはここだけの話だ。
そんな気さくな翁であるが、十五年前の事件の奮戦ぶりから「大鉈の翁」と異名を付けられ、他世界から畏怖される存在である。
しかし、戦いが得意でも机仕事などは苦手な種類の人間で、このように肝心なことを伝え忘れていたりすることも多い。
いや、だが待て。
そもそも、そんな話題は出た事も聞いた事もないし、松浪や太刀川からも聞いた事がない。二人はこのことを知っているのだろうか。
「なあ、松。太刀川。お前らは世界の芽って知ってるのか?」
聞くは一瞬の恥、知らぬは一生の恥。故に、分からぬ事は童にも聞け、というのが俺のモットーだ。半年そこら一緒に働いてはいるが、何分短期間すぎ、かつ戦いに明け暮れるばかりで仕事についての詳細な知識はない。ここは素直に聞くが吉だ。
二人とも俺の問いに静かに頷く。どうやら知らぬは俺だけの様子で。
「そうかそうか。それは悪かった。だが、何も隠し立てしていたわけではない。十五年前の事件。あの時からだな。桔梗と撫子の世界が重なり合ったことで、色々と桔梗の世界で起こっていた現象が現れなくなったりしていてな。この世界の芽ってのも件の事件以来、桔梗では起きていなかった。ところが、最近になってまた突然現れたのさ。だから調査するんだよ」
翁は言葉とは裏腹に悪びれもせず後ろ頭をパンパン叩きながら答える。
やはりネックになるのは件の事件か。
今俺達が抱える問題は全てその事件が発端というわけだ。
俺はふと部屋の片隅で座している美咲に目をやる。
美咲は、神妙な面持ちで佇んでいる。だが、その瞳には、何か罪悪感というか後ろめたいものを感じている様が見て取れる。
それもそうか。
世界が滅び、一縷の希望にすがり逃げ延びた世界が、凄惨な事件の舞台となってしまった原因の一端は、確かに撫子側にある。罪悪感も感じよう。
「美咲、世界の芽ってのは一体何なんだい。危険なものなのか?」
俺が気の利く人間であれば、それとなく話を引き出すこともできたろうが、生憎、おれはそんな気の利く小利口な人間でもないし、そもそも直截に言うことしかできない。
美咲はやや間を置いてから伏し目がちにだが、世界の芽について話してくれた。
「世界の芽とは、個人、もしくは集団の想念が寄り集まった想念が天恵を介し形を成した世界のことです。よって天恵の影響力が小さい現界や狭間の世界である境界には発生せず、幽界のみに発生します。天恵が豊富にあった撫子の世界では、世界の芽の発生は珍しくはない現象でした。世界の芽は存在確度から言うと非常に希薄かつ不安定で、泡のように現れては消えてゆく儚い存在であるのが一般的ですが、世界として確立する例は撫子の世界でも少なく、芽が出ても自然消滅するのが通例でした。従って調査のしようもなく、その全容は完全に解明されていません。」
美咲の顔は曇ったままだ。しかし、受け答えはハキハキとしている。
そういえば、美咲もお茶会にはよく同席していた。基本、物静かで何かとリアクションも小さく無口だが、言う時はハッキリと言う子だった。
特に、そばかすとメガネっ娘という見た目からして、ハキハキと喋る姿はギャップが大きく初めて言葉を交わした時には驚いたものだ。
美咲の話は、今は置いておくとして、問題は世界の芽についてだ。
美咲は話を続ける。
「我々が調査対象としている世界の芽は、発芽からそれほど時間が経っていないようです。にもかかわらず、世界の芽の存在確度は異様に高く、存在確度がこのまま高まると、桔梗にとって良くない結果をもたらすかもしれません。数少ない例ですが、存在確度を高めた世界の芽は、いずれ成長し実を結び、花を咲かせます。これは幽界から新たな世界が誕生する事を意味します。」
ん?
世界の誕生とな?
「なんだか話のスケールがデカいな。世界開闢の神秘が明かされた気がするが、そういう事でいいのか?幽界から新しい世界が誕生したってそういうことだよな」
「そういうことになるかと。」
マジか。
素で驚くわ、そんな話。
撫子はにべもなく言ってのけたが、そもそも、新たに世界が誕生するなんざ、俺達人間のスケールに収まるわけもない話だ。そんなスケールのデカい話を当たり前の様に話すな。頭が追いつかない。
「幽界から世界が分離し、独立する事で何か不都合はあるのか?」
次に質問を投げかけたのは松浪だった。
「それも含めて調査をお願いしたいのです。撫子でもそこまでの調査は叶いませんでした。つまり、今回の調査は未知の世界に足を踏み入れる事になります。危険を伴う恐れは多分にありますが、どうかお願いします。」
美咲は静かに深々と頭を垂れる。
なるほど、これは無茶ぶりというやつだな。
俺達は産まれたばかりの世界に行かなきゃいけないわけだな。突然現れ、正体もよくわからない未知の世界へ。全くなんてことだ。
俺は無意識のうちに苦虫を噛み潰した様な顔でもしていたようで、まぁまぁそんなに嫌な顔をしないで、と媼に窘められてしまった。
「調査対象の芽は世界が形成された時間やその存在確度からいって、あり得ない程の速さで『発芽』から『生長』へと段階が進んでいます。これだけ成長が早い萌芽の世界は今までに例が無いのです。これはおそらく、件の事件の影響が大きいと私達は考えています」
媼はお市と目配せする。
お市が頷くと、媼は手を襖へ翳す。
パタパタと、奥座敷の襖は開かれていき、俺達は軒先から外を見る。
お市はすっくと立ち上がり、奥座敷から中庭へ歩み出る。
「天恵とは、遍く世界に充満するエネルギーの一種じゃ。十五年前、世界の法則が混じり合った結果、我が桔梗の天恵はその状態に変化が生じた。天恵は命の根源とも言われるエネルギーそのものじゃ。だが、撫子の世界と接する事で天恵が活性化し、三界に目に見える形で影響を及ぼしはじめた。逢禍時の発生によるクランケの現界侵出がいい例じゃが、巷間噂される都市伝説や幽霊騒ぎなども、天恵を介し想念が物質化した結果起きているのじゃ。」
お市は、中庭に出ると、宙へ向かって両手を翳す。
「天恵というエネルギーは思念や想念といった目に見えないものを物質化する性質を持つ。天恵の秘める可能性はまさに無限。故に、天恵の潜在能力が高かった撫子は他の花姫に狙われ、凄惨な事件へと繋がったことは我々も身を以てしった。だからこそ、この夢想世界を作り出した何者、あるいは何者達かが生み出した世界を我々は見定めなくてはならぬ。そしてより天恵を理解し、二度と同じ惨劇が繰り返されぬよう、我らは知り、学ばなければならない。」
しん、と静まる空気。
凪。
とても落ち着いた
お市はなおも手を翳し続けている。するとどうだろう、立ちこめていた霧に動きが見える。頬に僅かに風を感じる。凪ともそよぎとも分からぬほどだが、霽月邸に風が吹き始めたようだ。
「いつも、すまない。お前達ばかりに苦労をさせて」
お市は静かにそう言った。平静を装っているが、やはり思う所はあるのだろう。声の調子からそれが痛い程伝わる。
風はまだそよいでいる。ただただ静かに、風が霞を払っていく。
「間もなく、境界の霞が晴れます。皆の衆、ご覧あれ」
媼が声と共に、皆が宙を仰ぐ。
ふと空を見上げれば、空に霞はなく、あるのは満点の星空が広がっていた。
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