囚人服の少年 -7-
俺達を牽引している光の帯の根元が見えてきた。その先には昔ながらの日本家屋が見える。豪勢ではないが慎ましいながらも厳かな雰囲気を醸し出している。花姫が住まう“霽月邸”である。
敷地からして広く、正面玄関から入ると館に着くまでに数時間単位でかかってしまう。一々律儀に玄関から入ると、ただただ面倒なだけなので、お呼ばれする時は大抵中庭に直接下ろされるのが恒例だ。
霽月邸の中庭は実に俺の趣味にマッチしていると、見る度に思う。中庭の造りは、庭というより湖を思わせるほど広大な池が特徴だ。荒々しく削りだされた様々な形状のな岩が池から顔を覗かせ、一見荒々しいながらも厳かで凛とした空気を醸し出している。所々に点在する小島から生えている松も趣がある。渋い。ひたすら渋い。
ゆっくりと光の帯に誘われ、中庭へと降りていく。ふと今まで帯と共に辿ってきた道筋を振り返ると、辺りは霞に覆われている。俺達が使った境界への入口は見当たらず、まさしく五里霧中といった景色だ。
そう言えば、この屋敷。霽月邸の由来はこの霞が立ちこめた景色にある。
霽月とは、雨あがりの月を表す言葉の筈。しかし、この境界の空は常に霞が立ちこめている。何度もお茶会に誘われているが、そういえば未だに霞が晴れた空を俺は拝んだ事が無い。
もう間もなく着地というところで、屋敷の襖が静かに開き、初老の女性が静々と庭へ歩み出る。
境界の番人の片割れ、媼である。
顔には白い面紗をかけ、顔を伺う事ができない。媼は俺達が庭に降り立った所を見届けると、静かに口を開く。
「皆、久しぶりであるな。さあ、花姫様がお待ちです。早くお上がりなさい」
優しい。とても優しく柔らかな声ではあるが、その声には重みがある。それは軽薄で心ない上辺だけの優しい声ではなく、まさに慈愛という表現がしっくりくる。だが、そんな仏の優しさ溢れる声ではあるが、数多くの修羅場を潜ってきたであろう凄みが声の奥底に感じられるのだ。
今まで生きてきた中で、こんな声の持ち主は未だかつて出会った事が無い。
まっ、それもそうか。二千年は軽く生きているのだし。
松浪と太刀川は厳かに頭を垂れる。
俺はというと、二人に合わせて頭を下げているが、内心笑いを堪えるのに必死だった。
そう、お茶会にさんざ招かれている俺は知っている。媼は普段は面紗すら付けず、実に俗っぽい人物である事を。
媼が今顔に付けている面紗は境界の番人である翁と媼の容儀であるらしいが、正直息苦しいし前も見づらいから面紗はしたくないと、何度も媼達から愚痴を聞かされているのだ。それでも、仕事の時は律儀に面紗を付けている。太刀川と松浪ともそこまでよそよそしくする間柄でもないだろうに。こんなんで笑いを堪えろというのは無理があると思うのだ。
媼に導かれ、霽月邸に上がり屋敷の奥へと向かう。伝統的な日本家屋の造りをしている霽月邸は来る度、国宝級の伝統家屋を見学しにきた観光客気分を感じてしまう。縁側沿いに広がる広大な水庭もそうだが、非日常間溢れる現代の住宅では見られない日本文化の粋とでも言おうか、伝統家屋の良さがなんとも懐かしく感じてしまうのだ。
繰り返しになるが、霽月邸は広大で、花姫が居る部屋は決まっていつも奥座敷だ。お茶会もそこでいつも開かれる。
奥座敷までは中庭からひたすら縁側を通って行く。奥座敷の前につき、媼が到着しましたよ、と中に声をかけ襖を開ける。
奥座敷には上座に市松人形のような姿をした少女が居り、その脇に翁が控え媼も花姫を挟む形に脇へ座った。下座にはあと二人、既に着座していた。
やたらガタイがいい白髪の男。宇上さんだ。そして宇上さんの傍に、もう一人。美咲が座っている。
既にメンツは揃い、俺達は挨拶も程々に着座し、早速仕事の話に入る。
普通は、久しぶりに仲間と合うのであれば積もる話があるだろうが、俺はともかく、松浪と太刀川は早々境界でのお茶会に呼ばれる事も無く、特に宇上さんや美咲とはなかなか接点が無い。
俺がお茶会に招かれるのは、単におしゃべりの相手などという暢気な理由ではない。半年前から記憶の回復の経過観察が大きな理由だろう、と俺はひねくれた予測を立てている。
俺という存在自体が、敵性花姫への強力な抑止力になっているのもあって、扱いには気を遣っている、というところだろう。特別扱い、ではない。
だが、境界の人物は根がいい人ばかりだ。だからこそ、“あの時も”俺を人柱にする時はあの人達は・・・。
・ ・・。
・・・。
ん?
“あの時”?
何か不明瞭だが、一瞬頭の中でイメージがよぎった。
奥座敷。俺は座敷の壁にもたれ足を放り出して座っている。奥には泣きじゃくる桔梗。その傍らには、傷つき怪我だらけの体で項垂れる翁と媼。そして俺の正面には真っ赤な顔をして目に涙を一杯ためている美咲。細く白い小さな両手で俺の顔を優しく包みながら、ごめんね、ごめんねと呟いている。
・ ・・これは・・・。
これが過去の記憶なのだろうか・・・?
突然の事に呆けてしまっていた。
松浪が心配そうに声をかけてくれる。
「どうした?顔が強ばっているぞ、大丈夫か?」
この優男は、いつだって紳士かつ優しい。女が惚れる気持ちがわかる気がする。一方、太刀川は何をやってるんだかと言わんばかりのしかめっ面でこちらを横目で見ている。視線が痛い。
俺は逡巡した。半年経って、ようやく記憶が戻ったかもしれない事を伝えるべきか。話すのを躊躇ったのは、頭をよぎったイメージにあったが本当に過去に起きた事か確認するのが恐ろしく感じたからだ。
イメージの中にあったのは光景だけではなかった。それは遠くから聞こえるこの世のものとは思えないほど、凄惨極まる苦痛に歪む声、そして断末魔。
冷や汗が額を伝う。もし、あの阿鼻叫喚がこの境界で響いていたのなら、一体十五年前に何が起きたのだ。
戦慄を感じた。おぞましいまでの戦慄を。
媼もまた、様子がおかしい俺を凝視している。なんでまたこのタイミングで突然記憶が回復する?
気づけば皆が俺の方を見ている。お市も、俺の様子を静かに伺っている。
なんだか気まずい空気感だ。俺はその場を取り繕うべく仕事の話題をお市に振る。
「まぁ、その、なんだ。俺達を集めた理由なんだが、一体どういう事なんだ?」
お市はまだ俺を静かに見つめていた。だが、やや間を置きながら俺の質問に答え始める。
「今回の仕事は、今までお主達がさんざこなしてきたクランケ討伐の仕事ではなく、新しい仕事をお願いしたい。まぁ、端的に言うと『調査』を頼みたい、ということじゃ。実は最近、幽界で珍しい現象が確認されての。それは幽界内に「世界の芽」と思しき想念の世界の存在が確認されたんじゃが、どうもこの「芽」、自然発生した物ではなく、何者かの想念が生み出した「芽」である可能性が高いのだが、三界に害をもたらす物であるかどうかを調べて欲しいのじゃ」
ほう、世界の芽とな。これまた謎な単語がでてきたものだ。ここは素直に聞いてみよう。
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