囚人服の少年 -6-

 まず花姫について。花姫は自らを桔梗と名乗ってはいるが、本人は「市」という愛称を好んで使い、俺たちにもその呼び方を求めてくる。みんなはお市と親しみを込めて呼ぶが、この名前が実にしっくりくる。というのも、姿形が市松人形にそっくりなのだ。

 黒髪でおかっぱ頭。赤い着物。背丈も十歳前後ぐらいの少女の姿をしている。正体は、本命の通り桔梗の花なのだが、花姫は自由に姿形を取る事が出来る。うちの花姫様は、基本的に人間の姿にしか顕現してないのだが、その場合、市松人形スタイルが多く、どうやらこの姿が彼女のお気に入りらしかった。昔は桔梗の名前を意識し、紫のいかにも大人っぽい着物で、眉目麗しい大人の女性の姿をしていた時期もあったそうなのだが、一体どんな心変わりがあったのやら。いつか大人お市も一目見てみたいと思っている。今度お願いでもしてみるか。

 そんな花姫、もとい、お市は世界の鍵となる存在だ。ある時その事を俺に告げたお市がドヤ顔かつ上から目線で、敬え小僧と宣ったあの日あの時あの顔が、未だに忘れられない。

 世界の誕生などという矢鱈壮大な話が出てきて度肝を抜かれたはいいが、なんとも大袈裟な話し振りかつ冗長だったので簡単に話をまとめてみよう。

 まず俺たちが住むこの世界の開闢は、いわゆるビックバンが起きたから、というのは一般常識として多くの人間が知っていることだろうが、お市の話では世界の開闢について、もう一つの真実があるというのだ。それは、宇宙誕生の瞬間と共に、あらゆる未来の可能性を含んだ世界も同時並行的に存在しているということだ。空想科学小説でよく登場するパラレルワールドをイメージすると分かりやすいかもしれない。

 原初の頃から未来は無限に枝分かれし、それぞれが異なる世界として存在するが、パラレルワールドそれ自体の存在は不確かで、何一つ確定された世界ではない。しかし、未来の可能性の振り幅がある程度絞れた段階に到達した際、自我を持った花姫が境界にて顕現し、世界をみそなわすことで世界とその世界の法則が確定する。

 よって、花姫が世界の鍵を握るというのは、決して大袈裟な表現ではなく、まさに世界を成立させる為に必要不可欠な存在なのだ。確定された世界は未来を築く事ができるが、確定されなければ夢幻の様にいずれ消えていくらしい。

 そして、今現在でも様々なルート分岐を辿った無数の異世界と同じ数だけの花姫が存在しているということでもある。

 かくて確定した世界は命が咲き乱れ、それぞれ独自の世界の在り方で繁栄していくのだが、少なくとも、ここ数百年の間に、顕現する花姫が大量に発生し、一部の花姫が何の為か異世界を喰らい始めるという異常事態が起きた。

 始めは一方的な「捕食」が行われていたが、この共食い行為に次第に抵抗する花姫も現れ始め、異世界は喰うか喰われるかの弱肉強食の様を呈した。

 このような原始的な生存競争に嫌気がさし、花姫達もそれぞれ対策を講じ、連合を組んで侵略に対抗する花姫達や、鎖国状態にして自分の世界を保護する花姫なども現れた。

 花姫はその資質や性格等の個体差は大きく開きがあるようで、必ずしも花姫がみな争いを望んでいるわけではないらしい。だが、目に見える共食い行為に対し無策、無抵抗であれば自世界の破滅は必定。

 そのような弱肉強食、戦国乱世で、自らの世界を守るべくお市は天恵に目をつけた。自ら幽界に行く事が敵わないので人間を境界に招き、幽界の解明に力を注いだのも無理からぬ話。実際、幽界の調査は成果を挙げ、少数精鋭ながら桔梗の世界は花姫の中でも指折りの戦力を持つまでに至ったという。

 普段つっけんどんだったり我がままだったり、見た目のみならず中身まで子供じみたお市であるが、世界の為に身を粉にしていたのは間違いないらしい。

 そんな世界の鍵たるお市を常に見守り、身の回りの世話をしているのが翁と媼の二人だ。

 二人とも、大昔に花姫に境界へ招かれた太古の人間で、お市の願いを受け境界の番人をしている。どうやら花姫の招きを受けた人間は、花姫の要請と本人の同意があれば、いわゆる不老不死者になるのだ。よって二人は御年千歳を超えるご老体というわけだ。

 しかし、翁や媼と呼ばれるには随分と若く見える。世代で言えば中年、アラフォーの見てくれをしている。花姫に招かれたのが今から千年前というのを聞いて、妙に納得したのは今でもよく覚えている。当時じゃ、寿命今より短かっただろうし、服装も平安っぽいし。

 普段の二人を見るに、中年夫婦そのものだし、非常に仲睦まじい姿は、いつか自分もかく在りたいと思うほど素直に羨ましい。そんな二人であるが、花姫の身の回りの世話でなにかと忙しく過ごしている。

 身の回りの世話には、霽月邸の警護も含まれ、平時は翁が拵えた竹人形に憑いた式神が警備に当たり二人はその式神達の指揮官でもある。だが、兵士としての実力も相当の物で、翁は大鉈の使い手で豪快な戦い方が特徴だ。媼は薙刀はじめ、槍術の類いはどれも達人技ときている。二人の気分で稽古に付き合わされる事もあり、何度か手合わせしたが、大概コテンパンにやられてしまう。控えめに言っても強すぎる。さすが、世界の鍵たる存在の守り人。稽古はもうたくさんだ。

 次に、宇上さんについて。この人は俺が霽月邸で最も言葉を交わす御仁だ。

 宇上さんは、俺にとっては癒しを齎してくれる人物だが、その正体は第三段階のクランケだ。

 十五年前の事件の際、法則が乱れた影響でクランケの大量発生が起きたのだが、その際、数個体が異例の早さで進化し、段階をすっ飛ばして一気に第三段階にまで進化した個体が複数あった。

 その内の一体のクランケが宇上さんだ。

 身長は松浪の頭一つ抜ける大男。体格もがっちりしている。さながら鍛え抜かれたプロレスラーのような体つきだ。だが性格は温厚で惚れ惚れするほどの優しい性格。まさに菩薩の様な大男。どこか憂いを湛えた様な瞳はまるで子供のようで、純真さを感じられずにはいられない。

 そんな彼は人間の慈愛の精神を最も発揮する超が着くほど友好的なクランケだ。実際、事件で霽月邸が襲撃された際、彼は第三段階に進化後すぐさま死傷者の対応に尽力した、非常に希有な存在だ。おまけに事件以来、クランケに関する情報を提供してくれているのも宇上さんだ。段階すっ飛ばして進化しているにも関わらず、その情報の確度は高いため今でも霽月邸に客人として逗留しているのだ。

 何より、俺にとっては命の恩人であるというのが重要だ。俺が傀儡にされても廃人化しなかったのは、宇上さんに発現したクランケの能力のお陰だ。宇上さんの能力は、対象の頭に手をかざすと、瞬時に静かに眠らせることができる。

 これだけでは、快眠するのに最適だなと、お市の突っ込みが入りそうだが、この能力の本質は人間の精神に作用し、傷を負った心や魂を癒すことにある。

 眠らされた対象者は、深い眠りの中で、ゆっくりと傷と向き合い、受け入れ魂レベルでの成長をうながすという、聞いただけで神様のような能力なのだ。

 なぜ、これほどまでの能力が備わったのかは未だ不明なのだが、もし宇上さんにこの能力が発現しすぐに俺を能力で眠らせてくれてなかったら、傀儡から解放後、そのまま自我が崩壊し、廃人待った無しだったろう。宇上さんには足を向けて寝られやしない。

 最後に撫子について。

 かつて俺を傀儡として操り、異世界を滅ぼした怖い女。だが、その実、内気で気弱な委員長タイプの女だ。おまけに、実は純粋な花姫ではなく、花姫の能力を引き継いだ異世界の人間というではないか。

 元の人間としての名前は、古郡美咲(こごおりみさき)という名で、一見するとメガネをかけた地味な委員長タイプの娘だ。性格も予想される所のおしとやかで物静か。メガネを外すと見違える様な美少女という、なんとも一部のマニアのツボをよく抑えた娘なのだ。

 実のところ、俺は美咲については詳しく説明はされていない。異世界からの亡命者にして、俺を傀儡として異世界を滅ぼした女としか聞いていないのだ。

 おっかない女だなぁと思いはするが、面を向き合わせて話してみても特段異質な物は感じられず寧ろ清廉淑女のような性格に、宇上さん同様俺にとっての癒しキャラとなっている。まして憎しみなど出てこず、むしろ美咲に対し説明のつかない罪悪感を感じてしまうのだ。

 俺はそんな美咲に対する感情がどれも自分を虐げた者に対する負の感情ではなく、むしろ大切な仲間に感じる親愛や信頼の情を感じることにとても違和感を感じている。

 自分を使い捨ての道具として扱った者に、なぜ俺は恨みではなく癒しを感じるのか。俺は決して被虐趣味の持ち主ではないし、馬鹿がつくほどのお人好しでもない。だが、なぜか全てを受けとめているのだ。

 俺が思い出せていない過去の記憶に、その答えがあるのだろうか。いくら考えてもその答えは出てこない。考えようとしても、考えが纏まろうとするとまるで霧の様にその考えが消えてしまう。今もまた頭が呆っとする。これではまるで思考に鍵がかけられているようじゃないか。

 こうなっては、もう思考が纏まる事は無い。俺は気持ちを切り替え、これから始まる仕事に意識を向け直した頃には、光輪の先に霽月邸が見え始めた。

 今回は一体何が起こるのだろうか。高揚感も無ければ不安も無い。あるのはただ深い無意識の世界に沈んだ様な、そんな静けさが俺の心を包んでいた。

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