囚人服の少年 -5-霽月邸-

 現界と幽界の境に存在する境界への移動は、いつも水場を介し行われる。特定の拠点に設置された水場を使用するのが主だが、拠点に限らず結界さえ張りさえすれば、人がすっぽり潜れる程度の水場があれば移動は可能だそうだ。過去には自宅の浴槽からという強者もいたそうだが、その結界を張れる者は十五年前の事件で全員死亡し、現在は一人も結界を張れる人間がいない。松浪と太刀川は結界を張る訓練をしているそうだが、あまりうまくいってないそうだ。そんなわけで、現状俺たちが境界に向かうルートは拠点からのみとなっている。

 ともかく、境界への移動方法はいつも同じだ。潜ったすぐ先にガイドロープが境界の中心に向かって伸びているので、潜っていく光の帯に引っ張られるだけだ。拠点から境界までの移動時間は体感で7分ってところ。この中途半端な時間が実は非常に重要らしい。

 境界は二つの世界の狭間に位置する空間、かつ接点であるが、それ故、現界と幽界の法則が共存入り乱れるカオスな場所でもある。それをうまいこと調和させ、悪影響を排し、良い効果のみを引き出すよう花姫が施している。それでも一種の極限環境に違いはなく、潜水中の七分間で境界に立ち入る人間の体を適応させているらしい。

 ゆらゆらと揺れる光の帯に掴まり、ただ境界の中心に向かって潜っていく。特にやることもなければ、余計な記憶を思い出しがちだ。

 俺は半年前を思い出していた。

 半ば強制的に境界に連れてこられた際、ひどく混乱し警戒する俺に対し、事態の説明と協力の要請がされた。

 ざっと説明すると、事の発端は十五年前に遡り、桔梗が住まう俺たちの世界に、別世界の花姫が逃げ込んできたことが始まりだった。

 その花姫、撫子と名乗る彼女曰く、他世界の花姫を調伏、もしくは摘み取ることで、勢力を拡大し続けている花姫の集団、『七草』の手により自分が住んでいた世界が滅ぼされ、最も世界の在り方が近い桔梗の世界に逃げ込み、助けを求めたそうな。

 桔梗は事情を知った上で撫子を匿ったが、七草の手が桔梗の元まで届き、桔梗と当時桔梗に招かれていた人間達は壊滅的な被害を受け、我らが桔梗の世界は滅亡寸前まで追い詰められたらしい。寸でのところで起死回生の反撃が功を奏し、滅亡は免れたが、その反撃方法というのが少々エグい。

 それは花姫が人間を傀儡として直に操る禁忌の術を用いたもの。強制的に人間の潜在能力の全てを解放することで、想念の世界において絶大な力を用いる事ができる。その力を破壊に用いた事で、『七草』を容易く撃退するだけに留まらず、七草を煽動し裏から操っていた元凶の花姫にまで甚大な被害を与えた。

 だが、傀儡にされたが最後、潜在能力の全解放は容易く、自我の崩壊を招き、花姫の手を離れたが最後、即廃人となる。人柱と言われる所以はこの理由からだ。

 そして人柱になった、というかされたのが不肖、九十九惣介、つまりこの俺である。全くなんて事しやがるんだ。しかも、俺は桔梗に招かれたわけでもなく、たまたま反撃の人柱として消費しても良さそうな人間だった、という実に哀しい理由で選ばれたのだ。

 だが俺は、こうして生きている。人柱にされた筈なのに。何か特別な能力や秘められた潜在力で自我崩壊を免れたなどと超人的な何かで奇跡的な生還を果たしたかと思えば、そんなわけもなく、桔梗と撫子の手により、自我崩壊寸前で記憶を封じられ、瑕を負った心が癒えるまで、霽月邸で深く眠らされたのだ。それも何年もの間。

 結果的に、俺は事件の記憶を封じられたまま再び目覚め、およそ十年、娑婆に解放され普通の人間として生活していた。だが、半年前に松浪と太刀川が現れ、紆余曲折を経て、今こうして霽月邸で再び花姫に相見えることとなる。

 桔梗や撫子が俺を生かしたのは、抑止力としての効果を期待してのことだ。既に花姫同士の諍いは増えつつある中で、花姫を摘んだ人間がいるという事実が強烈なプレッシャーを与えたらしい。実際、火種が燻っていた情勢を沈静化させ一端は平安が得られたのも事実。しかし、桔梗が事件によって受けた被害は世界の法則に大きな歪みを生み、加えて撫子の世界の法則が桔梗の世界にも色濃く反映してしまった。その歪みの一つが、逢魔時の発生だ。

 それが半年前に聞かされた俺の過去と、世界の情勢だ。

 正直、荒唐無稽すぎて実感も何もあったもんじゃない。俺は出来の悪い三文小説のあらすじを聞かされている心持ちで話を聞いていた。だが確かに、俺には十五年前のある時期から記憶障害を起こしていたので、その原因が分かっただけでも良しとしたのだ。

 桔梗が言うには、いずれ全ての記憶を俺は取り戻すらしい。だがそれは順を追って少しずつ、心の古瑕が苛まない程度にゆっくりとしたペースらしいが。

 そんなわけで、事件の話はそれっきり聞かされる事は無く、毎日の様に開かれるお茶会は他愛も無い話題が殆どを占め、今では天気の話やら、政治経済やら、のべつ幕無しおしゃべりするだけの会となっていた。

 それにしても、これだけ会を重ねても、話のネタに事欠かかないのは、桔梗の他にお茶会に出席している翁と媼、そして宇上さんや美咲の話題の引き出しが深いことが一番の理由だろう。時より、彼らの身の回りの事や雑務をこなす式神と話す事もあるが彼らは基本与えられた職務や命令に忠実で、おしゃべりという感じではないし、そもそも彼らは翁が作った竹細工に憑依した霊的な存在なので住人と言っていいものかどうか悩む。

 普通に考えて、霽月邸の住人は、先の五名。花姫、翁、媼、宇上さん、撫子であろう。彼らについて改めて考えてみる。


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