囚人服の少年 -4-

 車を降り、ロッジへ歩いてくる男達。

 長身の男が松浪。帽子を目深に被っている男が九十九。二人とも私の仕事仲間だ。仕事があればいつも一緒に行動するが、三人揃って拠点に集まるのは初めてではないだろうか。

 松浪も同じ事を考えていたらしく、同じ事を言ってきた。相変わらず頭髪がボサボサで顔がよく見えない。九十九もなぜかいつも帽子を目深に被っているので、同じく顔がよく見えない。こいつら、こんなに顔を隠して何かやましい事でもあるのではないだろうか。

 だから私はいつも二人に忠告する。松浪は服だけではなく髪も整えろと。九十九には帽子を被るな、禿げるぞと。帰ってくる返事はいつも生返事ばかりだが、正直この二人にはもう少し人様からの視線を気にして欲しい。顔が隠れているだけで怪しさ満点なのに。こんな特殊な仕事をしているせいか、浮世離れも甚だしい。

 私はいつものように軽く右手を上げ挨拶に応える。今の私に取っては数少ない言葉を交わす人間だが、だからといって馴れ合っているわけではない。特に九十九に関しては。

 この男はそんな私の気持ちを他所に、いつも馴れ馴れしく話しかけてくる。空気が読めない男は嫌いだ。

「久しぶり。元気してた?」

「あんたの顔見るまではね」

 鰾膠も無く答える私に、つれないねぇなどと漏らす。見た目がやたら若く見えるくせに、言動はいつも爺臭くセンスが微塵も感じられない。私がこいつを気に入らない理由の一つでもある。本音を言えば、嫌う最大の理由は十五年前の事件で最大の中心人物が九十九だからだ。

「あんたこそ、十五年前の事件の事は思い出したの?」

 松浪の体が、ピクッと止まる。この圧迫感、私を視線で牽制している。

「松、あんただって気になるでしょ。九十九の参入から半年、私の見立てでは心身ともにかなり回復していると見るけど、そろそろ当時の事を聞いても良い頃合いだと思うわよ」

「たとえそうであっても、俺たちが聞くべき事じゃない。順序と立場は弁えるべきだと思うが?」

 私は松浪を睨みつける。松浪も私に視線を据え、微動だにしない。松浪は私達の中でも特に肝が据わっている。どれだけ私が本気で殺気をぶつけてもびくともしない。異常なまでの肝の座り方は戦場で培われたわけのではなく、花姫の招きを受ける以前からというのが驚きだ。

 空気が張りつめている中、九十九は唸りながら首元を掻いている。帽子で顔は隠れているが、ひどく困った様が見て取れる。

「・・・そう、言われてもなぁ。当時の記憶はいまだに思い出せてないんだよ。ショックが強すぎるからと、花姫達に例の事件の記憶だけピンポイントで封印されてるからよ。記憶を受け入れる支度が整えば、自然と思い出す、って話だが、その気配すらまだない。」

「なら、今ここで全部教えてやろうか?」

 努めて冷静に声を発しているつもりだが、思っている以上に声が鋭く張っていたらしい。

 松浪が、さっきまでポケットに突っ込んでいた腕を抜き、臨戦態勢をとっている。

「どうした、いつになく無視の居所が悪いようだが?」

 松浪の声は低く、威圧的だ。

 ちがう、ちがう、ちがう。そうじゃない。ケンカしてどうする?

 つい頭に血が上ってしまった。私の悪い癖だ。どうも、十五年前の事件の話となると冷静でいられなくなってしまう。

 俯き手を額に当てる。自分の呼吸に集中し、平静を取り戻す。

「・・・ごめんなさい。昔の事を思い出すと、ついね・・・」

 松浪のため息。殺気が消えていく。

「俺もあの日の事を忘れた事はない。忘れた事はないが、引きずりすぎるのもどうかと思うぜ」

 松浪はポンと私の肩を叩く。それはとても優しく、暖かさを感じるほどに。

 松浪も、事件の渦中に私と共にいた一人だ。そして、私同様、事件の数少ない生存者でもある。

 私達の目の前で、一体どれ程の命が消えていっただろう。

 本心から九十九を憎んでなどいない。ただ、私はあの事件以来、遣り場のない怒りと憎しみに囚われ続けている。九十九をその捌け口にしてしまっているのだ。せめて、せめて九十九が間に合っていたら・・・。そう考えると、感情の矛先が九十九に向いてしまうのだ。

 あの事件で犠牲になった者、傷ついた者はあまりに多い。

 だが、結果から言えば、九十九がいなければ私達は全員生きていなかっただろうし、私達、ひいては現界を救ったという客観的事実は間違いないのだ。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 気付くと、私は心の内で繰り返し唱えていた。一体誰の為に私は謝っているのだろうか。助けられなかった仲間に対してか。それとも、つっけんどんな態度をとった九十九に対してか。・・・いや、それはない。

そんな心の澱みに苦しむ私を他所に、まぁ、よくある事ってことでいいでしょ、

と何事も無いかの様に答え、飄々としている。この軽さはどこからくるものなのか。いや、ただ何も考えていないだけかもしれない。記憶が無い事を良い事に。そう考えると無性に腹が立つ。

 怒りを抑えている私を、松浪はロッジへ誘う。

「そうカッカするな。向こうに着いたらまた新しい情報を聞けるかもしれない」

 ゆっくりとロッジの扉が開く。

 ロッジの中へ入ると、外の暑さはどこへやら、ヒンヤリした空気が満ちている。内装は伽藍としており、照明こそロッジに合うお洒落なデザインのランプがぶら下がっているが、それ以外の調度品は見当たらない。

 あるのは部屋の中央に不格好に設置された大きな縦穴の水場のみだ。床にぽっかりと開けられたかの様な水場の縁には不思議な装飾が施されているが、これが現界から狭間の世界、すなわち境界に通じる門の役割をしている結界との事だ。詳しい原理は知らない。

 いずれにせよ、各地にある拠点から、こうした境界に通じる水場を介し、私達は境界に向かう。

 縁に立ち、中を眺めると、惚れ惚れするほど綺麗で透明な水が波立つ事もなく、まるで鏡の様だ。それほどの透明度にも関わらず、底が見えない。あるのは水底から水面に向かって伸びている一本のロープ。ワカメの様にゆらゆらとしている。要は、このロープを伝って水底に向かって潜行していくとそこに霽月邸があるのだ。

 霽月邸に通じる水場はどれも不思議な事に、完全に水中にいるはずなのだが、呼吸が出来るということだ。肌をなぞっていく水の感触はまさに水中そのもので、とても気持ちが良い。実際、水中では泳ぐ様にして移動するし、その際に体に感じる抵抗も水中のそれである。だが、会話は明瞭にやりとりできるのだ。


 私と松浪は慣れたもので、さっさとロープの場所まで潜っていく。九十九も、私達の仲間になってからは何度か霽月邸に招かれ出向いた事があるそうだが、この境界への移動は不慣れの筈。ちゃんと潜れているか確認すると、そこには元気に泳ぎ回る九十九の姿が。

「えっ、ちょっ、松!やたら九十九が慣れた動きしてるけど、アレ何?!」

 思わず声が出てしまった。霽月邸に招かれているのは知っているが、私が知っている限り数えるほども無い筈。

「この時期のプールは最高だな、なぁ松」

「プールじゃねぇけどな。境界への水の通路は花姫の粋な計らいで、いつも快適に設定されている。感謝だな」

「おい、無視するな。九十九、あんた何でこんなに水場の移動に慣れてるのよ。私なんて慣れるのに三ヶ月かかったのに」

 自分で言ってハッとする。しまった、こんなこと言うと九十九に舐められる。

「松浪や太刀川はお茶に誘われたりしないのか?割と御呼ばれするんだがな」

「俺達はそうそう誘われねぇよ。元々人を呼ぶ事は滅多にしないが、人嫌いというわけでもない。孤独や静寂も好む感性の持ち主であっても、時に誰かと話したくなる事もあるだろうよ。お茶する頻度はどの程度だ?」

「週に5日?」

「多いな」

 えっ、そうなの?と、また思わず声が出てしまうところだった。こちらこそ九十九が霽月邸に足繁く通っていたとは初耳だった。だが、通い慣れているのであれば合点がいく。それより、霽月邸に通っているのであれば、気になるのはそこで何が行われているかだ。まさか、ほんとにお茶をしているだけではあるまいし。ここは、問いただしておくべきか。

『話なら、降りてきてからでもいいんじゃないか?』

 この声は、久々に聞く花姫の声だ。

 時間通りの筈だが、痺れを切らしたか、

 水盤の少し下にガイドロープが一本、水底に向かって伸びている。そのガイドロープには光の輪がかかり、その光輪から三本の光の帯が伸びている。これは花姫が招いてくれている証だ。

『久々の招集で心穏やかではないかもしれないが、今回はちょいと厄介なことになるかもしれなくてな。雫、お前が気にしている件の話も、しようと思っている。早いとこ降りてきなね』

 なるほど、今回の招集はそうした意図もあったのか。少しでも実りのある情報をきければ良いのだが。私は心の中でそう願った。

 銘々、光の帯を握りしめると、光輪が光の帯を引き、ゆっくりと水底へ向かって沈んでいく。

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