第8話
鈴川は髪を乾かすのにとても時間をかけていた。大概乾かさずに寝てしまう神田には、長く続くドライヤーの音は懐かしくさえある。ためらう鈴川の手を引いて階段を上った。寝室は、鈴川がシャワーを浴びている間に片づけた。と言っても、畳んでいない洗濯物をクローゼットに突っ込んだだけだ。
粗大ごみに出すのが面倒で放ってある花柄の傘のフロアスタンドも、ピンクベージュのカーテンも、元妻の趣味だ。もういないのに、見張られている気がして居心地が悪い。
ベッドまであと一歩のところで、鈴川が足を止めた。
「どうした? やっぱり無理そう?」
「あの、眼鏡を外したくて、どこか置いてもいいところありますか?」
杞憂だった。妙に緊張している自分がおかしい。
「その辺、どこでもいいよ」
鈴川はチェストの上に歪んだ眼鏡を置いた。
文字通りベッドへ引きずりこみ、いつまでも力の抜けない身体を抱きしめた。こうしているだけで満たされた気持ちになる。
気になることが一つ。
「鈴川」
「はい」
「経験は?」
「……ありません」
「男も?」
「……ないです」
ハジメテにこだわるわけではないけれど、それはそれでうれしいものだ。
耳朶を食むと、鈴川はさらに身を硬くした。Tシャツの裾から手を差し込み、直接肌に触れる。てのひらが温かい。
「若いなあ。すべすべ」
「へ、変なこと、言わないでください」
スウェットパンツの中へ手を入れようとしたら、鈴川はウェストのゴムをつかんだ。触りたいだけだったのだが、まだ駄目らしい。
(ほんとに初めてなんだなあ)
ひとつひとつの反応が過敏で初々しい。微笑ましく思う反面、最後までできるのかと一抹の不安がよぎる。こちらも、男を抱くのはハジメテだ。自信満々というわけにはいかない。
(どうしようかな)
思案しながら脇腹を撫で、薄い背をさする。なだめるように、あやすように。怖くないと百回言うより、こうして触れ合っている方が伝わる気がした。
顔にかかった髪を払って、こめかみに唇を落とす。伏せている顔を上げさせて、目蓋にも頬にもキスをした。
うなじに手を這わせると、鈴川は身をよじった。仕事中には見たこともないような、困った顔をしている。神田は気づかないふりをして、肩から腕をたどった。細い手首。拳を解かせ、指をからめる。指の股をくすぐると、ぴくん、と震えた。
「嫌?」
問うと、耳まで赤くなりながら首を振る。同意して抱き合っているはずなのに、悪いことをしている気分になるのはなぜだろう。
「鈴川」
「はい」
「俺のこといつから好きなの?」
髪を混ぜると甘い匂いがした。同じシャンプーなのに不思議だ。
「異動して、すぐ……」
三年前からか。思いの外、長く想われていたらしい。
「四十過ぎたおっさんの何がよかったわけ?」
「仕事できるし、相談すると真剣に聞いてくれるし、何が駄目かきちんと教えてくれるし、やさしいし、話上手だし」
真顔で言われると恥ずかしい。
「その辺にしといて」
手で口をふさぐと、鈴川は拗ねたような顔をした。手を外しても、鈴川は大人しく黙っている。触れるだけのキスをすると、生娘のように目元を染めた。
(娘じゃないけど、あながち間違いでもないか)
舌を入れると鈴川は瞬間的に身を引いたが、やがておずおずと応えてきた。舌遣いがたどたどしい。下手くそだけれど、なんだかいいなあと思う。加虐心が鎌首をもたげ、神田は鈴川に深く口付けた。
逃げようとする腰を引き寄せて閉じ込める。舌先を吸い、上顎を舐めて、唇を甘く噛む。引きずり回して翻弄する。解放する頃には、鈴川は無防備に横たわり、とろりとした目で神田を見上げていた。
Tシャツを脱がせると、赤黒い打撲痕が現れた。二の腕の肩に近いところに一つ、脇腹に一つ。元の肌が白いので余計に痛々しい。
「ここ、どうした?」
「これは、さっき、あの人に傘で殴られて」
「もしかして、眼鏡も?」
「それは、ハンドバッグでやられました」
気が強い女性だったようだ。一昔前まではせいぜい平手打ちだったのに、恐ろしい時代になった。
「痛いか?」
脇腹に触れて問うと、鈴川は首を振った。
「こっちは?」
二の腕の痕にキスをする。
「平気です、けど、あの、」
肩、鎖骨、首筋へと上りながら肌をまさぐった。女性のようにやわらかくはないけれど、触れているだけで心地いい。
いたずらに乳首を舐めてみる。
「……ぁっ」
隠しようもない甘い声に驚いたのは、鈴川の方だった。
「う、うそ……ちがっ、や……あんっ」
軽く歯を立ててみる。舌先に当たるかすかな凹凸が愛しい。小さくて吸いにくいが、育てたら大きくなるだろうか。
胸だけではなく、身体中ぜんぶ自分好みに染められたら――それは、今まで誰にも抱いたことのない欲望だった。逆らう理由はない。神田はスウェットの上から鈴川の太腿を撫で、中へ手を入れた。
「か、神田さ……っ」
鈴川は上擦った声を出したけれど、抵抗はしなかった。そのまま進んでいって下着の上から触れる。鈴川は神田の胸に顔を埋めて震えていた。ゆっくりと上下に手を動かすと、生暖かい染みが広がっていく。
下着ごとスウェットを剥ぎ取り、閉じようとする脚をこじ開ける。鈴川のものは色が薄く、ほとんど使われていないようだった。
「……見ないで」
鈴川は腕で顔を覆い、消え入りそうな声で言った。
脇腹や脚の付け根をなだめるようにさする。直に触れると、先端にぷくりと蜜の玉が生まれた。細い腰が揺れる。神田のてのひらの中で鈴川の熱が高まっていく。とろとろと蜜があふれ、あえかな吐息に快楽が滲む。
「鈴川、気持ちいい?」
問うと、鈴川はかすかにうなずいた。もっとよくしてやりたい。とろけさせたい。
触れられてもいないのに、神田の下着は持ち上がっていた。欲情していることを自覚すると、気が急いた。早く欲しい。
(でも、初めてなんだよなあ)
ちりちりと焼け焦げていく理性で考えた。何かないと傷つけてしまうだろう。巡らせた思いは、チェストの一番下に至った。
「鈴川、ちょっと待ってて」
薬箱から軟膏の容器を取り出す。ついでに別の引き出しから四角いパッケージを一つ。
「手際悪くてごめんな。久しぶりだからさ」
鈴川は腕の下から神田を見上げていた。これから何をされるかわかっていないようだ。あるいは、眼鏡をしていないので、神田が何を持ってきたのか見えていないのだろう。平たい容器から半透明の薬をたっぷり指に取る。
「ひっ! あっ、なに……っ」
「あかぎれとかに塗る油。期限切れじゃないから安心しろ」
「そこ、やっ……うぅ」
膝を曲げさせ、周囲に軟膏を塗り込んだ。二人の体温で油が溶けていく。指先がどうにか入った。ゆっくりと進めていき、まずは一本、根元まで呑みこませた。
「痛い? 大丈夫?」
「……大丈夫、です」
抜き差しをくり返すうちに、感触の違うところに気がついた。軽く押してやると、鈴川は腰を浮かせて身悶えた。
「ぁッ……あんっ」
ここが前立腺らしい。体験はないが、風俗店でそういうマッサージがあることは知っている。
細い腰が艶めかしく揺れる。必死に快楽から逃れようとしているようにも見えるし、誘っているようにも見える。軟膏を足し、指を増やして中をかき回した。内壁がねっとりと絡みつき、くちゃくちゃといやらしい音がする。
「んっ、はぁ……あっ」
指を引き抜くと、溶けた軟膏があふれ出て、シーツにいやらしい染みを作った。淫靡な光景に喉が鳴る。苦しいくらいに自身がいきり立っているのがわかった。
もどかしく服を脱ぎ捨てる。ゴムをつけたときのパチンという音に、鈴川が腕を外してこちらを見た。潤んだ瞳が揺れている。心臓の上の皮膚を引っかかれたような気がしたが、止めるつもりはなかった。
「力抜いて」
脚を抱え上げ、後孔に先端を当てる。腰を進めると、端正な顔が歪んだ。見開かれた目から涙がこぼれ落ちる。鈴川は指先の色がなくなるほどシーツを握りしめ、歯を食いしばっている。喉が反り、引きつれた声がかすかに聞こえた。
入念に解したつもりだったが、食い千切られるかと思うほどきつい。
「鈴川、息止めないで」
覚束ない呼吸の合間を縫って少しずつ自身を沈めていく。震える呼吸をうながすように、抱きしめて何度もキスをする。不規則に上下する胸を愛撫し、やさしく髪を梳いた。
時間をかけてすべてを収めたが、とても動けるような状態ではない。
「ごめんな。辛いだろ?」
鈴川は首を振った。まばたきのたびに、雫がこめかみを伝う。
「無理しなくていい。やめるか?」
「やだ……やめないで」
か細い声が腰の骨に突き刺さった。本当はすぐにでも思う様突き上げてしまいたいが、何も知らない彼に苦痛だけを刷り込みたくはない。神田は泣き濡れた目元にキスを落とした。張り詰めた肌に掌を這わせ、萎えてしまった鈴川のものを扱く。ゆっくりと、奥をこねるように腰を揺すった。
時間をかけて馴染ませていくうちに、鈴川の吐息が熱を帯びてきた。締め上げるばかりだった内壁がうねり、深みへと誘いだす。
「ん、あッ……あっ」
少し腰を引いて奥まで埋め込む。いいところに当たるよう、角度をつけて抽挿する。鈴川は悩ましげに眉を寄せた。
「苦しくないか?」
「ん、うんっ……きもちい……ぁッ、や、中……っ」
「おっさんときめかせてどうすんの」
潤んだ目でじっと見つめられ、舌足らずに気持ちいいなんて言われたら、大きくなってしまうのも仕方がない。
抜こうとすると粘膜が追いすがってくる。深く穿つと鈴川は高い声で啼いた。
「あっ、あぁ……ん、ぁ……ッ」
若い肌が神田の汗を弾く。熱い秘肉に揉みしだかれ、下肢がとろけそうだ。交接部からの卑猥な音が理性を揺さぶり、自制心が溶けて流れていく。神田は細い腰を引き寄せ、欲望のままに突き上げた。
「ひぅっ……あッ、ああっ」
開かれた鈴川の身体はたまらなくよかった。この年になってこんなにがっつくことになるとは思ってもみなかった。穿つたび、鈴川は甘い声をこぼして乱れた。白い頬がほんのりと桃色に染まり、半ば開いた唇は艶めいている。何も見えていない目が、神田を切なく捕らえて離さない。
「そんなエロい顔すんの、ずるいだろ」
やがて鈴川は自ら屹立に手を伸ばして扱き始めた。恍惚と自慰にふけり、いやらしく腰を揺する。淫靡な光景にくらくらする。
内壁が収縮し、限界を訴える。神田もあまりもちそうになかった。欲に任せて腰を打ちつける。気持ちいいということしかわからない。鈴川が震え、中がぎゅうっと締まった。存分に熟れた秘肉を割って最奥を突く。
「や……あ、ぁっ……ああぁッ」
白濁が噴きこぼれ、鈴川の腹を汚した。きつく絞られ、神田も堪えきれずに達した。視界が明滅するほどの悦楽に、深く息を吐く。
鈴川の絶頂は長かった。神田を銜えこんだままひくひくと痙攣している。幾度も余韻に身悶え、過敏になってしまった神経にすすり泣く。頬も唇もピンク色に染まり、甘美な匂いを撒き散らしている。
(あの鈴川が、こうなるのか)
興奮が去って冷静になりつつある頭の片隅でそんなことを思った。自分の他には誰も見たことがないだろう。子どもっぽい優越感がわき、にやついてしまう。
引き抜くと、鈴川は鼻にかかった声を漏らした。横になり、火照った身体を腕の中に閉じこめる。髪を梳いて、汗に濡れた額にキスをした。鈴川はされるがままだ。見れば、まぶたが落ちかかっている。
「神田さん」
「ん?」
「明日、午前休ください」
言うなり、鈴川は目を閉じた。猫のように身をすり寄せてくる。このまま眠るつもりらしい。
今この場で言うことじゃないだろうとか、もっと色っぽいことは言えないのかとか、思うところはあるけれども、消耗させたのは自分だ。
「ダメとは言えないよなあ」
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