始まりの予感

 暇な日もあれば、たまには忙しい日もあった。今日はその、たまにある忙しい日である。

 上司に言われ、業界最大手の会社に打ち合わせに向かっているのであるが、上司は大手の会社との取引があまり好きではないようである。相手は大企業、こっちは吹けば飛ぶような小企業である。そんな会社に長年勤務していれば、大企業を相手にすることで疲弊していくのであろう。そして今日は上司には別の仕事が入っており、俺一人でその大企業に向かっている。

 俺は大企業との仕事は今のところ嫌いじゃない。むしろ大企業と接点がある事が、一度は社会からドロップアウトしそうになった、いやもうドロップアウトしていたかもしれない、そんな俺の唯一の社会との接点と感じていた。別に大企業だけが社会であるなどとは思っていない。しかし俺が務める小企業は、俺のような男でも採用してしまうような会社であり、この会社自体が社会からドロップアウトしているのではないか、そう感じていたのである。


 その会社は大きなビルを自社ビルとして所有しており、かなりの広さである。俺のいる会社ならば、そのビルの一フロアのさらに三分の一の広さもあれば社員全員がデスクを置くのに十分であろうと思われ、こんなに広いのだから社員もたくさんおり、果たして定年までに一度も会う事のない同僚もいるのではないか、などと考えながら、受付で名前と行き先を告げた。

 入館証を渡され、エレベーターホールに向かうと、最近経験したばかりの、なんとも言えぬ眩しさを感じた。

 彼女である。ここに、唯一俺が社会との接点と感じている大企業に彼女がいるのである。彼女も俺に気づき、彼女のほうから話しかけてきた。もちろん俺から話す事などない。話す事があるのなら、クラス会でとっくに話している。彼女だって俺に話す事などないだろう。案の定、なぜここにいるのか、俺が打ち合わせに来た相手は会った事がないので知らない、そんな言葉を交わしただけで彼女は行ってしまった。

 やはり大きな会社には定年まで会う事のない同僚がいるのであろう。


 彼女と偶然会ってから、俺は落ち着きがなくなってしまっている。暇な仕事が上の空になり、余計に仕事をしなくなる。この気持ちはなんなんだ。俺は彼女の事が好きなのか。そして俺がとった行動は、ヒカルに電話をするという事である。


 ヒカルに電話をする約束はしていたが、なぜ彼女と会ったタイミングで電話をしようと思ったのかは分からない。ヒカルと彼女が仲が良かったという記憶はないし、ヒカルが仲良くしている四人組の中に彼女はいなかった。

 ただとにかく、俺はヒカルを遊びに誘った。彼女の事を忘れようとしたのかもしれない。もしくは、ヒカルが彼女を誘うだろうという、微塵の可能性もない期待をしたのかもしれない。

 その晩、ヒカルに電話をかけ、遊びに誘った。そして俺は男を何人か集め、ヒカルは女を何人か集め、みんなでキャンプ場に行く事になったのである。

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