第18話 海に包まれる

 その日、俺たちは一緒に星を見ることになった。俺はそのまま、高瀬さんと部室にいようと思ったけど、「授業には行ってきなさい!」と言われてしまったため、午後の授業にもしっかりと出た。


(そういえば、高瀬さんこそ授業に出なくていいのだろうか?まあ、あんなに泣き腫れた目じゃ人前には行けないよな。)


 そう思った時に、高瀬さんが子供のように泣いていたのを思い出して笑ってしまった。




 授業後、俺はお腹がすくので、近くの弁当やで日替わり弁当を買って部室に持って行った。もちろん高瀬さんの分も。そういえば、高瀬さんと食事をするのは初めてだ。

 高瀬さんに弁当を渡すと、予想以上に喜んだ。


「すごい。」


 弁当を見つめて目を輝かせている。俺たちは、パイプ椅子をテーブルの近くに持ってきて座った。


「あの、これただのテイクアウトの弁当ですけど…。」


「美味しいよね。僕、とても久しぶりに食べるからさ。今日のも美味しそう。」


 さすがというか、何というか…いい時計をしているだけある。


「…あの、高瀬さんってもしかしてお金持ち?」


 言ってしまってから、ストレートにききすぎたと反省する。だが高瀬さんはあまり気にしていないようだ。


「うーん。僕は普通のつもりのことが多いんだけど、父が会社を持ってるからそうなのかも…」


 そう言って、さっそく弁当を開けて今日の日替わりおかずのエビフライを一口食べた。


(やっぱりか…)


 俺は薄々思っていたのだ。だって、時計はいつも同じものではなくて、結構何本も持っているみたいだったから。しかも、全部それなりのブランドものを…


「うん、美味しい。」


「良かったです。でも無理しないでくださいね。」


「ううん。本当に美味しいから。」


 高瀬さんは微笑んで、もう一口エビフライを食べた。いつもの、やわらかくて俺といる時に見せてくれる本当の笑顔だ。


(よかった。)





 弁当を食べ終えて、高瀬さんがコーヒーを入れてくれた。簡易的ではあるがドリップ式で、お湯を入れたとたんにいい香りが漂いだす。

 俺の前にマグカップが置かれた時には部室の中はコーヒーの香りでいっぱいになった。


「どうぞ。」


 高瀬さんに優しく微笑みかけられ、一口飲んでみる。実は俺はブラックコーヒーが飲めない。しかし、それでもいい豆を使っていることはわかった。香りが鼻から抜けて、コクがある。だが…


「すみません。高瀬さん、実は俺コーヒーにはミルクと砂糖を入れないと飲めなくて。」


 高瀬さんは驚きもせず、くすっと笑った。


「ふふふ。やっぱり君は面白いね。大丈夫だよ。そのコーヒーはミルクと砂糖を入れても美味しいよ。」


 そう言って、砂糖とミルクをテーブルに置いてくれた。





 




 コーヒーを楽しみながら話をしているうちに、俺はいつの間にか寝てしまっていたようだ。


「…くん。宙くん。」


 俺は高瀬さんの声で目が覚めた。気が付くと、部室の端に寄せておいてあるソファーに寝ていた。体の上にはブランケットがかけられている。


「…すみません。俺すっかり寝ちゃってたんですね。」


「うん。きっと疲れてたんだね。」


 そう言って高瀬さんは、窓の方に歩いていく。辺りはすっかり暗くなっていた。窓の外からの灯りとランプが眩しい。

 それにしても俺はいつソファーに移動したんだろう。まさか、高瀬さんに運んでもらったのだろうか。前にも思ったのだが、あの細い体のどこにそんな力があるのか。


「宙くん、今日はとてもきれいに星が見えるよ。東京の夏にしては珍しいね。」


 高瀬さんに声をかけられて、俺も窓の方に行く。確かに今日は暗闇に目が慣れているからかもしれないが、星が明るい感じがする。

 昼は雲が多かったのに今はすっかり晴れていた。


 高瀬さんはいつものように、前髪を手で押さえて、望遠鏡を覗きこんでいる。

 俺は高瀬さんへのプレゼントのことを思い出した。鞄を持ってきて中から水色の小さな紙袋を取り出す。


「高瀬さん。」


「何?」


 高瀬さんは、望遠鏡を覗いたまま答えた。


「高瀬さん、こっち向いてください。」


 高瀬さんが顔をあげてこちらを向く。手は前髪を押さえたままだ。

 やっぱりこの目は深い。吸い込まれそうだったけど、温かくて高瀬さんそのものを表しているみたいだった。


「高瀬さん、これ、この前転んで助けてもらった時のお礼です。」


 俺は紙の袋を差し出す。高瀬さんはそれを受け取って中身を取り出した。


「これ…ピン?…僕に?いいの?」


「はい、いつも前髪手で押さえてるから、望遠鏡覗くときに便利かなって。」


 高瀬さんは、目を輝かせて微笑んだ。


「ありがとう。」


 そう言って、さっそく髪にピンをつけた。クリップタイプにしたから自分でもつけやすそうだった。

 高瀬さんは俺に顔をずいっと近づけた。


「どう?似合ってるかな?」


「近寄ったら見えにくいです。…はいよく似合ってます。」


 俺は高瀬さんを押し戻しながら答えた。


「ふふふ。やっぱり君は面白いね。」


 高瀬さんはまたくすっと笑った。


「どこがですか。」


「うーん…全部かな。」


 そこだけ妙に真顔で答えられて、俺は溜息をついた。


「はあ。」


 でも、高瀬さんの笑顔を見ると俺も楽しい。




 この人にはずっと笑顔でいてもらいたい。



 深くて吸い込まれそうな深い海、そのもののように。

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