第15話 海の深さ
緑茶の入ったマグカップが目の前に出され、先生が椅子に座るまでの時間が俺にはとても長く感じられた。
「えっと、ああそうそう。何から話せばいいんだ?」
保険医はやっと座ってお茶を一口すすってから口を開いた。
「先生が知っていることを教えてほしいんです。」
「うーん…まず何でさっき会った事を知ってたかっていうと、三島の恋愛相談を受けていたからだ。…これはあまり周りには言っていないんだが、高瀬―海斗は俺のいとこなんだ。それをたまたま知った三島が、俺にどうにかするように言ってきた。」
初耳だ。いろいろと新しい情報が入ってきて、混乱しそうな頭の冷静さを必死に保つ。
―なるほど、いとこと思ってみてみると、少し面影がある。
「それで、お前が階段から落とされそうになった後すぐに、三島は俺のところに来た。海斗を怒らせちまったってな。」
なるほど、確かに高瀬さん結構怒ってたもんな。
「そうだったんですね。…今朝三島さんがコーヒーをかけた事件の後もすぐ来てたんですか?」
「それは来てなかったな。自分で謝りに行こうと判断したらしい。あの三島が自分から謝ろうなんて、よっぽど海斗が好きなんだな。」
「はあ。…あ、そういえば。」
俺は忘れかけていたが、単純な疑問を口にした。
「何で三島さんは、高瀬さんのことが好きなんですか?」
「え?」
「だって、あまりちゃんと話したことがないって言ってたから。」
「…ああ、それは海斗が無意識にやったことが、三島の心に刺さってしまったらしい。」
そう言って自分の胸に何か棒状のものを刺すしぐさをする。まったく、こんな時までふざけた人だ。
「どういうことですか。」
「前に三島がキャンパス内でヒールを折ってしまった事があるらしくてな。周りはざわついたけど、誰も助けようとはしなかったんだ。そこへたまたま通りかかった海斗が手を差し伸べた。三島は、王子様みたいな微笑みで私の心まで助けてくれたって言ってたけど、あの微笑みがあいつの無表情なんだがな。」
そういってけらけらと笑う。いとことはいえ、性格は高瀬さんとあまり似ていないようだ。
「海斗にしたら、何が何だかわからないだろうな。あいつはたぶん、目の前でかがみこんでる人がいたから声をかけただけであろうに。まさかそれが原因で好意を持たれたんだからな、ふふふ。」
そういってまた、くすくすと笑う。
確かに高瀬さんのような人だったら、それで好意を持たれても不思議に思うかもしれない。
「でも海斗は覚えてすらいないらしい。」
そういってようやく笑うのをやめた。
「え、覚えてないって、三島さんに声をかけたことをですか?」
ヒールを折ってしまうシーンに出会うことはそうない。俺だったら相手のために忘れようと努力はするが、言われれば思い出しそうだ。
「うん、あいつは興味を持った相手との会話じゃないと、ほぼどっかに意識飛ばしたまんまだからな。まあ今まではほとんど、そういう相手はいなかったんだけど…。」
そう言えば三島さんも、高瀬さんが上の空とかそんなような話をしていた。それを保険医に伝えると、彼はうなずいた。
「そうそう。三島本人からも、そのことについては相談されて教えたんだ。そしたら、海斗に最初に興味を持たせるのは私だって張り切ってたんだけど、お前が現れて状況が変わったんだ。」
「え、俺ですか?」
俺は人と話す高瀬さんを見たことがなかったから、俺と話してる感じが誰にでも同じなのかと思っていた。
「うん。何回もアプローチしてた三島よりも、いきなり現れたお前が先に興味をもたれたから嫉妬もするだろうさ。まあ海斗も、三島に関してはしつこくていい印象は持ってなかったみたいだけどな。」
そう言って、下を向いていた俺の顔を困ったような笑顔でのぞき込んだ。
「はあ……。」
なんとも複雑な気持ちだ。
「まあとにかく、お前は海斗にとって特別な存在ってことだな。友達なのか恋人なのかは知らないけど…」
そう言っていかにもという感じの、意地の悪そうな笑顔をうかべる。
「友達っていうか、ただの先輩と後輩ですよ。俺そろそろ帰ります。お話しありがとうございました。」
(もう、この人ほんとに嫌だ!!)
俺は照れる必要もないのに顔が熱くなるのを感じて、さらに嫌になる。
「お?怒ったのか?」
(そうだよ!!)
のどまで出かかっていた言葉を飲み込んで俺は席を立つ。そのまま荷物を持って、ぶっきらぼうに扉の方に向かった。
「おい。」
「はい、まだ何か。」
まだ俺をからかい足りないのか。冷やかしだったら承知しないと思いつつ振り返る。
「海斗のことよろしく頼むな。」
「…はい。」
不意打ちの意外な言葉に、ただ返事を返すことしか出来ずに俺は保健室を出た。
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