第8話 温かい背中

 立ち上がれないままいろいろ考えていると誰かが駆け寄ってきた。


「宙くん!」


 振り返ると高瀬さんが立っていた。軽く息を切らしている。


「高瀬さん…?」


「大丈夫?部室から宙くんが転んだの見てたんだ。結構大きく踏み外してたから怪我とかしてないか心配で見に来たんだけど―」


 そう言ってしゃがみ込み、俺を見る。脚などもひとしきり確認された。


「擦り傷と打ち身だけみたいだね。立てそう?」


「それが、なんか立てなくて…」


「うーん…きっと驚いたんだね。しばらくすれば、大丈夫になるんじゃないかな。とりあえず、保健室に連れて行きたいから。」


 高瀬さんは俺に背中を向けてかがんだ。俺はその背中によじ登って肩につかまった。


「すみません。」


「いいよ。全然。」


 そう言って高瀬さんは立ち上がる。思ったよりも力強く持ち上げられた。

―何だか懐かしい感じがする背中。高瀬さんは優しい。優しいけど、見た目の雰囲気は温かくなさそうで人間味がないというか何というか。でもこの背中は温かい。


(高瀬さんが来てくれてほんとに良かった)




 


 気が付くと俺はベッドに横になっていた。


「うーん…ここどこ?」


「お、起きた?よく寝てたね。ここは保健室だから大丈夫だよ。」


 そう言って保険医の先生は仕切りカーテンを開けて入ってきた。


「俺寝てたんだ…高瀬さんは?」


「あー、あいつなら自分の背中で寝ちゃったみたいだけど怪我してるから見てやってくれって言い残してどこかに行っちゃったよ。」


 若い男の保険医はとても話しやすい雰囲気だった。


「そう、なんですか。」


 自分を見ると、膝と手のひらの擦り傷には絆創膏やガーゼが、打ち身にはシップが貼ってあった。打ち身と擦り傷のところはよくわからないけどいろいろ貼ってあって、我ながら痛々しい。

 ところで俺は何か忘れていないだろうか。


「あ!授業!!行く途中だったんだ!!」


「ん?授業あったの?どの授業?」


 保険医にきかれて答えると、


「あー、その授業なら今日は休講だよ。」


「え…」


 俺は急いでスマホを出し、急な休講を知らせるメールが来ているのを確認する。


「メール来てた。」


「そうそう。先生が夏風邪らしいよ。」


 へえ…でも先生同士ってそんなに情報を共有しあっているのだろうか。


「詳しいですね。先生同士仲いいんですか?」


「いや、別に。」


「…じゃあ何で知ってるんですか?」


「何でって、昼休みに学食で飯食ってたら知り合いの女子生徒が教えてくれた。」


 なるほど、よく見ると顔は整っており、髪は黒だが今風にセットされていて、ピアスはしていないが穴は開いている。俗にいうイケメンか。


「はあ、そうなんですね。」


 なんだか力が抜けていく。俺は何のために転んで怪我をしたんだろう…。自分で言うのもなんだが不運だ。

 今思ったが、高瀬さんにお礼も言っていない。


 そう思いながら、ベッドから降りようと体の向きを変えた。


「もう立てそうか?」


「はい。ありがとうございました。」


「そうか、良かった…。名前と学部は?」


「経済学部の広川宙です。」


「広川君ね…よし。はい、了解っと。絆創膏替える時は消毒な。」


 そう言って何やら取り出した紙に書き込んでいる。手当をしてもらったら何か書類に書くことがあるのだろう。


「ところでさ。」


 用紙を書き終えた保険医が顔を上げた。


「お前、高瀬と仲いいのか?」


「は?いえ、何度か話したことはありますけど…何でですか?」


「いや、高瀬は人と群れないって聞いてたから。お前を連れてきたときにちょっとびっくりしてさ。」


 そうか。俺も高瀬さんと実際に話をするまではそう思っていた。


「仲良くなれるといいな。」


 保険医はそう言って笑った。


「…はい。お世話になりました。」




 もう一度お礼を言って保健室を出ると、俺はまっすぐ天文部へと向かった。


 しかし扉の鍵は閉まっていた。ノックしてみても返事はない。高瀬さんは帰ってしまったのだろうか。

 俺も授業がないので帰ることにした。



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