第7話 海と青

 俺は高瀬さんと始めて話した夜以降、週に二、三度ほど天文部室に顔を出している。

 次の週、ゼミの作業がなく、授業の後は何もない日に再び部室に行った。

 時刻は午後6時頃、まだ夏の太陽は沈んでいない明るい時間なので、高瀬さんが部室にいるかはわからなかった。


 部室の前に着くと暗い時間についている灯りは見えず、相変わらず静かだった。

 引き戸に手をかけると、鍵は開いていた。


「失礼しまーす。」


 俺は声をかけながら中を確認する。


「はい。」


 高瀬さんだ。今日も大きな窓の前に立っている。近くに置いてあるパイプ椅子に手をかけ、窓の外を見上げていた。

 

 ここは4階建ての校舎の2階だが、窓の外は広い中庭になっているので見張らしは良い。中庭にはベンチがいくつかと花壇や池があるが、人はあまりいない。普段から校舎間の移動でたまに通るくらいだ。


 高瀬さんはこちらを振り向いて言った。


「ああ、宙くん。今日はどうしたの?」


「あ、いえ、その。また見てもいいですか、星。この前みてきれいだなって思ったから。」


 特に用事と言われてもないので正直な気持ちを答えた。


「そう。まだ星はでてないから、少し待たないといけないけどいい?」


「はい!もちろん。」


 高瀬さんは優しい笑顔だ。つい顔をみてしまう。


「高瀬さんは今、窓の外、なに見てたんですか?」


「空だよ。」


「空?」


「うん。青くて広い空。いつ見てもその表情はどんどん姿を変化させて同じときが一度もない。」


 そう言って高瀬さんは目線を窓の外に向けた。俺も外を見る。

 今日は天気もよく、澄みきった夏の空というのはいかにもこういうことだろう。


「爽やかでいいですね。」


 気がつくと言葉になっていた。


「ふふふ。やっぱり君はおもしろいね。」


「え、何がですか?」


 今の感想のことだろうか。俺は恥ずかしくなって視線を床に落とした。すると、高瀬さんは俺に正面から顔を近づけた。


「そういう素直でまっすぐなところ。」


視線を上げると高瀬さんと目があった。吸い込まれそうな目。今日は眼鏡をかけておらず、前髪が目にかかっているが、これだけ近くであればよく見えてしまう。


「あ、はい。ありがとございます。」


 俺は緊張と驚きとでロボットのように答えてしまった。


(何やってんだ、俺は!ますます恥ずかしいわ!)


 高瀬さんは優しく微笑むと、再び窓の外を見はじめた。

 やっぱり不思議な人だ。


ーもっと知りたい。


(…もっと知りたい…やっぱり気になるのか?)




 次の日、俺は午後の空きコマの時間で友達と話していたら時間を忘れて話し込んでしまい、授業に遅刻しそうになっていた。俺しか授業を、とっていない時間だったので、皆でいても誰も気がつかなかった。


(まずい!出席、授業の頭でとるやつなのに…)


 そう思いながら中庭を走った。元気な向日葵の咲く花壇を抜けて階段をかけ降りる。

 すると不意に地面に吸い込まれるような感覚に落ちた。


「ん?」


 ドタン。


 大きな音がして体に衝撃が加わった。

 反射的に閉じていた目を開けると、そこは地面だった。どうやら階段を踏み外してしまったようだ。


「痛てて。」


 何とか上半身を起こした。手もついたし、顔や頭からは血が出ていない。しかし、立ち上がろうとしても脚に力が入らない。骨は折れていないようだが、かなり痛む。隣の校舎は部活やサークルの部室が多いため、今の時間は人がいないだろう。

 俺は状況を整理することに努めた。


(えっと、きっと骨は大丈夫で、痛いけど痛いから立てないってよりは力が入らない?俺はいったい何段踏み外したんだ…?)

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