第6話 青空の君

 授業が終わると学生たちは一斉に席を立った。時計を見ると昼過ぎ、昼休みだ。ランチの話をする声が近くでも遠くでも聞こえる。

 次の教室に行くのもまだ早いような気がして、何とはなしにいつも座っている中庭のベンチに来ていた。

 ベンチの背もたれに身を預けて、顔を斜め上に向ける。


(空って青いよな。青って言っても水色っぽいけど。)


 そんなことを考えているといつの間にか頭が空っぽになる。


 どれくらいの時間がたっただろう。急に視界に顔が現れた。


「高瀬さん。」


「ん?宙くん?…おはよう。」


 声をかけてきたのは、先ほど教室で見かけた広川宙だった。彼は髪を明るめのブラウンに染めて、癖づけた流行のヘアスタイルだ。耳が少し隠れるくらいの、どちらかというと可愛らしい髪形がよく似合っている。

 宙くんは僕の顔を何だか心配そうにのぞき込んでくる。宙くんの瞳は澄み渡り、何の汚れも知らない。誰でも包み込んでくれるような、寛大で温かさを感じる視線。ずっと近くで見ていても拒まれることのない目―


「おはようございます。高瀬さん、ここで何してるんですか?」


「うーん…何も、してないかな。」


「…ずっとここにいたんですか?」


「うん。まあ、ずっとではないけど昼休みが始まってから。」


 どれくらいの時間がたったのかはあまりわからない。僕は体を起こして彼に向き合う。


「え!じゃあもう三十分はここにいるじゃないですか!?こんな暑い時期にそれは危ないですよ。ちゃんと水分とかとってくださいね。」


 そうか。もうそんなに時間がたっていたのか。宙くんは本当に僕のことを心配してくれているようだ。


「…ふふ。大丈夫、今から自動販売機でも行ってちゃんと水を買うよ…ああ、そういえばお昼も食べてなかったかな。」


「えぇ。…高瀬さん大丈夫ですか?」


 宙くんはちょっと呆れたように苦笑いしている。


「うん、平気。よくあることだし。」


 そのとき、少し離れたところから宙くんを呼ぶ声がした。友人だろう。宙くんは友人に返事をしてから、もう一度僕の方に向き直る。


「俺、もう行きますね。あ、そうだ!高瀬さん、何も食べないよりはいいと思うので、これよかったらどうぞ。」


 そう言って彼は鞄から「食べきりサイズ、持ち歩きにも便利!!」と書いてある手のひらくらいの大きさのチョコレートの袋を僕に差し出す。


「え、いいの?」


「はい。ちゃんと食べてくださいね。じゃあ俺行きます。」


 宙くんはそのまま僕に袋を押し付けて行ってしまった。


 彼の背中を見送った後、チョコレートの袋をあけ、一口サイズのチョコレートを一つ、つまみ出す。そういえば、甘いものはあまり得意でなかった気がする。そう思いながらも小さくてコロコロした塊を口に放り込む。


(甘い。)


 しかし、それは嫌な甘さではなく、強張っているわけではない心も解けていくような優しい甘さだった。


(こういう味なら甘いものも悪くないかも。)


 美味しいものを人に贈る。時に気持ちをのせて。


(これは人間ならではの良さかな。)





 その日、何となく海に来た。考え事をしていたのだと思うが、気が付いたら来ていた。

空はもう、夕焼けから暗くなり始めている。砂浜の堤防に座って地平線を眺める。―なぜだろう。海を見ていると懐かしいような恋しいような気持になり、しばらくすると心が静かに落ち着いていく。


「なんでなんだろう―」


 自分で自分にきいてみる。抱えた膝に顔をうずめて首筋をすり抜けるかすかな風を感じた。



 ここには無数の命がある。

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