残されたB「フェイスオブザワックス」

 受付で帰り支度をしていた岡と会釈を交わし、二人は再び薄暗く細長い階段を上り二階から順番に上下へと巡回することにした。

 勉学に励んで疲弊した生徒と熱意ある授業を繰り広げた講師陣をを吐き出し切った四階建てのビルは二人の探偵と一人の雇われ老警備員を残し周りの高層ビルに迎合するようにして真っ暗に消灯しており、三人はそれぞれ一本ずつ小型の懐中電灯を所持して夜間のそれぞれの仕事をすることになった。


 カツン、カツン。


 鼠色のコンクリート製の階段と二人の少女の艶やかな黒の革靴とがぶつかり合う音が夜の静寂の中にこだまする。

 その響きは夕方にもまして誰かが独白するときのような寂しさがこもっているようで一層不気味さをはらんでいた。


「はぁ……今からこの階段を何往復もしなきゃいけないと思うと勝手に足が重くなってきたわ」


 先ほど永嗣とわかれた時の威勢の良さはどこへやら、早速仕事内容を愚痴っていた。


「そうですね、いくら時川さんが私たちのいない階を見回ってくれているとはいえ十分おきに見回る階層を交代するとなると明日の朝には足が棒になってそうですね」


「ほんとよ。あーあ今頃あいつは事務所でガッツリ仮眠でも取ってるんだろうな……」


「ふふっ、私たちもこの仕事が終わったら近くの喫茶店でお茶でもして帰りましょう」


「そうね、それがいいわ。なんか今からお腹すいてきたわ」


 そんなたわいない会話の間にいくつもの踊り場を越え、二人は三階にたどり着いた。

 初期配置は探偵二人が三回から、老警備員時川が二階から見て回ることになっている。

 ここから十分に一度、その階にあるすべての部屋を点検し終えたのち一つ上の階に移ってゆくのだ。

 当初は唯一魔術師と渡り合うことができる五織を先頭に時川も一緒に各階を回っていく予定だったのだが、


「老人扱いするんじゃない。自分の仕事くらい自分でやるわい」


 と、かたくなに言って聞かないので仕方なく先ほどのような二組が一階以上離れないようなシフトで見回ることになったのだ。


 二人は円形の懐中電灯の明かりを動かしながら階段室を出、三階の調査に乗り出した。


 一条探偵事務所としての具体的な調査内容は二つ。


 一つはこのビルを拠点としている魔術師の本体および工房を発見し確保、さらに行方不明の三名の被害者の居場所を聞き出すこと。

 二つめは事件の再発防止のためこのビルそのものに何か魔術的な仕掛けが施されていないかを魔術師である五織の目から見て確かめることだ。


 優先順位は一つめ、そして二つめの順番である。


「自分たちの調査で死人を出してはいけない」


 それがこの探偵社が百年以上もの間掲げ続けているモットーなのだ。


 階段室突き当たりにある3A教室、その隣にある職員しか入れない事務室兼用具倉庫、そしてその向かいにある大教室である3B教室と、最奥にある小さな3C教室。最後に3Cの向かいにあるトイレを調べて三階の調査は終わりになる。


 先を照らさなければいけないぶんどうしても足下がおろそかになってしまい、幾度も肩をぶつけ合いながら二人は順調に捜査をしていた。


 まず琴葉が部屋の扉をスライドして開け、そこを『呪力視』の術を目に施した五織が右手に旧楢崎邸にそびえる樫の木でできた楢崎に代々伝わる小太刀を、もう一方の手に懐中電灯を持った二刀流スタイルで突入。

 何も魔術的な異常がないことを確認したのち時川と同じように一般の不審者への警備もしてから次の部屋に移る、という流れだ。


 そして、たいした反応もないまま三階の調査は終わろうとしていた。


「結局三階には何もなかったわね」


「そうですね。本当はその方が良いんでしょうけど……こうも制限時間のようなものが設けられた状態では複雑な気分ですね」


 女性講師、岡 果穂や琴葉の兄である魔術師、一条 永嗣の言葉が二人の頭をよぎる。


「こんな言い方も何だけど……次の階で見つかると良いわね、解決の糸口が」


「そう……ですね。ありがとうございます、五織ちゃん」


「急にどうしたのよ?」


「あなたがいなかったら私は……いえ、私たちはこの事件から手を引く他なかったかもしれませんから。このタイミングで五織ちゃんが兄さんに弟子入りしてきてくれたこと……それも運命じゃないかなって思えるんです。だから、ありがとうございます、五織ちゃん。この事件を一緒に解決して無事に兄さんの弟子になって下さいね」


 急に感謝の言葉を述べられて顔を赤らめる五織。

 彼女にそんな言葉をかけてくれる人間は今までいなかったことも手伝って五織にはこの手の言葉に免疫がないのだ。


「な、なに言ってるのか全然分かんないけど! でも……こちらこそ……ありがとう。なんか、そんな風に言ってもらえてわたしも嬉しい……っああもうこの話はなしなしっ。ほらさっさと交代して次の階の調査に行くわよ」


「はいっ、次も張り切って行きましょう」


 和気藹々わきあいあいとした雰囲気でいっぱいになる三階。


 しかし、このとき一つ下の階では凄惨な事件が起こっていたのだ。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……ダスケ……ダスケテクレ……ダレカ……」


 下階からのしわがれた男性の悲鳴が階段室を反響して三階にまで伝わってくる。

 とっさのことに一瞬足が動かなかった五織だったが、背後から琴葉が背を押したことでその状態をなんとか脱し、急いで長く暗い階段を駆け下りる。


 そのままの勢いで二階の階段室の重たい鉄製の扉を開く。たてつけが悪いのか、下の鉄製の段差に扉が擦れた。


 そこで二人が目にしたのはのっぺりとしたろうでできたフェイスマスクを着け、背には裏地が真っ赤に焼けた金属のようになった闇色のマントを、高所に位置する頭にはちょこんとシルクハットを乗せた道化師マッド・クラウンのような長身痩躯の気味の悪い男性と……その眼下で腰を抜かしまるで赤子のように床を這う時川警備員の姿だった。


 仮面の上からでも分かるくらい、男は全身から身の毛のよだつような喜色を振りまきながら相対するこの空間でもう一人の魔術師に話しかける。


「いやぁあ〜〜可愛いお嬢さん。こんばんわ。そして来てくれてありがとう」


腰のあたりでポッキリと折れてしまうかのようなカクカクとしたお辞儀をしてみせる。

滑稽な動きではあったが、この大仰な男の動きの節々には油断のならない緊張感が走っていた。


五織は悟っていた。


「ああ、これはホンモノの魔術師だ」


彼女の小さな額に冷や汗が伝った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コーデックス・オブ・エイジ 〜エセ探偵と魔術師の弟子〜 八冷 拯(やつめすくい) @tsukasa6741

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ