残されたB「夢の境にて」
面談室の出入り口から向かって正面に上階へ向かう階段室があった。
「何よこのオンボロビルは⁉︎ いまどき上にあがるのにエレベーターもないの」
かつん、かつん。
高校の制服のままで調査に来ている二人の、革靴特有の床を叩く音が狭く長い階段に響く。
かたく腕を組み施設の設備不良に文句タラタラの五織の歩調はいつもよりわずかに早い気もする。
暇つぶしに始めた建物内の調査であったが、受付横に並べられていたパンフレットによると一階には入り口正面の受付兼教師待機室とその右手にある面談室しかないらしく、普段講師たちが授業をしているのはこのビルの二階から四階の教室だというのだ。
それにしても……長い。
二人が階段を上り始めてから二階にたどり着くまでには踊り場を四つ目の当たりにした。その四つめの踊り場にようやく「二階」の文字が刻まれたプラスチックプレートが現れたときには普段から運動している琴葉はともかく、五織は肩で息をしていた。
「ああーーっ、本当にどうなってんの⁉︎ こんなとこを四階まで調査するですって……ちょっとしんど過ぎない?」
「あらあら五織ちゃん、もうお疲れですか。ほら、あそこに空いている席が……」
余裕の表情で琴葉が指差した先には薄い曇りガラスの向こうで黒板に向かって熱心に授業をしている女性講師。その手前には(病欠だろうか)一つだけポツンと空いている席があった。
「ワーホントダ……ヤッタアオスワリデキルワ……これって付き合わなきゃダメ?」
一条永嗣に仮弟子入りから二日。五織は未だに一条&枝野兄妹のノリにはついていくことができそうにない。
「ちょっとあなたたち。授業中に外で騒がないで頂けますか」
階段室から出て突き当たりにある二階にある三教室のうちの一つ、2A教室からスーツの上から白衣を着たいかにも数学講師らしい女性がまだ若い顔に皺を寄せて出てきた。
「ああ、すみません。わたしたちは……ってあれ。果穂さん?」
「あなたは……昨日の夜の」
互いの顔を驚きの表情で見つめ合う二人。
つい昨夜、永嗣と五織が旧楢崎邸にて小競り合いを繰り広げていた近くで偶然今回の事件と関係しているとみられている「幽霊」に遭遇してしまった不幸な女性こそ、この義織企画で数学を担当している女性教員ーー岡 果穂だったのだ。
彼女の勧めで、琴葉と五織は四回にある食事室で彼女の担当授業が終わるのを待つことにした。
この部屋は四階の階段室を出た突き当たりにある4A教室に隣接する生徒たちの休憩スペースであり本当にここが四階なのかと思うほどの階段を上ってきた二人にはありがたいことに、他の部屋よりもやや暖房が抑え気味だった。
各階が同じ部屋配置をしているこのビルにおいてはこの食事室は二階の自習室、三階の事務室兼用具倉庫の真上に該当する。
十分もすると岡 果穂はクラス名簿や授業教材などを右肩に掛けた黒いバッグに入れ、額を汗で湿らせながら二人の座っていた四人用のブース席に腰を下ろした。
「ふぅー疲れた。子どもたちにものを教えるのも楽じゃないわね」
火照った顔をパタパタと手で扇ぎながら、岡は先ほどの黒いバッグからスポーツドリンクを取り出し、一気に
二人をはじめに案内した江波もそうであったが、この義織企画にはいわゆる講師らしい講師というのが存在しない。
形容するならば……「場違い」。そんな印象を琴葉は受けていた。
「果穂さん、ここで働いていたんですね」
「そうよ。つい一年前くらいに採用されたばかりの新米だけどね。ところで楢崎さん……だったかしら。あなたたちは何でこんなところをうろちょろしているの? 入塾希望なら一階の受付よ」
「いえ、そういうわけではなくて……」
数秒、うーん、と適当な事情を考える。
「そう、今わたし探偵社でバイトしてて。今日はその調査でここに来たんです」
ほら、と五織は首から下げた入館許可証を掲げてみせる。
「あら、そうだったの。それはご苦労なことね」
素っ気なくそう言うと、岡はキャップをキュッと締めてスポーツドリンクをバッグにしまう。
「それで。探偵さんなんかがわざわざここに来たってことは、例の失踪事件のことでしょ」
「そうです。しかもそれは昨日果穂さんが遭遇したあの幽霊と何か関係がありそうなんです」
「ちょっと五織ちゃん」
岡との接触は全て五織に任せていたので、今回は二人の会話を傍観していた琴葉だったが下手に無関係の人間に業務内容をバラされては流石にマズイと判断してのことだった。
が、それとは対照的に五織は、
「大丈夫だって琴葉、果穂さんだってこの塾の講師なんだし事件に関わった被害者でもあるのよ。ある程度のことは話したって大丈夫よ」
「ええ、でも……」
「大丈夫さ。私も昨日のことは気になってたんだ。あの後楢崎さんに家まで送ってもらった後、なかなか心の整理がつかなくてさあ。今日も午前中までは有給をもらってたんだよ」
「そうだったんですか……」
この雰囲気には琴葉も引き下がるしかなかった。
しかし……何だろう。琴葉は言葉では言い表せないような謎めいた不快感を感じていた。
彼女ーー岡 果穂だけでなく、この義織企画全体に。
「ごめんなさい、果穂さん。まだ例の幽霊については何も分かってないの。わたしたちも全力で探してはいるんだけど」
「そう。じゃあ失踪した生徒たちの行方は? 昨日私を襲ったあの幽霊……時間がたつにつれてうちの生徒ーー宇崎くんだったような気がするんだけれど」
「……はい、そうですね。わたしたちも昨日事務所で確認しました」
「じゃあ何? あの子は死んだって言うの」
「それは……」
五織には何も答えることができなかった。
自分はまだ探偵社に加わってから日が浅い。
れっきとした魔術師である永嗣にはもちろん、一般人である琴葉にもその手の知識はまだしも実戦経験では格段に劣っている。
五織が悔しそうに左隣に目をやると、琴葉はそれを感じ取ったのか少し悩む素振りをすると短い溜息をつき、仕方なさそうに岡に向き直る。
「岡さん、事件の被害者であるあなたにだけは詳しくお話し致しますが、くれぐれも他の講師の方々や生徒の皆さんにはお話しなさらないよう、よろしくお願いしますね」
「おう、分かったよ。誰にも言わないことを誓うわ」
「まず結論を述べさせて頂くと……私たちはまだ失踪した生徒たちは死んでいないものと考えています」
「本当か」
「ええ、百パーセントというわけではありませんが。うちの所長との話し合いの結果、昨日岡さんが遭遇されたのは「幽霊」ではなく「
「……わからないわ。どう違うっていうのよ」
「幽霊は……いわゆる魔術学的にいうなら死者の魂が肉体を離れて具現化したもので、特定の目的を持つことがこの世に留まる最低条件となります。それに比べて生霊は……そうですね、簡単に申し上げますと幽体離脱したまま、その魂が具現化したものという感じで特に目的はなくずっと夢の境にいるようなもので、まだ肉体は死んでいません。
昨晩のアレは特に何をするわけでもなくフワフワとしており、こちらの様子に気づいた風でもなかったので我々は生霊であるーーつまり、被害者の生徒たちはまだ死んでいないと判断いたしました」
「なるほど……かなりオカルトチックな話だが、この目で見てしまったから仕方ないね」
「ご理解いただきありがとうございます」
カーン、カーン。
壁にかけてあった丸時計から始業を知らせる鐘の音が鳴る。
「はぁーー、じゃあ私は最後の授業に行ってくるわ」
そう言うと、黒いバッグを肩から掛けなおし岡は次の授業に立つ。
彼女が去り際に
「ありがとう、枝野さん。少し心が楽になったわ」
と、小声で言っていたのを琴葉は聞こえないふりをすることにした。
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