残されたB「冷たい空間」

 義織企画は巨大な建造物が乱立する古瀬の中心地の小ビル一棟を丸々借り切って経営していた。

 設立したのがここ二、三年であることもありそこそこの実績を残しているもののまだまだ経営状況は厳しいらしくその外観は所々にヒビが入ったみすぼらしいものだった。


 五織と琴葉が受付の職員に依頼者である佐倉の知り合いの塾講師ーー江波 公平に取り次いでもらい事情を説明すると簡単に受付を入って右に折れたところにある面談室に通された。


 面談室ーーといってもそれ自体が一つの部屋なのではなく個室が並んでできており壁には防音加工が施されているようで五織たちの他に使用している生徒がいたにもかかわらずその声は全くと云っていいほど聞こえてこなかった。


 二人を手近な空いていた個室に通し後ろ手で扉を閉めると江波は普段から何十という生徒を相手にしている塾講師らしからぬおどおどとした態度で二人の正面に腰かけた。


「え、ええと……お二人は佐倉先生からの依頼でうちの塾を調査しに来られたとのことですが」


「ええ、被害者全員の共通点であるここを調べることが足がかりになると思いまして」


 琴葉はそのまま佐倉の用意した事件資料を広げ、現段階で判明している事実を説明した。


 無論、魔術師の絡むような一般人にとって馬鹿げた話は省いて、だ。


 学校の音楽室のように小さな孔だらけの狭い空間で流暢に説得が進む。

 琴葉の丁寧な説明が功を奏してか江波の認識とは大きな齟齬もなく、彼が塾長に交渉をしてものの十分ほどで二人の調査に許可が出た。


「それで、具体的にはどのような調査をなさるおつもりですか? 塾長も積極的に協力すると仰っていますので何なりとお申し付け頂ければ」


「はい、ありがとうございます」


 律儀に頭を下げると琴葉は五織に目配せをする。


 五織は学校の制鞄から事前に永嗣に渡されていた調査要項を確認し江波に申し付ける。


「まず私たちをこの塾の生徒として一時的に入塾させてちょうだい。それと他の生徒が帰った後の夜間調査の許可も欲しいわね」


「分かりました。では私の方から今夜の担当の警備員にその旨を伝えておきますのでどうぞ今夜から調査をお始めください。他に何か私どもで準備しなければならないことはありますか?」


 五織が首を横に振ると、「そうですか」と江波は更なる報告のため再び席を立った。


「ねえ琴葉、流石にこの熟融通効きすぎじゃない?」


「そうですね。あまりにも話がトントンと進みすぎて少し気味が悪いくらいですね」


 怪訝な顔をしながら琴葉も自信が感じたことを吐露する。

 彼女の経験上、突然押しかけた施設では怪訝な顔をされてそこから何とか一週間あまりの時間をかけてやっと調査に乗り出せるようなものなのだ。

 事前にアポイントメントを取っていたとしてもアポを取る交渉をした日から、最低三日は待たされる。

 それに、ここは仮にも他人の子どもを預かる塾だ。突然現れた不審な二人組の夜間調査をおいそれと許すほどセキュリティー面に関しての穴があってはそれこそ信用問題に発展しかねない。


「五織ちゃん、私は荒事になったときには対処することができません。これまでは兄さんが荒事を担当してくれていたのですが、今回はそういうわけにはいかなさそうです」


 そう、調査ということならば五織の代わりに永嗣がこの場にいてもおかしくはないのだが……午前の学校での一件で警察に連絡がいっており、定番の警察官立寄り所である学習塾には顔を出すことができなかったのだ。


「なので五織ちゃん、私も夜間調査にはもちろん同行しますが何か起こったときには是非とも私も守ってくださいね」


「しょうがないわね、まああのヘボ探偵よりは強いことはもう証明済みだし? 心配せず、泥舟乗ったつもりでいなさいよ」


「五織ちゃん……泥舟は沈んじゃいますよ……」


「そこ、細かいことは気にしない! とにかく、どんと任せてくれればいいのよ」


 握りこぶしを軽く心臓の真上に当ててみせる。


 そのあと少しして戻ってきた江波から二人は入室許可証を受け取った。


「あ、調査時の注意事項なんですけれどね。極力生徒たちには近寄らないでください。先の事件で気を揉んでいる親御さんも結構いましてね、生徒の中にも不安に思っている者も少なからずおりますので。もし何か聞き込みのようなことがしたいのならば、一度私に申請をしてからにしてくださいね」


 そう軽く注意すると、彼は軽く頭を下げて通常業務ーー事務仕事に戻っていった。教師や事務員がせわしなくキーボードを叩く音が冷たいコンクリート製の建物に響く。


 琴葉と五織は調査開始時刻までの一時間、この建物の構造を調べることにし、四階建ての小ビルを一周することにした。

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