恩人M「夕べには探偵に」


 その日の放課後。


 都会から少しばかり外れた古瀬の黄昏は筆舌にし難いものがあった。


 五織と琴葉が揃って校門を出るとすぐ側の人目につきづらい電柱の陰に怪しく蠢く黒い影があった。永嗣だ。


 如何にも不審者らしく黒いジャージにパーカー、大きめのサングラスと黒のニット帽、更にはマスクまでもが黒という徹底ぶりだ。


 昼間の心配事が杞憂に終わらなかったことを悔やみつつ、五織は息を吐く。


「学校が終わってみれば……あんたはまた何やってるのよ」


「やかましいわ! こちとら今朝の件があるからやすやすと学校には近づけねえんだよ」


 何でもいいからちょっとこっち来いよ。


 そう永嗣に促されるままに二人は人気のない路地裏に導かれる。


「こ……ここは……?」


 丁度老朽化の進んだ建物により袋小路になっていることに五織は不信感を募らせていた。


「大丈夫ですよ五織ちゃん。ここはただ迷い猫の頻出するだけのスポットです。探偵の界隈では結構有名な場所なんですよ」


 それにしても今日は猫ちゃんたちがいませんねえ、と付け足す琴葉。


 怪しい装備を一括解除し、二人に向き直る永嗣。


「さて、俺がこうしてはるばる出向いて来たのにはもちろん理由がある」


「これまた大仰な言い方だこと」


「ゴホン……今日の昼のサボ……空いた時間を使って色々と作戦を練ってみたんだが……このまま二人には義織企画に入塾して来て欲しい」


「なるほど、潜入調査って訳ね」


 首を縦に振り肯定を示す永嗣。


「まあ、そういうことだ。本当は俺が行きたいところだがこれ以上近所のオバちゃん達の井戸端会議のネタにはなりたくねぇ……てな訳で楢崎、今回のこの調査をお前の弟子入り云々の加点項目にする。

 琴葉も、慣れてるとは思うがお前は魔術が使えない。その上今回のターゲットはお前の可能性が高い……いいか、魔術師に会ったらどんなに弱そうでも絶対に逃げて来いよ」


「兄さん、そんなに心配なさらないで下さい。これでも兄さんの自慢の妹ですよ」


 それに、と琴葉は言葉を足す。


「今回も私は一人じゃありません。今まで兄さんが居てくれた場所には五織ちゃんが居てくれます」


 そう言うと隣で顎に手を当て考える素振りをしている五織の腕を取り、自身の豊満な胸元に引き寄せる琴葉。

 腕を包み込む柔らかな触感と熱のこもった言葉に心が上気するのを感じる五織。

 未だ嘗てここまで自分のことを信用してくれた人間がいただろうか?

 父親が失踪してからの辛かった二年間を、自分がこれまで生きてきた十六年間を振り返ってもそんな人物はいなかっただろう。


「もちろんよ。わたしが琴葉には指一本触れさせないわ。

 ふっ……大丈夫よ、わたしはあんたよりもずっと強いもの。むしろ狙ってくるのが分かっている魔術師なんかこの手で返り討ちにしてやるわ」


 意気揚々と琴葉とは対照的な薄い胸を張る五織。


 これには永嗣もどこか困った様子で頭を掻く。


「あ、ああ……頼んだぞ。てかお前ら一体いつそんなに仲良くなったんだよ」


「決まってるでしょ? ヒミツよヒミツ。ねぇ?」


「ええ、そうですね。ヒミツ、です」


「ちぇっ、そうかよ。じゃあ後は任せたからな。近くで待機はしてるから何かあったら連絡してくれ」


 そう言うと再び変装をし直し夕暮れの街に消えていく永嗣。この場面だけを切り取るとまるで一流の探偵のようにも見えてくるのだから、夕日とは偉大である。


 密着していた身体を離し顔を見合わせてクスリと笑う二人。


「さあ、私たちも行きましょうか五織ちゃん」


「ええ、そうね。ここでバッチリ成果を挙げてアイツにギャフンと言わせてやるんだから」


 意気込む二人は帰宅する人波に逆らい街の中心部に位置する義織企画を目指す。


 この時の彼女たちは……特に五織は未だこの事件を解決することがどういうことになるのか、知る由もなかったのだ。

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