恩人M「1日目の夜、2日目の前夜」
なぜ、この資料を永嗣が隠していたのかを心中で推し量りながら五織は永嗣に尋ねる。
「この資料はどういうことよ?」
「……」
「私から説明いたしましょう」
五織の問いに答えたのは当の琴葉だった。
給湯室で汲んできた茶を萩焼の湯飲みに入れ、場違いなガラスのテーブルの上にに置く。
「先の事件で襲われた三人は実は元をたどると全てどこかの魔術師の家系に繋がっているのです。本人たちはもう何代も魔術から離れた……所謂分家の分家みたいなものでしたから、その自覚はないと思いますけどね」
湯気を立ち上らせる茶をグイッと一気飲みし、口を
「それに、だ。襲われた三人の通っていた学校は義織企画からどれも等距離にある。おまけにどこもかしこも元墓地だの元協会だの完全に何かありそうな場所ばっかりだ……この事件に魔術師が絡んでいることは、もう疑いようがなくなった」
アッチッ。夏の暑さに喘ぐイヌのように火傷した舌を突き出す永嗣。
「確かに、魔術師の家系で学生だから枝野さんが狙われる可能性があることは分かったわ。でも、それならわたしや他の魔術師の家系の生徒が襲われても不思議じゃないはずよ」
永嗣は深く首肯を返す。その口調や様子には数刻前までの軽々しさはなく、事態の深刻さが窺い知れた。
「もちろんだ。でも、ここにもういくつか情報を足すとそうじゃなくなるんだよ」
順番を指し示すため、人指し呼びを立ててみせる。
「一つ。義織企画からだいたい等距離にある施設で残っているのは古瀬の浄水場とあと学校が二つ。その内曰く付きの土地に建てられているのはお前らの通う公立古瀬高校だけだ」
次、と言う代わりに永嗣は中指も立てる。
「二つ。確かに魔術師の家系に当たる生徒は遠縁も含めると古瀬にはかなりの数になる。さて、ここでどうして琴葉に絞られるかと言うと……」
永嗣はホッチキス留めされた資料の中から被害者名列を引きちぎり、五織の目の前に滑らせる。
「まあ……しょうもないことだとは思うが、苗字の順番だ」
永嗣の言うとおりまじまじと被害者の苗字を見つめる五織。
あかぎ、いのうえ、うざき……確かに、五十音順には並んでいるが。
「ぷっ……ははっ、あんたそんな大真面目なトーンでよくそんなくだらないこと言えるわね? 実の妹が狙われているとは思えないわ」
アガサの推理小説じゃあるまいし……そう嘲笑うと五織は永嗣の渡した名列を突っ返す。
そのあまりの勢いに薄い紙片は五織の滑らせたコースを外れ、一回転し床に落ちる。
五織の不遜な態度と対峙しても永嗣の表情にいつものふざけた雰囲気は戻らない。
「楢崎、俺はお前の言う通り大真面目だ。確かに普通の事件でこんなことする奴はどうかしてるし、笑いのタネにもなるだろう。でもな、魔術師に於いて文字列や文字の順番は大きな意味を持っている。例えば何かのカウントダウンや召喚術の符号、それに何らかの手順を踏んだことを示す目印にもなるんだ。
……大好きな師匠に習わなかったのかよ」
淡々と台詞を吐くと、永嗣は徐に立ち上がり二階に上る階段を目指す。
「もう遅いし疲れたからこれで終業だ。また明日、学校が終わってから適当な時間に来い。お前にはお前のこなすべき依頼があるはずだ」
追加のバイト代は琴葉にもらってくれ、振り向きもせずそう言い残すと永嗣は天井上の二回へとフェードアウトしてしまう。
軋む階段を上る音は等間隔に荒いリズムを刻みながらしばらくすると聞こえなくなった。
しばしの沈黙が湯気の立ち昇る応接室を支配したが、気まずくなったのか琴葉が五織に明るく話しかける。
「楢崎さん、気にしないで下さいね。兄は私が次の標的になって少しピリピリしているだけなんです」
五織は首を振って琴葉の心配を否定する。
「違うわ。わたしが気にしているのはあなたの安否よ。さっきの幽霊もそうだったけどやっぱりこの事件には魔術師が一枚噛んでいると見て間違いなさそうよ?一般人のあなたが無事で済む保証はないわ。本当に大丈夫だと思うの?」
あのヘボ探偵と見解が一緒なのは癪だけどね、と五織は付け加える。
しかし、五織の心配を他所に琴葉の表情は尚も明るかった。
「ええ、まあ。おっしゃる通りなんですが……さっきの楢崎さんの反応を見ていると幽霊とか見たの初めてじゃありませんか?」
「グッ……」
痛いところを突かれたと言わんばかりの五織の反応に琴葉はクスクスと笑う。
「私はああいうのも初めてじゃありませんし、楢崎さんより探偵歴も長いです。それに……」
琴葉は兄の向かった二階へ至る階段を感極まった表情で見つめる。
「それに……いつも見ているだけの私も今回は事件を解決する手助けができるんです。それだけで……私は怖さなんて……多少の危険だって気になりません」
神に祈るかのようにギュッと胸に押し抱かれた両手は微かに震えていた。
ーーああ、やっぱりーー
五織は黙っていることにした。
そして、心の内に一つ誓いを立て、バイト代はもらうことなく家路についた。
「ここからが、わたしの正念場ね」
五織の頭に浮かんでいたのは朝に見た兄妹揃って自分を茶化してきたときの二人の笑顔だった。
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