Iの契約「師匠を探して」
丑三つ時を回り、近所の不良どもが大通りを我が物顔で闊歩している時間帯。
閉店直後の小さな高級レストランの片隅で二人の女性がか細い灯りの下で人目をはばかるように密会していた。
女性のうち一方は妙齢(しかし、学生という雰囲気ではない)で、歳に似合わない白髪を乱雑に背後で束ねている。その鷹のような鋭利な双眸からは一切を見識っており如何なる口上も受け付けないような冷淡な印象が窺えた。
身に纏う元は白かったであろうエプロンにはつい数時間前までの厨房での死闘の跡ーー茶色いシミがクッキリと残っている。
もう一方はこのレストランの界隈にある私立高校の制服に身を包んでおり、大和撫子を思わせる流麗な黒髪を丁寧なツーサイドアップで纏めている。切れ長の瞳からは同輩とは一線を画すような大人びた雰囲気が醸し出されているが、髪型も相まって目の前の女性と比べるとどこか少し幼さを感じさせる顔立ちだった。
白髪の女性が対面して座る少女に何処からともなく取り出した手紙サイズの茶封筒を三通差し出す。
「早速だが
少女ーー五織は黙ってそれを受け取り中に入っていた計三枚の書類を
数秒の沈黙の後、五織はそれらをテーブルに叩き付け鬼の形相で白髪の女性に迫る。
「ねえ魔女、なんでこのわたしが全ての研修試験で不合格なのよ」
『魔女』と呼ばれた白髪はその剣幕に何ら怖じけることなく淡々と事実だけを伝えていく。
「まあそういうことだ、五織。済まないが他を当たってくれ」
そう言い残して厨房へと立とうとする魔女を五織は伸ばした腕で制す。
「ちょっと待ちなさい。『そういうことだ』じゃ理由になってないわ。ちゃんと説明しなさいよ」
魔女は半ば呆れた様子で五織を眺めると、浮いていたその腰を改めて革張りの椅子に落ち着ける。
不本意だが、と前置きして
「いいだろう。この際だ、一つ一つ説明してやろう」
そう言うと魔女はテーブルの端にあったガラスコップに金属のケトルで水を注ぎ一気に飲み干し、続ける。
「まず一つ目、この街随一の魔術師『影踏みのカロレッタ』が君を拒否した理由。それは……」
ゴクリと息を飲む五織。一体自分がどんな失態を犯したのか気が気でない様子だ。
それを知ってか知らずか魔女はあくまでも淡々とした声音で読み上げる。
「『高慢な態度が気に入らないから』だそうだ」
五織は「なんだ」と拍子抜けした様子で口を開く。
「つまり、あの女はわたしの態度が気に入らなかったから落としたって言うの」
五織がムッと眉根を寄せる。
魔女は手元にある成績表をジッとのぞいてそれを総括する。
「そうだな、他の魔術師からも似たような意見と、あと普通に実地試験に落ちたことも大きく起因しているみたいだな」
目の前で疑問を提示する五織に嘆息し、今度は少し熱のこもった口調で魔女は彼女に言い聞かせる。
「五織、魔術師の研修会にとって一番大事なのが『品位』だ。自分の一生の師匠になるやも知れん相手に対し少し口が過ぎたんじゃないのか」
「そんなことないわ。いつも魔女と話しているのと同じくらいの口調で喋ったわよ」
頭を抱える魔女。紡ぐ言葉に更に熱がこもる。
「あのなあ……ダメに決まっているだろう? 何で友達と話す感覚で未来の師匠と話しちゃうわけ」
「だって魔女がこの街で一番偉い魔術師なんでしょ。その貴女にこの口調が通じるんならその他の凡百の魔術師には友達口調で十分敬意を払っていることになるんじゃないの」
五織は不満げな表情とは裏腹な濁りのない真っ直ぐな視線を魔女に向け、無自覚に言葉の弾丸を飛ばす。
それが魔女にとっては堪らなく効いていた。
彼女の返答がしどろもどろになりつつあった。
「いやそうだけど。そうなんだけどさあ。私は貴女のお父さんの頃からの知り合いだし、そりゃ身内みたいなもんだから多少の言葉遣いくらいは気にしないけどさ」
「ならいいじゃない。貴女が気にしないんでしょう。わたしも気にしないわ」
満足げに無い胸を反らす五織を前に魔女は乱れた髪を更に掻きむしる。
ーーやばい……このお嬢様には私の言いたいことが通じてない。
五織はこのレストランのある街、
楢崎家は日本に伝わってきたドルイドの秘術を体系化した第一人者であり、表の世界でも魔術師たちの裏の世界でも相当な富と権威を持っていた。具体的には古瀬の市長を歴代の当主が担ったほどに、だ。
当然そんな良家の一人娘である五織は幼少期から蝶よ花よと愛でられ、何でも自分の思った通りになる暮らしをしていた。
そして彼女自身も代々受け継がれる楢崎の魔術師としての才能を完璧に受け継いでいた。
そんな五織の人生が成功に満ち溢れていることは誰も目にも明らかだった。
そう、つい半年前までは。
半年前とは言いつつも、真の事の発端は二年前に遡る。
五織の父であり楢崎家の当主であった楢崎
これを機と見た楢崎家を快く思わない下級魔術師たちが古瀬一の豪邸であった楢崎邸を強襲。楢崎邸は火の海に沈み、残った母娘は魔術師たちを束ねる『魔譚連盟』やその枝組織である『研修会』から非難の声を浴びながら親類の家を転々とした。
そんな過酷な環境の中で母は精神的疲労と慣れない仕事に家事、親戚からの侮蔑の視線に耐えきれず娘である五織を残し自ら三途の川に身を投げた。
残された五織は母以上に世間を知らず、ましてや自分の置かれた状況に合わせて対応する事など出来ずに今まで通りの身勝手さで振舞ってきた。すると言うまでもなく、今まで楢崎の名に従ってくれた従者や労ってくれた学友をも彼女の元から離れていった。
そんな中、唯一彼女に救いの手を差し伸べたのがレストラン『シャルル』でオーナーをしている敏腕経営者。
そして古瀬の研修会の頭目でもある大魔術師である魔女。
誰も本名を知らない彼女の通り名は『明り採りの魔女』であった。
彼女は智信の古くからの盟友であり、幼少期の五織の家庭教師でもあった。荒廃していく楢崎家の現状を危うく感じた魔女は五織を親類縁者の元から引き取り彼女が一人で暮らせるだけの資金繰りをしてやったのだ。
更には五織が魔術師として大成し、楢崎家を再興するきっかけとなるように手始めに自分の仕切る研修会の一員にしてやろうとしたのだが……
「全くお前は……人の気も知らないで……」
魔女は五織には聞こえないくらいの声量で。
「結局切り捨てられないなら、初めから冷たく対応する必要なかったじゃないか」
そうボヤくと五織が叩き付けた資料に目を遣る。
外来の魔術師でありながら多くの魔術師が
古くから楢崎家と共に古瀬の双璧と謳われた地元の
新興の中で最も勢いのある研修会きっての風雲児『
いずれも普通の魔術師なら顔を合わせることすら叶わない超一流の魔術師であり、この度は魔女の頼みということで特別に五織を弟子に採る機会を設けてくれたのだが……
彼女の抜けない高慢さと自分は楢崎家の一人娘であるというプライド、否楢崎の未来を背負う重圧。それこそがまだ若い彼女の立場を混乱させてしまっているのだろう……と魔女は推測する。
しかし、そんなものに拘っていても彼女の状況は悪化こそすれど好転することはない。
どうしたものかと魔女が思案していると、唐突に五織がキュッと引き結んでいた口元を緩め思いついたかのように自らの意見を提案してくる。
「ねえ魔女、あんたがもう一回わたしを弟子に採ってよ。子供の時みたいにさあ。他の魔術師なんてわたしは御免だわ。どうせ誰かの弟子になるならわたしは一番の弟子になりたいのよ」
嬉しいことを言ってくれる。彼女が他の魔術師たちの弟子にならなかったのは自分の弟子になりたかったからなのか、と魔女は勝手に邪推し内心感動に打ち震えていた。
完全に五織のその場の思いつきだったのだが……魔女のそれを看破するための観察眼はこのとき少し曇っていた。
しかし、魔女はそんな独りよがりな感動と同時に身を切るような罪悪感にも苛まれていた。それは、彼女には弟子を採れない理由があったからだ。
「五織、君も知っているだろう。研修会の頭目は弟子を採れないんだ」
「じゃあ魔女が研修会の頭目を辞めれば良いんじゃないの」
五織はどうよ、と自信ありげに首を傾ける。
「いや、そうなればそもそも五織を研修会に登録することができなくなるやも知れん」
「どういうことよ」
研修会は魔女狩りによる魔術師の急激な衰退を背景に生まれた魔譚連盟の枝組織。この組織の目的はあくまでも『世界中の素質ある魔術師の保護』であり、入会するのにもそれなりの条件がある。
数あるその条件の一端として、その街の研修会に属する魔術師の弟子であること。並びに街の研修会の頭目がその入会を認めることが必要である。
つまり、もし魔女が研修会の頭目を辞めることになれば五織は弟子にはなれても研修会入りを果たすことが難しくなるのだ。
そのあらましを説明し終えた魔女が五織に向き直る。
五織の顔からは先ほどまでの威勢や自身は消えており、むしろ彼女の雪のように白い肌が青ざめた彼女の顔色を助長していた。
「ねえ魔女、この三人って古瀬でも割と高名な魔術師だったわよね」
なんだ、知っていたのか。魔女は首肯を返す。
五織は力ない言葉で続ける。
「魔女はまだ……他にもわたしを弟子にしてくれる魔術師を紹介してくれるの……」
数秒の静寂の後、魔女は悔しげにかぶりを振って否定する。
「残念ながら私が準備できたのはその三人だけだ。もうお前が初めの仮弟子入りをしてから一ヶ月になる。君がその三人の弟子から落選したとなると今や研修会内の派閥で君を受け入れてくれるところは……ない」
ガタッと音を立てて、五織は椅子からペルシア絨毯の床に転げ落ちる。
無理もない。彼女にとって最後の頼みの綱であった魔女ですらもう手詰まりだと言うのだ。
いくら気丈な五織でも、今のその有様はまるでもう余命数刻もない病人のようだ。
「もう……もう終わりよ。わたしはこのまま世間から忘れられて、ロクに行くところもなく道端でのたれ死んだところをゴミ収集車に回収されてクリーンセンターで他の生ゴミと一緒に焼却されるんだわ……」
おい、どこから出てきたんだ、その悲惨すぎる妄想……
愛弟子を眺めるその視線の先では五織が据わった目で妄言を吐きながら寝そべり、屈伸運動を繰り返してレストラン内を徘徊し始める。
「あーーわたしはイモムシ。葉っぱの上を這いずり回るうちに鳥にパクッといかれるイモムシ。ちょっと他人より自分が可愛いだけの卑しいイモムシ。わあ、なんて美味しそうなペルシア絨毯なんでしょう! さっすが高級レストラン、なんでも美味しいわね……」
もう何言ってるのかわかんない。
今日何度目になるか分からない溜息を吐き、魔女はポケットに入っていたスマホの電話帳を確認する
「やれやれ……本当に手間のかかる弟子だな」
そこには、もちろん個人的な同情心も大きく存在したが同時に五織をこのまま一般人にしてしまうのはもったいないという研修会の頭目としての責任もあった。
その実、先代の能力を次代の当主が引き継ぐ楢崎家に於いて五織は歴代最速で先代までの五代分の魔術を継承した最高傑作だった。
智信が生きていた頃はしきりに自慢しに来たことを思い返しながら、魔女はとある連絡先に目をつける。
魔女にはよく名前の似た友人がもう一人おり、よく電話をかけ間違いそうになる。そんな男だった。
ーーこいつなら、あわよくば……ーー
魔女はそのまま発信ボタンを押し、繋がるまでの間で五織の意識を蘇生する。
「やっぱり……紹介できるあてが無くはない」
それを聞いた五織の瞳はつい十分前までの輝きを取り戻しその道のプロも驚くほど綺麗な捻りを加えたバック転を二回。魔女の前に文字通り舞い降り、片膝を着く。
「教えて下さい、明り採りの魔女様」
「相手に対して常にこれくらい折り目正しければ言うことないのにな」
魔女が自分の愛弟子への甘さに
「だってそんなの疲れちゃうでしょ?」
そして、彼女は続ける。自分の未来を掛けた敬愛する師匠からの救いの手を言葉にしてもらうために。
「それで、わたしにどんな
そこで電話は繋がり、魔女は亡霊との契約を果たした。
愛弟子を救うことが出来る唯一の希望である亡者の救世主は電話口で高らかに笑っていた。
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