コーデックス・オブ・エイジ 〜エセ探偵と魔術師の弟子〜

八冷 拯(やつめすくい)

プロローグ

 白く、白く、しかし純白と言うには些か寂しすぎる空間が私の存在する空間であり私たちが共住していた空間でもあった。

 あったというのは、それがもう十年も前の話になるからだ。

 今この空間で私の他にはそれらを形成する白骨が剥き出しになったタンパク質の塊が転がっているだけ。

 それがどうしたと言われればそうだとしか言いようがない。これらは死に抵抗することなどなく静かに消え入るようにしてその生涯を終えたのだ。

 一度も言葉を交わすことなどなかったが、それでも私たちは一生でこれ以上にないくらい親密な関係……所謂家族というものに近い存在であったと自信を持って言える。


 しかし、残念なことに彼らはニセモノだった。


 なぜなら死んでしまった後に誰に影響を与えるわけでもなく、後世に何を残すわけでもなく、ただただ自分たちがフェードアウトしただけだからだ。


 一体何がホンモノで何がニセモノなのか。


 そんな問いには様々な解答があると思う。


 論理的なことが正しいと考える人間は広辞苑を開き、そこに記載されている誰かが作った定義こそホンモノであり他意はニセモノとするだろう。


 情熱的な人間は「自分の眼に映るものはホンモノで、ニセモノなどありはしない」などと臭いセリフを吐くだろう。


 私にとっては「死してもこの世にその名を残すことが出来るのか」というのがホンモノとニセモノを区別する定義である。


 だから、後世に残る広辞苑はホンモノ。


 だからその名を定理として残したピタゴラスもホンモノ。


 だから自身の生を無為に過ごし朽ち果てた俺の家族たちはニセモノだった。



 閑話休題。



 前に本で読んだが、動物が死んだらそれは自然のサイクルに取り込まれて徐々に土に還るらしい。


 まあ、このとある魔術師によって創られた『無為の空間』に於いてはそれすらも誤情報になり下がってしまったのだが。


 何故なら私の周りで朽ち果てている私の幼い家族たちは酷い臭いこそするものの死して十年は経っているのに未だに肉は残っているし、仰向けにすれば顔を判別することだってできるからだ。

 それに第一、この部屋に私たち以外の生物が入ってきたことはない。人間社会では死体に群がるという『蚊』や『蝿』などの昆虫も、だ。

 唯一の例外は二ヶ月ほど前に生き残っていた私の家族数人を連れて行った男だ。彼が初めて私たち以外でこの部屋に入って来た生物だった。

 その証拠と言ってはなんだが、腐敗しづらい家族たちの白骨が見えているのは私が興味本位でその肉を食べてみたからだ。まあ、私の想像の軽く百倍は渋い代物だったかな。その後一週間は食べ物がまともに喉を通らなかった。


 ああ、私もこのままでは家族と同じ道を辿りそうだ。


 自分が生きているとも死んでいるとも知れないまま、徐々に朽ち果てていくのだろうか。


 正直、悪いとは思わない。


 私たちがいつ産まれて、いつ家族になったのかはわからない。もしかしたらこんな風に思っているのは私だけかもしれない。

 でも、十六年も同じ部屋で暮らして来た家族に私は……そうだな俗に言う『アイジョウ』というものを確かに感じている。

 常に寄り添い、常に相手のことを考え、常に自分よりも優先され得る存在に抱く感情。

 私にとっては最後の一つは当てはまらないが、本で読んだことのある愛情とは得てしてそういうものだった。

 ここで一つ疑問が生まれた。

 今は我流ではあるが、定義の三分の二満たしているからこの感情を『アイジョウ』とするけど、もし私がこのまま死ぬのを拒否したらどうだろうか?この部屋から出ることができたらどうだろうか?

 そうすれば家族に寄り添うこともなくなるので、私の『アイジョウ』の定義の内三分の一しか満たさなくなる。

 果たしてこれでも私は彼らに、家族たちに『アイジョウ』を感じていると言えるのだろうか。

 そうなれば私が彼らに抱く感情は一体何と呼ばれるものになるのだろうか。


 果たして、私の抱く『アイジョウ』とはホンモノだったのだろうか。


「むふふっ……」


 私は一人、静寂に笑いをこだまさせる。

 不思議を感じた時に私の脳が快楽物質を生成していることが手に取るようにわかる。

 間接的にとはいえ身内の死に快楽を感じる私が正常なのか狂っているのかは他人と比べるという術を失った私には知りようもないことだが。

 それでも矢張り、降ってくる疑問は解消しなければ気持ちが悪い。

 解消しなければ私はこの颶風のようにほとばしる高揚感に飲み込まれてしまいそうだ。

 止まらない高笑いと自我をも喰い潰しそうな興奮に、私は痩せ細った自らの身体をかき抱く。


 ーーああ、なんて心踊ることだろう


 誰が聞いているわけでもないが、私はこの空間そのものに考えを共有しようと思った。こんなに素晴らしい謎を誰にも伝えないというのは惜しすぎるという結論を私の脳が弾き出したからだ。


「さて、手始めに私をここから解き放ってくれる者を探さなくてはいけないなぁ」


 真っ白な雪が降り積もったような退屈な部屋を見渡し、散乱していた古い電話帳を拾い上げる。

 血肉に塗れてベトベトになりったそれをメリメリとめくっていくと丁度いい業者を発見した。

 世界に流通するという『カネ』という物さえ払えばなんでもしてくれそうな私の救世主となる業者を。

 その電話帳の巻末にあった出来るだけ余白の多いページを千切って周囲に転がっている家族から拝借した血液で、初めて文字を他人に向けて書いた。

 間違えないように、稚拙な平仮名で。

 私をこの鳥籠から解き放ってくれるようあらん限りの願いを込めて。

 書き出しは……そうだな。


「しんあいなるたんていさまへ……」

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