第五章、その七

 実際、その学園の入学式にのぞんだとき、僕は非常にめんらった。


 広大な敷地をようするためにへんな山の中に建てられているのは、まあよかろう。男子と女子とで校舎が別々でしかも大きく離れているのも、元々は女子校であったので無理もないと言える。

 共学なのに生徒会長が女生徒なのも、まだまだ女子の数が大勢たいせいめていることから容認できよう。


 ──しかし、なぜにそれが、『彼女』なんだ?


 あの古びた本家の薄暗い蔵の中で初めて出会った時からこの春休みにいたるまで、一時期ブランクのあるもののほとんどずっと一緒に過ごしてきたあいだがらから言わせてもらえば、あの世間知らずの旧家の秘蔵っ子の巫女みこ姫様がああして式場の体育館のだんじょうに立ち、数百名の生徒の代表として堂々と胸を張って意見を述べているなんて、とても信じられる光景ではなかった。


 間違いない、あれは『なた』だ。


 もはや何がどうなってこうなってしまったのか、さしもの僕にもとうとうわからなくなってしまった。

『日向』は、消滅したはずではなかったのか。

 何よりも、彼女自身が存在していくために、みずからその手で消し去ってしまったのではないのか。


 その半日ほどつきあってみたが、学園内での彼女はまさに『日向』そのものであった。


 とにかく一言ひとこと挨拶あいさつでも申し上げておこうと教室を訪ねたら、いきなり生徒会室に連れ込まれて、「今日からあなたは私の専属アシスタントよ、しっかりはげみなさい」と勝手に宣言され、さっそくあれやこれやとこき使われる有様ありさまであった。

 ……しかもサロンの中には例のオタク王子様『やまゆう』嬢が待ちかまえており、「やあ君が噂の日向のワンちゃんだね♡」と初対面から大変失礼なことをほざきやがるし。


 そのたかしゃな女王様気質といい、自己中心的な身勝手さといい、まさにそれは旧家直系の真性お嬢様、『天堂てんどう日向』以外の何者でもなく、もはやそこにはあの天然でじゅんしん無垢むくなる巫女姫様、『天堂つき』の姿などみじんもなかった。


 まさか、今度は『月世』のほうが消滅したとでも言うのか。

 考えてみたらこれは、元々の正常な状態に戻ったとも言えるが、それならばどうして彼女は『巫女殺し』や『両親殺し』の罪のしゃくを覚えずに、平気な顔をしていられるのだろう。

 第一なぜ、天堂本家の当主たちを始め、学友その他身近な連中は何も言わないんだ。


 様子が変だなんていう程度のかわいらしい問題じゃない。これではあの事故で死んだのは『日向』ではなく『月世』であることを、みずから公言しているようなものだ。もっと大問題になってもおかしくないはずなのである。


 僕は下校時間になると同時になぜだかいきなり放心状態となり、まるであやつり人形のような機械的なぐさで帰りたくを始めそのまま学園を出ていってしまったご主人様を陰ながらお守りしながら(尾行とも言う)、もんもんとした思いを抱え込んだまま山道をマンションまで歩いていった。

 部屋に帰り着くやいなや、いまだ能面のような無表情の状態にある少女は、すぐに続いて帰ってきた僕が目の前にいるのにも構わずに、着ている服を全部脱ぎ捨てて普段着(?)のひとえへと着替え終えると、倒れるようにソファへと眠り込んだ。

「……なんと不用心な」

 たしかに天堂家ちょっかつとも言えるこの地方都市には、本家のお嬢様に危害を加えようとするような不届き者なぞいやしない。たとえよそから変質者等がまぎれ込んできたとしても、この僕をはじめとする護衛の専門家プロが人知れず常におそばにひかえているので大丈夫である。このマンションも防犯設備は最高レベルのものが整備されており、扉を閉めると自動的にかぎがかかるようになっていて、ほとんど同時に帰ってきた僕でさえもちゃんと自前の鍵でかいじょうして入ってきたのである。


 しかしあの夢遊病的な状態は、いったい何なんだ。しかも家に帰り着くやいなや年頃の娘が、下着いっちょうの姿でだらしなく寝転んでしまったりして。


「ほら、月世様。お疲れならちゃんとベッドで寝てくださいよ」

「……うう~ん。何じゃ、ようやく晩飯か」

「ようやくって、僕も今帰ってきたばかりで──」

「ああー⁉ おぬし!」

 うわっ、ちょっと⁉

 何だ? いきなり人の胸元につかみかかってきたりして。

うしお、何やっていたんだ。入学式は午前中で終わったんじゃろ。ずいぶん待っていたんだぞ!」

「え、だって、あなただってずっと学園に……」

「何わけのわからないことを言っておるのじゃ。巫女姫であるわれが学校なんかに行くわけがないであろうが。今日からいよいよ我らの『愛の生活』が始まるというに、職務怠慢たいまんじゃぞ!」

 何が『愛の生活』だ。いや、問題はそこじゃない。わけのわからないのはこっちのほうだ。これじゃまるでお嬢様が二人いるような──


「……まさか、そうなのか?」


「何をぶつくさ言っておるのじゃ」

「月世様、つかぬことをおうかがいしますが」

「何じゃ」

「月世様はこれまで一切いっさい、学校や学園なるものに行ったことがないとおっしゃるのですよね」

「何を当然のことを」

「それではなぜやくの僕が、わざわざこの街の学園に入学させられたのでしょうか?」

「ふん、何を今さら。そんな腹立たしいことにわざわざ答えたくはないわ」

「いえいえ。是非ともあるじの口から今再びおうかがいして、きもめいじたいと思いますれば」

「そうじゃとも。おぬしのあるじはあくまでもこの我だというのに、のために、昼間だけとはいえ貸し与えてやらねばならぬとは」

「『あの女』、とは?」


「知れたこと、あのの他におろうはずがなかろうが!」


 やはり!「そうでしたそうでした。すっかり忘れておりました」

「ふん、とぼけても無駄じゃ。大方おおかた今日もあこがれの『日向お嬢様』のしりでも追い回していて、時間がつのも忘れておったのじゃろう」

「いえいえそんな、滅相めっそうもない」

 さすが巫女姫様、的中率100%。すっかり他人になり切れば、自分のことでもうらなえるというわけだ。

「そんなことはもうどうでもいいから、さっさとめしたくをしろ。風呂の準備も忘れるな」

「ははっ。かしこまりました」

 適当な返事だけを残して、急ぎ足でキッチンへと向かう。


 やっぱりそうだったのか。間違いなかった。


 一見、今現在ここにいる彼女は、これまで通りの『月世』のようにも見えるが、その本質は根本的に変化してしまっているのだ。

 一口に言えばこれまでの『完全なる月世』単独の存在ではなく、その身のうちに排除していたはずの『日向』をも内包している状態なのである。


 言うなれば、今や彼女の人格は『二つに分裂』してしまっているのである。──しかもこの上もなく、完璧な形で。


 つまり、どちらか一方に統一されたわけではなく両方共存在していて、しかも『月世』の時は完全に『月世』になりきり、『日向』の時は完全に『日向』になりきり、その上何とお互いにもう片方のことも、あくまでも『他人』という独立した存在として認識できているのだ。


 考えてみれば、これほど理想的な姿はないであろう。


 彼女が本来の自分であった『日向』を殺し『完全な月世』になった時、周囲もそれを認めてくれて一見すべてがうまくいっているように見えた。しかしだからといって『過去に実際に起こってしまった事件』は、けして消え去ったりはしなかったのだ。

 たしかに『日向の』罪の意識は闇にほうむることができた。けれども今度は新たに『月世としての』罪の意識が、彼女を再びさいなみ始めたのである。


『なぜ巫女である自分が、両親や妹の不幸を事前に予知することができなかったのか』と。


 心から月世になりきっている彼女は、またしても自分自身を責め始めたのだ。自分が巫女として出来できそこないだったから悪いのだと。愛する肉親を死なせてしまったのは自分のせいだと。

 結局、いくら嘘に嘘をかさねて自分自身や周囲の者をあざむこうとも、『過去の事実』はげんぜんと存在し彼女を苦しめる手をゆるめはしないのである。

 もはや彼女に残された『逃げ道』は一つしかなかった。『過去の事実』を消し去ることが無理ならば、今目の前の『現実世界』のほうをゆがめてごうよく変えてしまうしかないのだ。


 死んだはずの『日向』のままでいても『月世』になりきっても、どうしても問題がしょうじるのなら、いっそのこと『日向』も『月世』も二人とも存在していることにすればいいのである。


 たとえば『日向』にしてみれば、もし今このとき自分も『月世』も生きているということになれば、あの不幸な事故など存在しなかったということになり、これ以上罪の意識にさいなまれることもなく、堂々と『日向』として胸を張って生きていけるわけである。

 しかも、実際の戸籍上や他人の認識上ではあくまで彼女は『天堂月世』であり、あの異常なる当主の務めなど果たす必要はなくなり、そのうえ事故以来巫女姫といえども人並みの暮らしができるようになっており、彼女のこれからの日常生活において、もはや何らごうなことなどあり得なかった。

 さらに驚くべきことに、このように都合よく二つの人格を使い分けながらも、けして彼女自身が恣意しい的に行っているわけではなく、あくまでもその身をさいなむ罪の意識から逃避し続けた結果無意識に到達した、最終的な『精神こころなんじょ』がこのような状態であったというだけなのだ。

 僕はあえて彼女のこの『二重人格的状態』を、本家に包み隠さず報告することにした。


 ただしあくまでも巫女としての月世の中に、死んだはずの日向の人格がよみがえったということにして。


 これを聞いたご当主様は、驚いたり疑ったりするよりもむしろ喜びを隠そうともしなかった。

 巫女がその身に死者の霊魂を宿やどすのは言わば当然のことであって、今一つその実力を発揮できなかった月世が無意識ながらも今はき日向の憑坐よりましになれたことは、天堂家としてもぎょうこうきわまりない大歓迎の椿ちんだったのだ。

 そして自覚のない本人に合わせるため、一緒に暮らしている僕はもちろんのこと、天堂一族においても学園関係者においても彼女のことを、昼間は『天堂日向』として朝夕は『天堂月世』として、それぞれ別個の人格としてぐうする取り決めがなされたのである。

 その結果として、彼女は『日向』としても『月世』としても、何の憂慮ゆうりょもない生活環境を手に入れることができたのであった。

 ……なるほどねえ。人間にとっての最大の幸せは自殺をすることか、さもなくば完全に狂ってしまうことだとよく言うけど、あながち間違ってはいないのかもね。


 しかしこれは、非常にあやういバランスの上に成り立っている、『まぼろしの幸せ』に過ぎないのだ。


 たまたまそばに仕えている『守り役』がすべての事情を把握している僕だから、一応今のところは不都合はないけれど、こんな奇異な行動をし続けていたらいつの日か、その事実は白日はくじつもとにさらされてしまうことになるだろう。

 その時彼女を待ち受けているのは、過去の罪に対する断罪か。それとも、社会不適合者だという烙印らくいんか。

 しかもそうなる前にむしろ、こんな異常な状態を続けている彼女自身の精神が限界に達し、自我じが崩壊ほうかいしてしまう可能性も大いにあり得るのだ。


 彼女のアイデンティティが失われたあとに起きるのは、おそらくは『本物のとお』の復活であろう。その結果どんな災厄が起こるのかわかったものではないのだ。


 そして彼女は『魔女』の汚名を着せられ、その身を過去の亡霊ぼうれいに思うがままにあやつられがらのような状態のままで、むなしくながらえさせられる末路をたどるだけなのである。

 このげんごくから彼女を救い出す手だてなど、もはやこの世のどこにもない。

 もし彼女の精神状態を正常に戻せたとしても、そこには過酷な現実と重大なる罪の意識が待ちかまえているだけであって、何の救いにもなりはしないのだ。

 唯一できることは、彼女が自分の精神を守るために嘘で嘘を固めてつくったこの世界を、少しでもその崩壊からまもってやることだけなのである。


 その方法はただ一つ。彼女の嘘の王国に、さらに虚構きょこうを重ね続けてコーティングしてやり、彼女のもろすぎる心のよろいが傷つくのを、わずかでもふせいでいくことであった。


 そしてそれができるのは、彼女の守り役であり、彼女の嘘と真実とをすべて知りくしている、しょうきょう潮この僕だけなのである。

 だからこそ僕は今も、彼女の忠実なるしもべを演じながら、あるじのことを平気でだまし続け、さらに壊し続けているのだ。


 ──そう。すべては彼女が生きていくための、彼女だけの世界をまもるために。





 だから、ひなちゃん、君が悩む必要なんてないんだよ。




 ──悪いのはすべて、この僕なのだから。




 一番の大嘘つきも、大切なおさななじみの女の子が壊れ続けているのを見て見ぬふりしている薄情者も、本家には真実をすべて隠し続けている裏切り者も、みんなみんな僕なのだから。

 あくまでも僕が、僕自身のためにやっているのだから。


 僕はただ、『僕ら三人だけの思い出』を、守り続けたいだけなんだ。


 まだ僕らが出会ったばかりのころの、旧家の深窓のお嬢様でもなく、数百年来の伝統を誇る巫女姫様でもなく、分家の忠実な守り役の後継者でもなく、ただのおさななじみ同士だった、あのかけがえのない日々を。

 ひなちゃんはただ、君と僕がたがいの嘘でりかためてつくりあげたこの世界の中で、何ものにもおかされず身も心も傷つけることなく、ずっとずっとじゅんしん無垢むくのままでいればいいんだよ。

 ひなちゃんの罪も、絶望も、悲しみも、悔恨かいこんも、すべて僕が引き受けてあげるから。


 だって僕は、ひなちゃんのためだけの、『びと』になりたいのだから。


 だから今はおやすみ、自分自身の夢の中で。

 まだ『目覚めざめのとき』は、来ていないのだから。

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