第五章、その六

 それからつきは僕のくびたまにしがみついて離れず、結局その日は本家に一泊することになった。


 ……まったくこれじゃ先が思いやられるよ。トホホ。(ちなみに、僕が寝たのは客室ですよ)


 まあ、詳しく話を聞いてみると、月世は既に寄宿制の女子校の中等部に入学しているらしく、やくといっても夏休み等の長期の休暇のさいだけ本家に泊まり込みに来ればいいらしく、何だか学生のバイトのようなものだった。考えてみれば、僕にだって学校はあるしね。

 とにかく問題は、そんなことではなかった。

 さっき試しに『ひなちゃん』の名前を出した時の、過剰なる反応を見て確信した。


 彼女は間違いなく、月世ではなく『なた』である。


 いや、『日向』、と言ったほうが正しいか。

 今や彼女の中には、『日向』であった時のパーツはひと欠片かけらもない。おそらくはすべて、彼女自身によって消し去られてしまったのだろう。

 それだけ彼女は悩み苦しみ闘い、その果てに勝利したのである。


 彼女が自分の罪を隠し通すためには、完全に『月世』になりきるしかなかったのだ。少しでも『日向』である部分が残っていてはならなかったのである。そんな存在はけして認めてはいけなかったのだ。


 たしかにあの事故以来彼女の周囲には、どんなに親しい者も含めぼく以外、彼女を『日向』だと見破る者はいなかった。事故が起こった原因について、疑惑の目を向ける者などいなかった。彼女はただそのまま『月世』のふりさえしていれば、平穏無事な毎日を送れるはずであった。

 しかし、おだやかであればあるほど、彼女の『罪の意識』は増すばかりであったのだ。

 当然である。いくら表面的なことばかり取りつくろい周囲をあざむき続けたところで、自分の親兄弟を殺してしまったという『事実』は、けしてなくならないのだから。

 だから彼女は自分自身である『日向』を殺し、完全に『月世』になりきろうとしたのだ。


『日向』という存在をこの世界のすべてから──自分自身の意識からさえも消し去ってしまえば、これ以上『過去の自分日向』が犯した罪の意識にさいなまれずにすむのだから。


 こうして彼女が心底しんそこ『本物の月世』になることができた時、それに呼応するかのように、てんどうの血の中に眠っていた巫女みこの力も目覚めたのであろう。

 ただし、残された唯一の問題は、僕という存在であった。

 彼女は『月世』になりきっている今も、過去に僕が二人をけして見間違わなかったことを覚えており、その結果本能的に、僕に対して強い畏怖いふねんの感情をいだき続けているのだ。

 だからこそ再会してしょっぱなに、僕が彼女のことを『つきちゃん』と呼んだ時あれほど喜び、そのあとで『ひなちゃん』の名前を出した時、あれほどまでに錯乱さくらんしたのである。


 さしずめ僕は彼女にとって、『ゆるしの神』であると同時に『さばきの神』でもある、といったところであろうか。


 僕が彼女のことをあくまでも『つきちゃん』として接し続けているうちは、月世としてその存在が認められるものの、もしも仮に面と向かって『ひなちゃん』と呼んだりしようものなら、『巫女殺しの大罪人』として断罪されてしまうことになるのだ。

「……皮肉なものだな」

 いろいろ屁理へりくつを述べてきたが、一言で言えばごく簡単なことであった。


 彼女は、狂っている。


 しかし狂っているからこそ壊れているからこそ、彼女自身も周りの人々も、みんなみんな幸せになってしまったこの状態。果たしてこれ以上の皮肉な話があるだろうか。

 だからといって、他人が口をはさむ権利なんてない。特にあの『月世』の無邪気な笑顔を見せられたあとでは。


 幸せの本当の価値は、本人にしかわからないのだから。


 まあいい。一応『守り役』になることを承知したんだ。唯一すべての事情を知っている僕がずっとそばについていれば、何か事が起こってから対処しても遅くはないだろう。

 それにさっきの、あのポルター・ガイスト現象のような『力』のことも気になるし。

 あんなこと、『本物の月世』だってやったことはなかったはずだ。


 ──まさか、『かつてのとお巫女みこ』そのものが、よみがえろうとしているんじゃないだろうな。


 天堂本家に代々生まれてきた双子の姉妹の片割れである『巫女』たちは、実は彼女たち自身に力があったわけではない。『初代の遠見の巫女』──つまりは、竜神の落とし子だと言い伝えられる本物ののうの娘の力を、『借り受けている』だけなのだ。

 巫女とは本来そういった存在であり、神や霊魂やその他超常なる者を我が身に宿やどしてその力を行使する、いわゆる『憑坐よりまし』にすぎなかった。

 もちろんそれは一時的なことにすぎず、それぞれの巫女にはちゃんとした『自我じが』があるのだから、たとえどれほど相手の霊力が強くても、その身をそのまま乗っ取られるということなぞはまずなかった。

 しかし、日向の場合はどうであろうか。

 彼女はおのれの罪悪感からのがれるために、自分自身という存在を消し去り、完全に姉であり巫女である月世になりきってしまっているのだ。

 そんな彼女が、強大なる『遠見の巫女』の力を使おうとしたら、どうなるであろうか。

 自分自身の自我を守ろうともしない者など元祖巫女姫の霊力からすれば、その身を乗っ取ることぐらいたやすくできるのではなかろうか。


 竜神の血を直接その身にいでいる『神の落とし子』である彼女は、強大なる力を持つと同時に、その価値観も普通の人間とはあいいれないものがあるのは想像にかたくない。神とは本来善悪ぜんあくなど関係のない存在なのだ。神が『あらぶる』のはごく自然な有様ありさまなのである。

 その神の力をあくまで人間のために使う『装置』が、憑坐よりましたる巫女なのであるが、逆にそれを神が乗っ取り力を自由に行使したりすれば、この世にどんな災厄さいやくをもたらすかは想像だにできなかった。


 もちろんすべては僕の憶測おくそくにすぎず、結局は単なる取り越し苦労なのかもしれない。

 とにかく、ここしばらくは『月世』のことを注意深く見守っていよう。『遠見の巫女』自体の知識に関しては、本家の大人たちのほうが断然詳しいんだから、僕が先走ってあれこれ余計なことをしなくても、よほど重大な事態にならないかぎりは大丈夫であろう。

 僕は自分にそう納得させて、とりあえず今回は何も言わずに本家をあとにした。


 しかし、この時の自分の甘さを思い知るには、それほどの時間を必要としなかったのである。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


つき様の様子が、変ですって?」

「ええ、そうなのです」


 中学最後の冬休み。いつものように本家へバイト──いや、『やく』としてやって来た僕は、いきなり当主の部屋に通されて、そう切り出された。


「変とはいったいどういうふうに? 先ほど恐れ多くも玄関にてご本人にお出迎えいただいた時には、いつものご調子かと思われましたが」

 というか、変なのが通常形態ではなかったのか?

「いえ、屋敷ではいつもの通りなのですが、実は学園での様子が少しおかしいとのことで」

「何か、問題でも?」

「ああ、ええと。それが学業成績も生活態度も共にすこぶる優秀で、何やら生徒会でも一年生ながら中心的活躍をしているらしくて」

 ──それはおかしい! とは、いくら何でも言いませんでしたよ。はい。

「まあ、そのことは別に構わないのですが、担任の先生がおっしゃるには、『何やら人が変わったようだ』と。何だかそれが気になって」

「人が、変わった?」

 ……まさか。

「それであなたには『守り役』として、現在の中学校を卒業したあと月世の通う学園の高等部に進学してもらい、様子を見守っていただきたいのです」

「ちょっと待ってください! 月世様の学園て、たしか寄宿制の女子校では⁉」

 まさか僕に女装して潜入しろと? あり得る。いや、頼まれれば嫌とは申しませんよ。


「その点は大丈夫です。元々月世が中等部に入った時から、ゆくゆくはあなたに『守り役』として学園生活の補佐を行ってもらおうと思っていたのであり、理事会には当初からそのための了承を得ていて、段階的に男子生徒や通学生の受け入れを実施しており、晴れて来年度の四月から、正式に共学校として再スタートすることが決定しているのです」


 ──そう。我が『せいレーン学園』が共学になった真相は、実はこれだったのです。

 しかしさすがは天堂本家、巫女姫様のためなら金も権力もしみなく投入しやがります。

「わかりました。もとより守り役を引き受けたからには、どこまでもお供いたす所存しょぞんです」

 どうせ、分家には最初から拒否権はないしな。それに月世の学園の様子というのも、たしかに気になるし。

「当然、入学手続き等はこちらで手配しておきます。もちろん推薦入学ということで入試も不要です。それからあなたの住居については、新築のマンションの一室を借りる予定であり、家賃等は一切本家でもちますので。まあ一応2LDKですが、二人で住むには十分でしょう」

「二人?」

「ええ、あなたには春から、月世と一緒に生活していただきます」

「はあ?」

 すごい。お祖母ばあ様から孫娘との同棲どうせいを認められた中学生なんて、日本広しといえど僕くらいなものだろう。

「何を驚いているのです。そもそも守り役とはそのすべてにおいて巫女姫を補佐するものなのであり、むしろこれが正しいあり方なのです」

 まあ、仮にも守り役たるものが、巫女姫様に手を出したりするわけもないしね。

「それにこれは、月世本人のたっての願いなのです」


「月世様の? ──うわっ!」

うしお、話は終わったか!」


 いきなり入口のしょうを開け、僕へと飛びついてくる少女。

「早ようわれの部屋に来いや。退屈で死にそうじゃぞ」

「いや、その、あれ?」

 なんだ、いつもの月世じゃないか。

「ほほほ。ほんに潮殿は月世のお気に入りですこと。もうここはいいから、二人で遊んでいらっしゃい」

「さすがはお祖母様、話がわかるのう。さあ、行くぞ潮」

「は、はあ」

 何だかうやむやに押し切られたようだが、まあいい。何もなければいいが本当に問題があるようなら、本家と離れて二人きりの環境のほうが、対策がたてやすいこともあるだろう。


 何せ、本家の連中はいまだに、この月世の『正体』に気づいていないのだから。

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