第五章、その三

 ──それは、僕が十一歳でひなちゃんたちが十二歳になったばかりの、ある夏の日のことであった。


 本家の蔵へと呼び出された時、場所がら姉妹そろってのおまねきかと思っていたら、待ち人は数え切れない古びた人形たちと、ひとえを着た少女ただ一人だけであった。


 しかもそれはつきではなく、間違いなくなたのほうだったのである。


「あれ、ひなちゃんだけ? つきちゃんはどうしたの?」

 日向がこうして月世の格好をして蔵の中にいれば、当然月世は日向のふりをして外に出ているわけである。しかし、それにはいつも僕という『おとも』がずいしていたはずだ。月世が一人で行動するとも考えにくいし、誰か他に協力者でもできたのかな。

 めんらう僕に対して、目の前のぶっちょうづらの唇がほころんだ。

「本当にうしおちゃんは、私たちのこと、絶対に間違わないわよね」


 薄暗いしきろうの中で、ひとえからのぞく白い肌がなまめかしく浮かび上がる。成長期真っ盛りの少女はちょっと会わないに、すっかり大人びていた。


「入ってきて。かぎはかかってないから」

「あ、うん」

 なぜだかこれまでにないずかしさを感じながら、おずおずと一応女性の寝室である畳部屋へと入っていき、ゆかに散らばる人形たちを押しのけ、心持ち距離をとって彼女の正面へと腰をおろす。


 思えば、この暗く閉ざされた座敷牢の中で、日向と二人っきりになったのは初めてであった。


 やばい、何だかいい匂いがする。

 おさななじみに対して今さら緊張していることを隠すため、微妙にそっぽを向くじゅんしんいちな少年。しかしこの密会の主導権をにぎっているはずの少女のほうも、なぜかじゃっかんうつむきがちに沈黙を守っていた。


 どこか遠くから、せみの声が聞こえてきた。人形たちの無言の視線も、何だか痛く感じ始める。


 緊張が限界に達し、僕はたまらず口を開き──

「あの」「私」

 ……お互い様だったようだ。

「お先にどうぞ」

「……ええ」

 しかし再びうつむく少女。聞こえてくる蝉の声。突き刺さる人形の視線──。

 このまま僕らはこの暗い蔵の中に閉じこめられて、無限ループをくり返すのかと思われた、まさにその時、


「──私ね、この前、『あれ』が来たの」


「え、『あれ』って……?」

 ごくりと鳴ったのは、どちらののどか。

「……しょちょう……よ」

 その瞬間、蝉の声が聞こえなくなった。

「うしおちゃん?」

 げんそうに問いかける日向。僕は今いったいどんな顔をしているのだろうか。

「それは、おめでとう、というか」

 こんなことを男の子に話すなんて、何だかひなちゃんらしくなかった。結局僕のことなんか、分家のはしくれとしか見ていないということなのだろうか。これがあの『天然』のつきちゃんならわかるんだけど……。

「──あ、ということは」

「うん。つきよにも、一緒に来た」

 さすがは一卵性双生児、同一のDNAの持ち主。(実はこういうことには、個体差もあるそうだけど)

「あの子ったら、いくらお母様たちが説明しても理解できず、わあわあ泣きわめくばかりで、大騒ぎだったんだから」

 ふむ、光景が目に浮かぶようである。


「……それにどうせ、じゅんけつなる巫女みこ姫様には、必要ないものだしね」


 ぼそりとそう吐き捨てたのは、かなしげにいらった横顔。

「ひなちゃん?」

 それはこちらに振り向いたとたんさんし、新たにかたどられるのは作り物の笑顔。

「それでうしおちゃんには、お願いがあるの」

「え?」

 まさか僕も、初潮のお祝いをしなくちゃならないのかな。やはり定番は赤飯だろうか。いやでも、あれは初日だけだろうし。


「私を」不意に立ち上がる日向。

「抱いて」すべり落ちるひとえ


 さっきまで消滅していたはずの物音が、どくどくと頭をらす。あれっ、これって僕の心臓の鼓動だっけ。

 目の前に見えるのは、あやういバランスにれる、幼い肢体からだ

 いまだ華奢きゃしゃ過ぎる細長い四肢ししに、くびれて丸みをびだした腰部。そしてわずかにふくらみその中心を桜色に染めている胸元。


 だけど何よりも僕の目を奪ったのは、生まれながらのつやめく長い黒絹だけをまとった、すべらかなる肌の初雪はつゆきのごとくけがれなき純白さであった。


 おそらく、このような微妙な年頃になってから異性にその身をさらすことなど初めてであろうに、少女は端整な顔をわずかなしゅうゆがませることもなく、本物のほうぎょくのようなくろすいしょうの瞳で、にらみつけるように僕を見据みすえていた。

 むしろ僕のほうがその堂々とした態度にひるみ、慌てて顔をうつむかせてしまう。

「な、何変なこと言っているんだよ。僕らはまだ子供じゃないか! それより服を着てよ!」

「私聞いたの、『当主のつとめ』について」

 ──え?

「うしおちゃんも、知っているんでしょ?」

「……う、うん」

 一応、やくにとって、必要な知識だからって。


「私『初めて』は、うしおちゃんがいいの!」


 そう叫んで、僕におおいかぶさるように抱きついてくる小さな裸身。その勢いに押されて、僕はだらしなく尻もちをついてしまう。

 はじき飛ばされた人形たちが折り重なる。いつぞやの夜のぞき見た、両親の寝室のように。


 正直に言って、その時の僕の下半身は、持ち主の表情以上に『こわばっていた』。


 無理もない。視覚と触覚をおさななじみの年上の女の子にじゅうりんされ、のうにはこの前聞かされたばかりの、『当主の務め』の想像シーンがけ巡っていたのである。

 僕だって思春期まっただ中の男の子なのだ、精通せいつうだってこの間済ましたばかりなのである。

 それでも渾身こんしんの力をふりしぼって、僕はけなにも叫んだ。


「そんなこと、僕にはできないよ!」


「なぜ!」

 ──だって、


「うしおちゃんは」

 ──僕は、


「私のこと」

 ──ひなちゃんのこと、


「嫌いなの⁉」


「──好きだから、できないんだよ!」


 息がつまった。気がつけば、押し倒されていた。

 のどに食い込む、白魚しらうおのようなじっ

「……きれいごとは、言わないで」

 能面のような冷たい顔で、心も身体からだも何もかもさらけだして、僕の腹部にまたがっている少女。

 のどぼとけが圧迫され、頭のすみ明滅めいめつし始める。

「私はこれから好きでもない大勢の一族の男たちに、身を任せなきゃならないのよ! 初めてぐらいにあげたって誰にも文句は言わせないわ! 男たちだって私が処女じゃなくなったって、何の不満もないでしょう。別にお嫁さんにしてくれるわけでもないんだし。むしろ天堂てんどうの一族だというだけで、無条件ただでやりたいだけ私の身体からだを好きにできるんだから、言うことなんかないでしょうよ!」

 いまだおさない少女がぱだかで、『身を任せる』とか『あげる』とか『処女』とか『やりたい』とか『身体からだを好きにできる』とか言い出し、めつけられてる喉の痛みも既に限界まで達し、このエロスとタナトスのはざまで僕はいっそ狂ってしまったほうが幸せかもしれないとまで思ったが、残念ながら最後の理性がしゅう道僧どうそうのごときいばらの道を選ばせた。


「──いやだめだ。僕自身がそんなことをひなちゃんとしたくないんだ。だってそれじゃ僕も、一族の他の男たちと同じになってしまうじゃないか!」


 その瞬間日向の表情がわずかにゆるみ、おまけに指の力も弱まった。

「うしおちゃんは違うよ。だってうしおちゃんは、私たちの『守り役』になるんだもん」


「もう僕、『守り役』なんかになるのは、ごめんだ!」


 思わず僕の口からしぼり出された言葉に、目の前の端整な顔がきょうがくゆがんだ。

 そうだ、こんな狂った一族の狂った儀式の番人なんかに、誰がなるものか!

 元々僕は『守り役』なんかになるべきではなかったんだ。これまでの僕ら三人だけの、ささやかなる『思い出』を壊さないためにも。

 守り役と言ったところで、結局『家来』に過ぎないんだ。僕にとってひなちゃんやつきちゃんがただのおさななじみなんかではなく、ご当主のお嬢様であり、巫女姫様になってしまうんだ。

 ここでひなちゃんとの間に何があろうがなかろうが、僕は永遠に分家の守り役でしかないんだ。


 いや、それどころか、もしも今この場であるじ身体からだを欲望のままにけがしたりしようものなら、それはもう『ちくしょう』だ。もはや『犬』にまでちてしまうだけなんだ。


 しかし、そんな想いは目の前の少女には伝わらず、ふんゆがんだ顔で僕を突き倒しざま、勢いよく立ち上がる。

「何よ、『守り役』にならないなんて。私のことを捨てる気⁉」

「ちがう! 僕はいつまでも、君たちのおさななじみでいたいからこそ」

「うそよ! どうせ私が自分以外の男たちによごされてしまうことを知って、嫌気がさしたんでしょう⁉ あなたもつきのほうがいいのよ。永遠にじゅんしん無垢むく処女おとめのままで、頭のりないあの子のほうが!」

「ひなちゃん⁉」


「こんなことなら、私だって巫女として生まれたかった。男なんて大嫌い! 天堂の家なんて、おばあ様なんて、お父様なんて、お母様なんて、みんなみんな大嫌い‼ 私も月世になりたい。ううん、月世なんて死んでしまえばいいんだ! そうすれば、私が『とお』になれる。もう男なんかと寝ずにすむ!」


なた、なんてことを言い出すんだ⁉」

「出て行って。うしおなんか大嫌い! もう帰って‼」


 僕は逃げるように、蔵から飛び出して行った。

 おくびょうものをあざ笑うかのような、人形たちを蹴散けちらしながら。

 一度も振り返ることもなく、泣き続ける少女だけを残して。

 そう、僕は怖かったのである。


 ──幼なじみの『ひなちゃん』ではなく、女になってしまった『日向』のことが。


 そして、その日の午後のことであった。日向とその両親が一緒に交通事故にって、三人とも死んでしまったのは。

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