第五章、その二

 驚くべきことになたの考えた計画とは、自分がつきになりすまししきろうに入り、そのかわりに月世に自分のふりをさせて外に出すという、何ともとっぴょうもないものだった。


「そんなことしてだいじょうぶなの。すぐにバレちゃうんじゃないの?」

「平気よ。私つきよのまねがうまいんだから。おばあさまたちだってだましてみせるわ」

「いや、そうじゃなくて。そもそもろうやのかぎなんかはどうするの?」

「あら、かぎなんてかんたんに手に入るわよ。私だってつきよのご飯を運んだりしているのよ」


 そうなのである。座敷牢に入れているからといって、罪人みたいに監禁しているわけではないのだ。あくまでも大切な巫女みこ姫に外部の者からの攻撃や誘拐ゆうかい等の危害が及ばないようにするための、防衛的手段なのである。

 むしろ天堂てんどう本家であるここは味方ばかりの絶対安全圏とも言え、かぎの紛失やかけ忘れさえ気をつけていれば、双子の妹の日向が座敷牢に入ることなど当然の許容範囲なのであった。


「だからといって、さすがにつきよを外につれ出すのはまずいわけなの。第一この子、私がついていなかったら右も左もわからないありさまだし。そこでうしおちゃんの出番てわけなのよ」

 たしかにそうだよな。ものごころついてからずっと座敷牢なんかに入れられていたせいか、それともこれぞただびとならぬ巫女の特質なのか、どちらかというと年の割には大人びてきっぱりと自分の意見を述べていく聡明そうめいな妹の日向に対して、姉の月世のほうは『人形』みたいと言えば聞こえがいいが、何だかろくちゅうぼうっとしていてほとんど言葉もしゃべらず、『天然』と言うか何と言うか、いかにも座敷牢が似つかわしい『アッチ系』のお方であった。

 しかし何でそれが、僕の出番につながるのだろう。


「決まっているじゃない。つきよが外に出るときはかならず、うしおちゃんが『ぼでぃーがーど』としていっしょに行くってことよ」


「ええー! 『ぼでぃーがーど』⁉」

「そうよ。うしおちゃんがずっとそばにくっついていて、つきよがおかしなことをして正体がばれないように見はっているわけ」

 それは『ぼでぃーがーど』ではなく、『かんし』では?

「でもぼくだって、本家のことをまだよく知らないのに、だいじょうぶかな」


「しっかりしなさいよ。あなたはしょうらいの『もりやく』なんでしょ。私がついて行くわけにはいかないんだから、たよれるのはうしおちゃんだけなのよ!」


『もりやく』とか『たよれる』とかの言葉を聞いて、ぜん僕はふるい立った。

「うん、わかった。ぼくがんばるよ!」

 ひなちゃんが『そうめい』なのか、ぼくが『たんじゅん』なのか。

 日向が生まれつきの『女王様』気質なのか、僕が『犬』体質なのか。

「ようし、さっそく今からやるわよ!」

「うん。ぼく、二人の着がえがすむまで、蔵の外で待ってるね」

「何言ってるの、こっちに来ててつだいなさいよ。着物っていろいろめんどくさいのよ」

「いや、それは、ちょっと」

「ほら、帯をひろって」

「うわっ、つきちゃん、下に何も着ていないじゃないか!」

「ばかね。これは『ひとえ』と言って、もともと下着なの」

「でもひなちゃんは、それを下着の上から着ているじゃないか」

「うるさいわね。個人のこのみはいろいろあるのよ! さあ、帯をむすんでちょうだい!」

 どうやら生まれた時から日常生活のすべてを周りの人たちに任せっきりで過ごしてきた、『お姫さま育ち』の日向たちは、人前で着替えたり裸になることにとんちゃくのようであった。

 これは役得やくとくと喜ぶべきなのか、異性として認められなくてかなしむべきなのか、何とも複雑な心境であった。

 こうして僕は、日向の青いワンピースを着た(ただしノーパンの)月世のエスコートを、この時初めておおせつかったわけである。

 たしかに日向の言葉は正しく、僕らが屋敷の中をうろちょろしていても、誰ひとり一緒にいるのが『月世』のほうだと見破る人はいなかった。

 それに対して僕のほうは、姉妹が二人一緒にいるところを見ることが多いせいか、いつの間にかその微妙な差異がわかるようになっていき、たとえ片方がもう片方のふりをしていても、見間違うことがほとんどなくなっていったのである。

 ただし月世個人については、せっかく自由に外に出られるようになったというのに、相変わらず人形のような無表情のままなのであった。


 それでも僕はどうしても、彼女の笑顔が見たくてしかたがなかったのである。


 きっとそれは、あの天真爛漫てんしんらんまんな妹に負けないぐらい、輝くようにすてきなはずだと思えたから。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 それから一年後の夏休み。僕は再び『やく』の修業をかねて本家へと訪れて、二週間ほどとうりゅうしていた。


 もちろんそのかんも、姉妹そろって蔵の中で遊んだり、なたと入れ替わったつきと一緒に屋敷内を散策したりと、『三人だけの秘密の遊戯あそび』を相変わらず続けていたのである。

 そんなある日の、真夜中のことであった。


「──うしおちゃん。ねえ、うしおちゃんってば!」


 中庭に面したしょう越しに聞こえてくる、少女の呼び声。

「う、う~ん」

「いつまで寝ぼけているのよ。もう、おいて行っちゃうわよ!」

 わけもわからず半分眠ったままで部屋を出た時、一瞬にして眠気が吹っ飛んだ。

「ひなちゃん。しかもつきちゃんまで!」

「さあ、夜のさんぽにでかけるわよ。ねまきのままでいいから、くつだけはいてついていらっしゃい」

「いや、でも、二人ともいっしょだなんて。蔵の中を見られたら、まずいんじゃ……」

「もうみんな寝ているわよ。いいから来なさい!」

「うわっ!」

 強引に腕をとられ、そのまま縁側えんがわから引きずり下ろされる。

「あははははははははははは」

 そのまま反対側の手で自分そっくりな姉の腕もつかみ、爽快そうかいこの上もない笑い声をあげてけ出す少女。それにつられて走り始めるしかない、僕とつきちゃんであった。


 ──空にはまんまるお月さま。青一色にえられた世界は、けしてその輝きを失ってはいなかった。


 そして結局僕は、お嬢様のハイテンションがだんだんと自分にもうつってきたことを夜の女王のせいにしながら、覚悟を決めて屋敷の門をくぐり抜けたのである。


「……うわあ」

 そこには満月の光を一面に浴びた、鏡のようないずみが広がっていた。

「どう。これぞわが一族のほこる、『あまヶ池いけ』よ」

「あまがいけ?」

「そうよ。何百年も前に、この泉にねむっていた『りゅうじんさま』と、当時のてんどうの姫ぎみがむすばれて双子の女の子が生まれたの。それが『とおみのみこひめ』のたん生の伝説なのよ」

 とすると、僕もあなたもドラゴンの子孫というわけですか? くそっ、いつの日かWeb小説の主人公のお約束として異世界に転生して、勇者になる夢が破れた………って!

「ひなちゃん、何を!」

「うふふふふ。うしおちゃんも早くいらっしゃい!」


 少女は何のためらいもなく身につけているものをすべて脱ぎ去り、続いて姉のひとえもはぎ取ってから、一緒に泉へと飛び込んだ。


 派手な効果音とともに舞い上がる、激しい水しぶき。

「着がえなくていいって言ってたくせに、ねまきが水びたし……」

「ばかね、あなたもぬげばいいじゃない。それより早く来なさいよ。気持ちいいわよ!」

 だから僕はしかたなく(?)、その言葉に従うことにした。

 もたもたと衣服を脱ぎ捨てて、恐る恐るみなへと足をひたす。

 しかしそんなしゅうしんや冷たい水の感触は、目の前の光景によって一気に吹き飛んだ。


「きゃはははははははは」


 月光を浴びきらきらと輝くまつとともにおどる長い黒髪。いまだ性的に未分化であればこその清らかさと美しさを放つはくたい。そしていつもの人形のような無機質な仮面を脱ぎ捨てて満面に笑みをたたえて無邪気に水をかけ合っている、合わせ鏡の二つの顔。


「……つきちゃんが、笑っている」


 そう。それは、ずっと一人っきりでしきろうに閉じこめられてきた『伝説の巫女みこ姫様』が、初めて『ただの女の子』としての感情を見せた瞬間であった。


 彼女の笑顔は僕の想像通り日向にも負けないほどの、極上なる天使の微笑みであった。


「うしおちゃんも、いらっしゃいよ!」

「うん!」

 元気よく答えて、二人の水合戦の間に割って入った。


「──うしおちゃん。ひなちゃん。うしおちゃん。ひなちゃん。うしおちゃんひなちゃん。」


「つきちゃんが、しゃべった!」

 その声を聞くのは、初めて会ったあの日以来だ。

「……私たちの会話、ちゃんと聞いていたのね」

 感慨かんがいぶかくつぶやく日向。

 それからぼくらは時を忘れて、一晩中泉で遊び続けていた。


 ──幸せだった。


 考えてみれば、こうして三人一緒に蔵の外で遊ぶのなんて、初めてのことだったのだ。

 本当は、これが当たり前の姿なのである。

 いつか僕らがもっと大きくなった時、『とお巫女みこ』なんてくびきが取り払われ、今夜のようにいつでも自由に月世を外の世界に連れ出すことのできる日が来ればいいと、その時の僕は本気で願っていた。


 いつまでも、この『三人の時間とき』が続いていくようにと。

 僕らが、ずっとずっと、一緒にいられるようにと。


 ──しかし、崩壊の日は、あっさりとやってきたのである。

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