第三章、その三

 つき様の様子が、変だ。


 僕が帰ってきてからずっと、いつものように暴力をふるってわがままなんかも言わないし。晩ご飯の準備ができたので呼びに行っても返事はないし。そのあとも全然部屋から出てこないし。

 何と言うか、とてもまっとうにおしとやかで、まるで『ただの女の子』みたいなのだ。


 ……考えてみればこれが普通であるわけなのだが、むなしくなるので気がつかなかったことにしよう。彼女の場合、デフォルトが『変』なのであり、『普通』だった場合、何がしかの異常が存在する可能性が大きいのだ。


 まあとりあえず、静かなこともいいものだ。たまには落ち着いて宿題にでも取り組むとするか。

 僕だってやくである前にいち学生なのである、学業もけしておろそかにはできないのだ。

 久々に訪れた平和なひとときを満喫まんきつしながら、僕が学生かばんをひっくり返して教科書類を取りだそうとした時、不幸の使者はやってきた。

「な、何だ、こりゃ?」

 見覚えのない一冊のクロッキー帳。しかも中に入っていたのは──、

やま副会長⁉」


 そこに挟まっていたのは、数々のゆう王子様の写真(CGか?)であった。しかもすべて『真っ裸マッパ』の。


「盗撮か? いや、何だかみんな微妙にカメラ目線だし。まさかセルフポートレート?」

 このパソコン・デジカメ全盛時代においては、もはや素人しろうとであっても、撮影、モデル、現像、修正加工フォトレタッチ、プリント等のすべての過程を、一人でやりこなすことすら十分可能なのだ。一昔前なら現像所に出すのもはばかれた『きわどい写真』ですら、好き放題に写し、CGで修正し、家庭用プリンターで印刷することができるのである。

 ──そう、今ここにある写真のように。

「うわあ。どいつもこいつもこれちょっとやばいよ。変にデジタル効果がかかっている分、強調されるべきところがより強調されているし。目のやり場に困るというか、どうしてもそこに目が行ってしまうというか。まあとにかく、副会長って着やせなさっておられたんですねえ♡」

 なんて、まぬけなコメントをしている場合ではなかった。こんなことをなさりやがるのは王子様ご本人の他はない。サロンで密着してオタク談義やセクハラをやって人の気を引いているすきに、勝手にかばんの中に忍び込ませやがったな。

「くそう、いったい何のつもりだ。明日にでもたたき返して、厳重に抗議してやる!」

 もちろん、日向お嬢様のいないところで。こんなものを男嫌いで潔癖けっぺきしょうのお姉さま(もとい)お嬢様に見られたら身の破滅だ。……まさかそれが目的なのか?

 とにかく宿題なんかあと回しにして、先に頭でも冷やしに行こう。


 ──そして僕は軽率けいそつにも、机の上に写真をばらまいたまま、着がえだけを持って浴室へと行ってしまったのである。


「月世様、お風呂わいてますよ。寝る前にちゃんと入ってくださいねー」

 あるじの部屋に向かって呼びかけるが、何の返事もなかった。

 せっかく自分の入ったあとでちゃんと浴槽を洗い直して、お湯も入れ替えたというのに。昼間学園でいやなことでもあったのかな……あっ、間違えた。これって僕のほうでした。

 運営様からの御指摘(前々回第三章第一話参照)を遵守し、最低でも十回以上自分のセリフを再確認しながら、何の気なしに自室のドアを開けると。


「──‼」


 薄暗い蔵の中。閉ざされたしきろう。無数の人形。白い着物。


 ──そして、人形のような女の子。


 一瞬にして僕は、十年前のあの日へと引き戻される。


 しかし、電気もつけずに僕の部屋の中で能面のような無表情で立ちつくしていたのは、間違いなく『現在のあるじ様』の姿であった。

「月世様? こんなところで何やっているんですか………ああっと!」

 しまった、写真をしまっとくのを忘れていた。慌てて机のほうに目を移すと、

「──な⁉」

 ざんに切り裂かれているクロッキー帳に写真、教科書やノート、それにかばん本体。

 思わず月世のほうへと振り返ると、改めてよく見れば彼女の右手には、護身用にいつも持ち歩いている抜き身のふところがたなが……ごくり。

「あの、つき「──誰じゃ」

「え?」

「この女は、誰なのじゃ」

 初めて僕のほうへと視線を合わす少女。しかしそのくろすいしょうのような瞳には、依然感情らしきものは何も宿っていなかった。

「ああと、その、日向お嬢様のご学友で、生徒会副会長の久我山夕樹様とおっしゃる方でして」

「……日向の、学友」

「ええ、まあ」

「あの女の……」

 急にこちらへと歩を踏み出す少女。はなたれた窓から射し込む月の光にきらめく白刃はくじん

 しかし、思わず首をすくめた僕の横をすり抜けるようにして通り過ぎたあと、彼女はまるで夢遊病者のようなおぼつかない足取りで、そのまま部屋を出ていった。


 やはり、おかしい。あまりにも彼女らしくなさすぎる。


 こんな写真を見つけようなら、もっと派手にエキサイトして、小型台風みたいにこの部屋全体を破壊しつくすはずだし、僕自身もただですむわけがないのである。

 これでは普通のヤンデレではないか。……『ヤンデレ』っていったい何なんだ。またしてもむなしくなってきたが以下省略。そんなこと言っている場合でもなさそうだし。

 何だか妙な胸騒ぎがする。特に気になるのは、あのまるで人形のような無表情であった。


 ……まさか、『彼女』が?


 僕は今や原形もとどめていない写真を手に、暗闇の中で途方に暮れながら、ひとり立ちつくし続けていた。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 夜中に突然、目がめる。

 誰かに呼ばれたような、気がして。


 目を開けるとベッドのすぐ横に、白っぽい影がたたずんでいた。


「……ひっ、出たあ」

 などというわけではもちろんなく、それは同居しているおなじみの巫女みこ姫様なのだが、何だかまたしても少し様子がおかしいぞ。

「何を、しているの?」

 返事は無い。

 カーテンをめ忘れた窓からそそぎ込む月の光に照らされひとえの上に浮かび上がっているのは、感情をまったく排した人形のような青白きほそおもて

 いや、今ちょうど丑三うしみつどきだし、第一の疑惑はまだまだ捨て切れないぞ。


「しかとやれ」


 少しもほころぶこともない作り物の真珠のような唇からこぼれ落ちる、プラスティックみたいな無機質で唐突とうとつな言葉。

 何かがゆかへと落ちた。つられて見下ろせば、細長い白の帯。

 視界の端でつきが上半身をよじる。むき出しになる陶器のような両の肩。そのままほとんど抵抗するものもなしに、ひとえが自然落下する。

 ほのかなぎんはくしょくの光の中に照らし出されるのは、華奢きゃしゃだけど均整のとれたいにしえ唐天竺からてんじくてんにょ像のごときたい。ほっそりと伸びた四肢と年齢の割にはまだまだ薄い胸。そしてそれらをからめるように包んでいる黒絹のような髪の毛。

 そのとき僕はいつもの軽口かるくちなぞ完全に忘れ果て、自分のあるじ身体からだしつけにもじろじろとながめ続けていた。 


 ──なぜなら彼女は、美しかったから。


 たとえようもなくじゅんしん無垢むくに、この上もなく禍々まがまがしく。


「どうじゃ、これでわかったであろう」

 あっにとられながら身を乗り出していた僕の面前へとかがみこんでくる、二つのくろすいしょうの瞳。

「おぬしはなたや他の女のことなぞ気にせずに、このわれだけを見ておればいいのだ」

 しかしその双眸そうぼうには何の感情の光も宿ってはおらず、そのとうのような唇もゆがむこともなく、ただ無味乾燥なことつむぐばかりであった。


 ──まるでぐつを失った、あやつり人形の顔のように。


「さすればおぬしだけに、この世の快楽の限りを味あわせてやろうぞ」

 月が落下してくるようにみるみる近づいてくる闇色の瞳。いつの間にか僕の両ほほ白魚しらうおのような指に握りしめられていた。


「やめろ! 今のおまえは『月世』じゃない! ただの人形だ! 過去からさまよい出てきた『亡霊ぼうれい』だ! とっとと消えてしまえ!」


 少女の手を強引に振りほどき、ベッドの上におうちしてにらみ下ろす。

「なぜじゃ、なぜそれほどまでに、おぬしは我を拒絶する。今のこの我こそが、おぬし自身が望んだ姿なのだぞ?」

「僕はそんなこと、望んではいない!」

 亡霊が無表情のままきょとんとあどけなく首をかしげる。くそっ。いっそ嘲笑ちょうしょうされたほうが腹が立たないぜ。

「おろかな。たとえどんなに日向に恋いがれようが、本家の犬であるおぬしなぞに、けして振り向きはすまいに。それとも何か、もはや我ら姉妹が自分の思い通りにならぬゆえに、まったく別の女に逃げ出そうという腹か?」

 さすがに弁が立つな、『とお巫女みこ』様は。ちきしょう。どこまでが月世の意志で、どこからが巫女の意志だかわからないから、下手な手出しもできやしない。まさかここで『切り札』を使うわけにもいかないし。

「それもよかろう。じゃが我は、自分の意のままにならないやくなぞ、必要ではないのでな」


 いきなり右頬に痛みが走った。続けざまに左腕、両の太ももにも。


 気がつけば、本や文具類、CDやDVDやBD、衣類やクッション等が、部屋中を飛び回り、つぎつぎに僕へと襲いかかってきていた。

「やめるんだ、月世!」

「なぜその名前で我を呼ぶ。さっきは否定したくせに」

 吹き荒れる突風の中で、のたうち回る大蛇だいじゃのようにおどる黒髪。しかしそれ以外にどうするパーツもなくたたずむ少女の裸身にも、容赦なく物がぶつかっていく。

「ばかっ! 制御せいぎょもできないくせに力を使うから!」

 腕を取り力まかせにベッドに引きずり込み、その上におおいかぶさる。

 日頃の恩義も忘れて激しくぶつかってくる、数々の愛用品。

 それでも僕は必死に、月世の身体からだだけは守り続けた。

「……しかたないのう」

 胸元から聞こえてきたそのつぶやきとともに、突風がやにわにやみ、次々に品々が落下する。

「こうまでしておなが誘っておるというのに、心身共に何の変化も示さぬとは、もはやお手上げじゃ。いっそのこと裸なんぞにならずに、日向の制服でも借りてくればよかったかのう」

 う。そっちのほうが、やばかったかも。

よいはもう退散たいさんしよう。しかし我はけしてあきらめぬぞ。それが『このむすめ』の願いだからな」

 そう言って、最初から最後まで何の感情も見せず、僕の身体からだの下から抜け出しベッドをおりた少女は、そのまま振り返ることもなく部屋をあとにしていった。

 ええと。この惨憺さんたんたる部屋の有様ありさまは、いったい誰があとかたづけをするのでしょうか?


 しかし、軽口かるくちを叩いているひまはなかった。既に『彼女』が目覚めつつあるのだ。


 時を飛び越え、あの仄暗ほのぐらしきろうの中から、とこしえに忘れえぬ思い出をともなって。

 天堂てんどう本家を、いや、この国を数百年間も支配し続けてきた、伝説の巫女が。


 ──僕の最も恐れていた、『破滅の魔女』が。

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