第二章、その二

 予想通り、本日のなたお嬢様のご機嫌は、『暴風警報発令中』であった。


「何やっていたのうしお、今日も私たちを待たせるなんて、この頃たるんでいるわよ!」


 いや、僕は一応あなたのやくであって、生徒会役員ではないわけで。

「さっそくだけど職員室に行ってちょうだい。学園祭に関する理事会事務局側の最終基本計画ができ上がったそうだから、もらって来て」

 しかも、全然遠慮なしだし。

「──あの」

「何よ、何か文句でもあるの?」

「いえ、そうではなくて。今朝けさ方、ご本家のほうから連絡がありまして」

「本家から?」

 この世で一番きらっている単語を聞いて、女王様のまゆが寄る。

「もうずいぶんとご無沙汰ぶさたなされておられますから、お嬢様には一度ご本家へご帰還をと」

「いやよ」

 即答かよ。

「どうせあの方たちが必要なのはつきでしょう、月世を連れて帰ればいいじゃない」

「日向お嬢様だって天堂てんどう本家の正統な後継者であらせられるのですよ。月世様が帰られるなら当然日向様もご同行なさるべきであって」

「──月世のオマケ扱いなんてけっこうよ!」

 あ~あ、これ以上何言ってもだめそうだな、こりゃ。何もこんなタイミングで本家の奴らもいらんこと言ってこなければいいのに。

 ほら、ただでさえご機嫌ななめだったのに、ついに『大雨洪水警報』も発令されそうだぜ。

 触らぬ神に祟りなしだ、さっさと仕事を済ませて帰りましょう。


 しかし、こんな時だからこそ、はからったように厄介事やっかいごとって起こるんだよな。特にこの部屋サロンには、日向様限定『トラブル発生装置』的なお人がおられるから。


「ねえ潮君、ちょっと見てごらんよ、これ」

 にやにや顔で自席のパソコン画面を見ながら手招きをする、我が学園の誇る『王子様』こと、やまゆう副会長殿。

「いったい何ですか。……ちょっとこれって!」

 何ということでしょう。ヒラヒラとした短いスカートの娘さんのあられもない姿のデジカメ画像がわんさかと、パソコンのデスクトップを所せましと飾っているではありませんか。

「別にやましい写真じゃないよ。我が校の女子テニス部と女子ラクロス部の練習風景を写しただけだからね」

 いや、アングルだとかポーズだとかいろいろ問題点が多過ぎるような気が。第一何だか全部『盗撮とうさつ』っぽいんですけど。

「あと『グランド・ホッケー部』があれば完璧なんだけどね。あのユニホームも十分にえだしね。知ってるかい? グラホって。欧米ではけっこう有名なスポーツなんだけど。はぎ望都もとの『ケ・セラ・セラ』やジュニア小説の『女子校サバイバル』なんかにも出ていたし」

 ……いろいろな方面のオタク知識に、造詣ぞうけいの深い人だな。

「ちょっと夕樹、ばかなことばかり言ってないで仕事しなさい。ここは生徒会室なのよ。そういった趣味に関することはクラブ活動か個人的にでもやってちょうだい!」

 ほほを寄せ合うように画面を見ていたたわけ者二人に、生徒会長様の手厳しい叱責しっせきの声が飛ぶ。いかん、いつの間にか熱中してしまっていた。

 しかし「あ〜あ、日向に怒られちゃった」……あくまでもへいへいな副会長殿であった。

「それに潮、あなたも阿呆あほづらげて夕樹の低俗な趣味につきあったりしないの。女子エリアで危険人物と烙印らくいんを押されたら、そこで人生おしまいなのよ!」

 では何で王子様は大丈夫なんですか。くそ、女は無理でもせめてオカマに生まれたかった。

「日向ったら。私の趣味は低俗で構わないが、潮君に阿呆あほづらはいくらご本家でも失礼だろう。事実けっこうなハンサムさんじゃないか。それに悪いのは私なんだし」

 え、そうなんですか。語り手だからあえて自己描写はひかえていたんですが。いやあ、やっぱりオカマに生まれなくてよかった♡

「失礼。低俗ではなくて、ようね。うちのぼくのどこがハンサムだって言うの。いくら同情をひく面相めんそうをしているからって、そこまでかばっていただかなくてもけっこうよ」

 うわ、すぐさま全否定された。しかも容赦ようしゃのない手厳しさで。しかしどっちが正しいんだろ。もしもこの作品に『挿し絵イラスト』が付くようなことがあれば、その節は何とぞよろしくお願いします。

 その時、いかにも処置なしといった感じで肩をすくめ、唐突とうとつに副会長がらした一言。


「何だよ日向、今日はやけに突っかかってくるね。もしかして『アレ』の日かい?」


 あ、やばい。

 その瞬間、サロンの時間がこおりついた。

「え、ちょっと。……まさか日向」

 注目を一身にびたお嬢様は、ちぢこまり身をこわばらす僕の姿をちらりと一瞥いちべつしたあと、副会長のほうへと能面のような無表情な顔を向けた。

「ごめん日向、私知らなくて──」

「余計な気配りは、必要なくてよ」

 そしていきなり席を立ち、僕のほうへとかがみこみ顔を目前まで迫らせてくる。

「どうせあなたは先刻ご承知だったんでしょう? 別にわざわざ夕樹が『年頃の男の子』扱いをしてあげて、話題にづかうことなんてないのよ。ねえ、本家の『犬』さん」

 そりゃあ『月世様』の状態からすれば当然の流れだけど、なぜここで本家の話が。

「日向、犬なんて言いすぎだよ」

「犬は犬で犬だから犬なのよ!」

 何の活用形なのだ、それは。

「こいつは本当は私たち姉妹の守り役なんかじゃないの、本家のスパイなの。私たちにろくちゅう張り付いてこそこそあることないことかぎ回って、本家に逐一ちくいち報告しているんだから」

「何で天堂ほどの名家が、自分ちのいまだ年若い娘たちの素行調査なんかをしているんだい?」

「──それだけ『とお巫女みこ』という存在が、天堂家にとっては重要だからよ!」

 もはやいつもの女王様然とした仮面なぞかなぐり捨て、本音むき出しにわめきだす少女。

「あの人たちが必要としているのは、必死に努力してより良き当主の後継者になろうとしている平凡な素質しか持たない出来できそこないの孫娘なんかではなくて、頭が少しりなくてもかみがかりな力を持った巫女姫様だけなのよ。結局あの家にとって女なんて道具でしかないの! もう二度とあの人たちの顔なんか見たくない。あの人たちの言葉なんか聞きたくない。あの家の空気なんか吸いたくはないわ!」

 そして怒りの矛先ほこさきは、目の前の裏切り者へと向けられる。

「あなたはいつから本家と私たちとの『メッセンジャー・ボーイ』に成り下がったの? 私や月世にとっての『おさななじみの男の子』はどこに行ってしまったの⁉ 『本家の犬』なんぞに用はないわ。本当は私なんかに関心もないくせに近づかないで。本家の年寄りどもの戯言たわごとなんか聞かせないで‼」

 悲痛に叫び終わり、肩で息をするようにあえぎ続ける日向。

 返す言葉もなかった、すべておっしゃる通りだ。──でも、一つだけ聞き捨てならないんだけど、『関心がない』だと?

 何言っているんだ。関心があるからこそ、こんな犬みたいな真似まねをしているんじゃないか。たとえどんなにののしられようともね。

「な、何よ、気味の悪い」

 五年前、葬儀場で君を見てから。いや、十年前、蔵の中で初めて出会ったその時から。

「何を笑っているのよ」

 笑っている? ああ、これが『ちょう』か。そうさ自分をあざわらっているのさ。犬の自分をね。

「ふん。どうせ私の身体からだを見ながら、昨日風呂場でのぞき見でもした月世の裸でも思い出しているんでしょ。何が守り役よ。あなたなんかただのぼくよ、ゲスなのぞき屋よ! どうせ今日の私たちの下着の色まで調べくしているんでしょう?」

 いや、何もそこまでは。「……第一月世様は、下着なんかはいてないし」


 みるみる般若はんにゃすお嬢様のうるわしきお顔。いかん、後半部分だけ口に出してしまっていた!


「このっ、変態! 変態! 変態! 変態! 『遠見の巫女』の守り役であるのをいいことに、あなた月世と一緒に暮らしながら、いったい何やっているのよ!」

 いや、ナニやっているのと言われましても。あくまでもこうして数百年をほこる巫女姫様の伝統的なコスチューム・ルールを存じておりますのは、守り役としての最低限必要とする教養課程で学んだわけでして──


「もう、知らない!」


 せっかくいろいろと言い訳を考案していたのにこちらに弁明するいとまも与えずに、自分のかばんを引ったくるように抱え込み肩をいからせながら、その場を立ち去っていく日向お嬢様。

 それをなすすべもなく見送り呆然ぼうぜんとたたずみながら、弁護士の要請に対する必要性をコストその他もろもろを勘案かんあんしながら思索しているうちに聞こえてくる、鳥のさえずりのようなしのび笑い。

「くっくっくっ。いやあ、面白いものを見せていただいたよ。君たち主従のやり取りって、いつもこうなのかい?」

 何だよ、人の社会的地位が危機にひんしている時に、お笑いタレント扱いしやがって。金取るぞ。

「ところで、本当のところはどうなんだい?」

「はあ?」

 何だその、期待に満ちた思春期の男子中学生のような目は。

「本日の彼女の下着のカラーリングだよ」

 あんたって人はどこまで……だいたい僕が、ご主人様の恥をさらすとでも思っているのか。

「──赤です」

「ええっ、日向ったら。う~ん、さしずめ『められし激情』といったところかな♡」

 何じゃそれは。どうでもいいけど、何ニヤニヤしながらあごに手を当てているんだ。

 ……てめえ、想像しているな。

「しかも、上はみどりです」

「うげっ」

 やっぱり想像していやがった。

「何だそのでたらめな配色は。美術の時間にでも忠告しなくては。まったくきょうざめだよ」

 いや、何もはかないって手もありますよ。

「それにしても、意外だったな」

「はあ、赤だったことがですか?」

 やけにこだわるな。何だったら「実は阪神はんしんファンであられるから虎ジマです」とでも答えておくんだった。

「違うよ、日向の君への態度だよ」

「へ?」

 まあ、少々エキセントリック過ぎたかなとも思うけど、いつもの彼女らしい女王様ぶりだったのでは。

「たしかに今日の彼女自身の物言いは、それほど普段と変わりはしなかった。元々あまり男性ってものが得意ではなさそうだしね」

 ああ、まあ、一応旧家の深窓のご令嬢ですしね。

「それに、自分の一族に対して思うところが多々あるのも、これまでも特に隠そうとはしてこなかったし」

 はあ。そこら辺は僕といたしましても、少し耳が痛いお話でして。

「それなのに非常に興味深かったのが、これまでの君への対応ぶりだったんだがね」

「ええと、『女王様と犬』ってことですか?」

「ふふ、違うよ。たしかに君への扱いは情け容赦なくかなり厳しいものがあるけど、それでもあの男嫌いが自分のそばに男子生徒をはべらすなんて、驚き以外の何ものでもなかったわけだ。しかも聞くところによると、君は天堂一族の一員だという。これは日向にとって何か重要な人物で、生徒会長である彼女のかたよった交遊関係を是正するいいけいになるんではないかと、ひそかに期待していたんだがね」

 ああ、なるほどね。あのお嬢様のことだ、自分が興味を持てない相手なら、口もきかないといったところだろう。それなのによく生徒会長なんかになったものだ。

「買いかぶりです。ご期待にそえなくて恐縮きょうしゅくですが、僕は昔から彼女には嫌われていましたからね」

 そう。少なくとも、『日向』からはね。

「へえ、そう思っているんだ」

 さも面白いことを聞いたとばかり、瞳を輝かせ含み笑いをする副会長殿。そしていきなり席を立ち、僕の背後へと回り込んでくる。

「だったら、構わないわけだ」

 なれなれしく、肩に置かれる右手。

「何が、ですか?」


「私が君と、つき合ってもだよ」


 ──はあ?

 思わず眼前へと迫り来た、その端整なご尊顔そんがんとにらめっこ。

 ちょっと待てよ、あんたは日向ねらいじゃなかったのか。

「ふふふ。意外過ぎて声も出ないかい? こういった可能性など少しも考えなかったって顔だね。失礼しちゃうな、私だって女の子なのに」

 それはどうも、誠に申し訳ない。


「それとも日向お嬢様以外の女など、目にも入らなかったって訳かな?」


 明らかに人を挑発する言葉と目つきで、容赦なく急所を突いてくる、学園政治の黒幕殿。

 面白い、こういうわかりやすいお誘いは嫌いじゃない。ある意味守り役の職分とも合っているし。

「一応保留ということで。帰って『妻』とも相談しなければなりませんし」

「妻あ? ああ、同棲どうせいしているとかいう、日向の姉上殿か」

 何だか初々ういういしい高校生同士の告白シーンから、どんどん遠ざかっていくように感じるのはどうしてだろうか。

「そうだ。デジカメ貸すから、今度姉上殿の写真をってきてくれないか。いいシーンがあったら高く買うよ♡」

 やっぱり『そっち系』なのかよ。しかもじゃっかん『犯罪系』寄りだし。さっきの告白シーンはいつもの冗談か。

「それもまたいつかの機会に。では遅くなると『妻』が心配しますので」

 そう言いつつかばんを引っさげ、足早にサロンを出て行こうとすると──「待って」

 振り向くと、これまでになくまじめで不敵な笑顔が。


「さっきの言葉は本気だからね。君に妻がいようと同棲相手がいようと構わない、何せ本命が誰かを知っているからね。本命が君に振り向かない限り、私にもチャンスがあるって訳だ」


 そううそぶく声には何も答えずサロンを出て行く。今度は呼び止めるセリフはなかった。

 中庭に出てみても、もはや日向お嬢様は影も形もなかった。また一人で帰してしまったようだ、これでは守り役失格である。

「相当怒っていたからなあ。女性もいろいろと大変だ、何せ今日は『一日目』──」


 けだした。山道を。ひとごとの途中で。


 しまったしまったしまったしまった。セリフの配分を間違えていた。『守り役失格』って、ここで使うべきだったんだ。

 何をゆうちょうに、サロンなんかでだべっていたんだ。

 そうだ、今日は『一日目』──あの『悪夢』の再来する日なのだ。


 さあどっちにする。本命? 本妻?


 まるで浮気がばれた亭主の気分。人生十六年にして究極の選択。


 ──ええい、こういう時は本能に頼るに限る。


 そして僕の足は一直線に、今朝あとにした2LDKのマンションへと走っていった。

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