二、紅き記憶(おもいで)の軛。

第二章、プロローグ&本文その一

 ──久しぶりに会ったその少女は、全身漆黒しっこくのいでたちをしていた。


 こんなに多くの親戚が集まっているのを見るのは生まれて初めてであり、大人も子供もこれまで会ったこともない人ばかりだったけど、どんなに人波の中に埋もれていようとも、僕が彼女の姿をあやまることなどあろうはずがなかった。

 なく降りそそぐさめれそぼった長い黒髪はつややきをいや増しながら、少女のいまだ未成熟な肢体からだに重くねっとりとからみつき、闇色の天鵞絨ベルベットのワンピースともども彼女のはくの肌を妖艶ようえんなほどまでにきわたせていた。

 しかしその時の僕は、いとけなきいろを発するおさななじみの姿に見ほれることもなく、ただただ混乱していた。


 ──どうして、『あの子』が、ここにいるのだろう。


 今この場所に彼女がいるはずないのに。そんなの絶対におかしいのに。なのになぜ周りの大人たちは何も言わず当たり前の顔をしているのだろうか。

 このげんしゅくなる場において挙動きょどうしんすぎる慌てぶりで、あたりをきょろきょろ見回していたら、突然鋭い視線にぬかれてしまった。

 振り向けば、この世の何ものをもくような、黒金剛石ブラック・ダイヤモンドみたいな二つの瞳。

 あたかもその少女は、見る者の運命を宣告する暗黒の死の女神のごときぎょうそうで、こちらをかんぜんえていた。


 そう、彼女も気付いたのである。僕がおのれの『正体』を、見抜いてしまったことに。




  二、あか記憶おもいでくびき



『──つきの様子は、どうじゃ』

「相変わらずです。以前よりもますます感情豊かになり、内面的感受性も外面的表現力もごく一般的な少女のものに近づきつつあり、むしろ巫女みこしつから離れていってしまわれているかと思われます」

『ふむ、やむを得ない処置とはいえ、こうしてぞくとの関わりが多くなれば、それだけへいがいえるというものか』

「やはり巫女の条件が変質してしまった今となっては、もはや元の無垢むくなる状態に戻ることは望むべくもないのでは?」

『そなたに判断なぞ求めてはいない。引き続き月世のそばひかえ、「観察報告」さえすればよい』

「は、心得ております」

 まったく、相変わらずだな本家のご当主様は。ご自分の孫娘を実験動物か夏休みの課題の朝顔とでも間違えているんじゃないのか?

『学園のほうでの、あの子の様子はどうじゃ』

 ──ふうん、今度は『なた』のほうか。なるほどなるほど、一応は気にしていたか。

「ええ、相変わらず成績も良好で、生徒会長としての役職等もそつなくこなしておられます」

天堂てんどうの人間としては当然のことだ。むしろその分巫女としての力量がそなわっていたなら……いや、言ってもせんないことだった』

「はあ」

『とにかくそなたはどんなさいちょうこうであっても、あの子に変化が現れたらただちに我らに知らせるのだ。ゆめゆめおのれの「お役目」を忘れるではないぞ』

きもめいじて『──ブツッ』……おきます」

 いつものようにこちらの言葉の途中で、一方的に遮断しゃだんされる通話。

 手にしていた携帯電話をゆかにたたきつけたあと、ため込んでいた二酸化炭素を盛大に放出する。


 ──吐き気がした。


 けなにがんばり歯を食いしばって自分の運命とたたかっている娘を、ただの道具としか見なせない本家の年寄りどもも。


 その両者の間をこそこそとびへつらって、いつわりの忠義づらをし続けている、大嘘つきのボクも。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ──さあ、今日も新しい『日常』の始まりだ。


 本家への定期報告を終わらせた僕は、そのやるせない怒りを解消するひまもなく、ご主人様の朝のお世話の準備に取りかかる。

 まずは朝食を作りリビングに運び食器を並べ、洗面所に湯を張りタオルを準備し、その合間につけっぱなしのテレビから内外の情勢や天気予報をチェックする。

つき様、朝ですよー。御飯の準備もできておりますよー」

 おかしい。これでもう十回以上も呼びかけているのに、返事の一つもない。御飯と聞いて反応しないとは何事なにごとか。もしやまだ昨夜のことを根に持っているのか?

 なかなか起きてこないご主人様にごうやし寝室へと直接迎えに行くと、ドアを開けたとたん新大陸を三つくらい発見するほどの『大後悔』をすることになった。

 部屋の中央のベッドの前には、まるで迷子の迷子の小猫ちゃんのような情けない表情の少女がたたずんでおり、僕の姿を見るなりほっとしたかのように口を開いた。


うしお、どうしよう。始まってしもうた」


 はしたなく持ち上げられたまき兼用のひとえすそなまめかしい両の太ももにからみつくように流れ落ちている、幾筋かのくれない色の軌跡。

 ──ひええええっ、ちょっと勘弁かんべんしてよ。一応こっちも思春期の男の子なんだから、朝一番からのこの展開はあまりにもきつすぎる。

「待てっ。それ以上裾を持ち上げちゃダメ!」

「だって、このままじゃひとえが汚れてしまうぞ」

「ああもう、いいからこっちに来てください!」


 それからはまるで、戦争のような有様ありさまであった。


 まず本人を風呂場に放り込んでシャワーを浴びさせ→そのあいだに汚れたしょうを洗濯機につっこみ→新しいひとえと生理用品を用意し→風呂上がりの彼女にそれらを装着させたあと下半身をサラシでぐるぐる巻きにする(彼女が下着を着用しない主義なので)。

 ……ええと、どこからどこまでを僕が直接手を下したかは、コメントをげんひかえさせていただきます。

 いったいどういうことなんだ。『予定日』よりも一週間も早いではないか。

 ──って、何なんだその、いかにも『じょうとう』なコメントぶりは。おまえはその子の主治医か母親なのか──とかなんとか思われたかもしれないが、実はこれも『とお巫女みこ』のやくとしては、ごく当然の役目でしかないのだ。


 常に彼女の体調の万全に気を配り、巫女としての能力の育成に支障をきたさないようにすること。そのためには本人以上にその心身のありようを熟知し、今朝けさのように何かことが起これば、ちゅうちょなくかつ迅速に適切な処置をほどこさなければならないのである。


「うぐっ、えぐっ、ひくっ」

「もうその辺で、いい加減泣きやんでください。それより身体からだがつらいようなら、ちゃんと布団に寝ていたほうがいいですよ」

 学生かばんにぞんざいに教科書類を放り込みながら、いまだ顔を泣きはらしてむずかりながら僕のそばを離れようとしない巫女姫様に向かって言った。やばい、このままじゃ遅刻確定だ。

 元々女子校であるせいレーン学園における男子用校舎は、あくまでも学園経営上の事情によりあまっていたさらに山奥の土地に増設されたオマケ的な存在なのであり、その立地条件は女子校舎よりも極端に悪く、たとえば同じ家で暮らしている場合であっても、男子は女子より最低でも三十分は早く出発しないと授業に遅れてしまいかねないのである。

「ひどい。こんな状態のわれを一人残して学校に行ってしまう気か? それでもおぬしは守り役なのか!」

「学生の本分はあくまでも勉学ですので。それに『初めて』でもあるまいし、いい加減に一人で処理できるようになってくださいよ。これでも僕男なんですよ」

「我だって、好きで生理になっているわけではない!」

「はいはい。少々きついのはいつも最初のうちだけなんですから、できるだけ心を落ち着かせて安静になさっていてくださいね。それでは行ってきます」

「あ、こら! 潮のばか! もう嫌いじゃ!」

 そんな逆ギレ巫女姫様のせいを背中に浴びながら、慌てて家を飛び出していく。遅刻なぞしようものなら、『もう一人のご主人様』の怒りはいかばかりであろうか。

 過去のデータからして、あちらも間違いなく、『始まっている』わけで。


 ……しかし、『潮のばか!』か。


 馬鹿じゃなかったらとっくにリタイアしているだろう。朝っぱらからこんな騒動をくり返している男子高校生が、いったい日本に何人いると言うのだ。

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