ツンデレお嬢様とヤンデレ巫女様と犬の僕

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一、お嬢様たちと犬(ボク)♡

第一章、プロローグ&本文(丸ごと全部)

 僕がその少女と最初に出会ったのは、初めて訪れた御本家の広大なる屋敷で迷い込んだ、古めいてばかでかい蔵の中であった。


「あなたは、だあれ?」


 初めは、人形が口をきいたのかと思った。

 何せ小さな明かり取り用の小窓しかないその蔵は、三方の壁に設置された物置棚ものおきだなはもちろんゆか一面にまで足の踏み場もないほど、きょう人形、フランス人形、文楽ぶんらく人形、ビスクドール、市松いちまつ人形、はか人形、その他もろもろの古今東西の少女人形で埋めくされており、しかもそのど真ん中にひっそりと正座している少女はというと、腰元までゆうに届くつややかで長い絹糸きぬいとのような黒髪と、いまだ性的に未分化なほっそりとした小柄な体躯からだに陶器のようにすべらかで純白の肌、そしてその小作りの顔はあたかも能面のように無表情なものの、まさしくだいの人形師が丹精たんせい込めて作り上げたような絶世のしゅうれいさを誇っていたのだ。

 僕は言葉を発することなぞ完全に忘れ果て、その自分と同じ六、七歳ぐらいの少女の姿にただただ見とれ続け、その場を立ち去ることもそれ以上少女に近寄ることもできずにいた。

 彼女の天使か妖精かと見まがうほどの神々こうごうしさにおくれしただけではない。その時僕ら二人の間をへだてていたのは無数の人形の群れだけでなく、大人の腕ほどに太くがんじょうなる木製のこうが立ちはだかっていたのだ。


 その時の僕はまだ、『しきろう』という言葉を知らなかった。


 しかし少女のほうはというと、こんな場所にいきなり現れた来訪者がよほど珍しかったのか、床に散らばる人形を押しのけながら迫り来て、格子しにその細く短い腕を懸命けんめいに伸ばしてきたかと思うもなく、僕の両ほほわしづかみにしたのである。

「あ、あの……」

 横一文字に切りそろえられた髪の毛の下でれている、何の感情にも染まっていないくろすいしょうのようにき通った瞳。

 僕は文字通りへびににらまれたかえるのように身じろぎ一つできずに、このままこの子とこの蔵に閉じこめられてしまうのかそれもいいかもねと、なかばあきらめかけていたまさにその時──


「そこで、何をしてるの⁉」


 突然背後から響き渡る、少女の声。

 思わず振り返った僕に、更なるきょうがくが訪れた。


 そう。そこでわずかに怒気どきを含んだ表情でおうちしていた少女は、いまだ僕の頭部を拘束し続けている格子の中の女の子と、まさしくうり二つの顔かたちをしていたのだから。




  一、おじょうさまたちとボク



「……遠い、遠過ぎる」


 もう秋もなかばだというのにまだ夏がサービス残業させられ、経営者の賃金不払いに対してストライキでもしているような暑い午後。さっきからずっと汗だくになって歩き続けているゆるやかなそうもされていないのぼざかはそのまま小さな森へとみ込まれており、それがさまたげとなっていまだ目的地を視認することもままならなかった。

 これじゃ、毎日がハイキングである。

 これが『毎日がピクニック』であれば、何となくイギリス映画の田園風景の中で美男美女のたわむれの光景シーンが浮かび上がってくるところであるが、そもそもハイキングとピクニックの差異というものを明確に把握していない純日本人の僕としては、結局は大した違いもなく本来どうでもいいことであり、つまるところはあまりにも退屈な道のりに辟易へきえきしていて、やくたいのないことを思い浮かぶがままに頭の中でこねり回しているだけであり「──アリアリって、これじゃまるでアリの行進だよ!」と、今度は数十年前に放映された教育現場を題材モチーフにしたTVドラマを頭に浮かべながら、その主題歌をシャウトしながら口ずさむという器用な真似まねをし始めた。ところであの主役の歌手は今年もどうかんでコンサートをやるつもりだろうか。一人で百回以上も「──ああ、暇だ、暇だ、しかも疲れた!」

 自己紹介がすっかり遅れてしまっているが、別に僕はどこかの『なろう系』の主人公みたいに、突然異世界に転移して慣れないファンタジー世界の中で道に迷ってしまっているわけではない。あくまでも地方都市の一介の高校一年生であり、それにここはれっきとした現代日本国内に実在する某学園の敷地内なのだ。僕はただ所用があって、自分の教室がある校舎から別の校舎へと向かっているだけなのである。


 あえて問題点をあげるとすれば、この学園が歴史的に複雑な事情を内包していて、その敷地が異常に広大であるということであった。


 最初からできるだけ、簡潔かんけつめいりょうに説明しよう。

 元々ここは、風光ふうこうめいな大自然の中で良家の子女をのびのびと教育することを目的に設立された、中高一貫の寄宿制のお嬢様学校であったのだ。

 しかしへんな地方都市の山の中に建てたのが災いしたのか、昨今の経済不況の中で学園経営も苦しくなり、対策を迫られた経営陣は有り余っていた土地の有効活用として、通学も可能な男女共学校へと華麗なる転身をはかることにしたのである。

 けれどこれに猛反対したのが在校生の保護者や卒業生の皆さんで、つまりは長い女子校の歴史のうちにはぐくまれた男子に対する嫌悪感や危険意識は予想以上に根深いものがあって、またまた経営陣は対策にりょすることになったわけだ。

 その結果ほとんど妥協案とも言える解決策として、一応同じ敷地内の山の中に男子用の新校舎を建設はするものの、既存の女子校舎とは物理的にも相当の距離を置き、そのカリキュラムにおいても男子と女子とが同席することは原則的にないように設定され、クラブ等の課外活動においても体育会系等のおもに男子が好むものは男子校舎近辺に、文化系や女子テニス部など女子用のものは女子校舎近辺に部室や練習場を配するという徹底ぶりで、共学といいながらも男女のれ合いの場などほとんどない有様ありさまであった。

 特に歴史的にもこの学園では女子のほうが権力が強く、何かにつけて男子を排除しがちで、そうなると男子は男子で一致団結する傾向をみせ、女子エリアと男子エリアがほとんど独立状態となり、生徒の行き来もほとんどない状況とあいなってしまっていた。

 とは言うものの、このように何か用事がある者は、遠く離れた校舎間をわざわざ汗だくになりながら、何度も往復しなければならないわけなのだ。

 まったく何なんだ、同じ学園内なのにこの『隔離政策アパルトヘイト』みたいなありようは。賛同者を集めて武装蜂起するぞ。このままでは両方のエリアとも同性愛者の天国となり由々ゆゆしき状況に……なったらなったで、それはそれでかいそうだからまあいいか。

 どうせなら理事会で派閥争いでも起こって、きっぱりと男子校と女子校に別れてしまえばいいのに。たとえば宗教的にもカトリック校と仏教校とで反目し合って、おまけに互いの学園長がいがみ合っているお陰で生徒同士がまったく交流できず、見かねた転入生の元気な女の子が騒ぎを起こして両校の距離が(あくまでも心理的に)ぐっと近づくという、70年代の少女漫画のノリになればいいのではないかと、二股ふたまたの分かれ道にぽつんとたたずむ純白のマリア像に手を合わせお祈りをした。(あれ、何だかチャンポンになってしまったぞ)

 ま、別にどうでもいいか。どうせうちの家系は代々『神道しんとう』だしね。

 うざいのは毎回教室を出るさいに、『お嬢様の犬は哀想わいそうだねえ』と同級生のなまあたたかい目に見送られることだけである。ふむ、やっかみとは怖いものだと結論して自分自身をなぐさめておこう。


 ──そう。この物語は二人のお嬢様に身も心もくし続ける、ある一人の忠実な犬のような少年の、『愛と喜びと涙』の感動巨篇なのであった。


 ……自分で言っておいてむなしくなってきた。何なんだよ『忠実な犬のような』って。

 とかなんとか、心の中でむしろみずからをおとしめる謙虚けんきょさに満ちあふれたキャッチ・コピーを完成させたところで、目的地の生徒会室のある、『せいレーン学園高等部女子専用第一校舎』へとたどり着く。

 何だか宇宙怪獣を見るような女子の皆様の視線が痛いが、そこは勝手知ったる他人の校舎、あえて平然な顔をして通路を早足でけ抜け「ちわ」とぞんざいな挨拶あいさつとともにノックもせず最高権力機構である生徒会室へと進み入り誰もいない室内を横切り奥の資料室の扉を中途半端の勢いで開け「──おそい!」

 ……いきなり、しかられてしまった。


 入口のすぐ手前で(いつから待ってたんだこの人?)腕を組みおうちしていたのは、伝統ある漆黒しっこくのワンピース(おしい、セーラーではない)の制服にその均整のとれたほっそりとした肢体からだを包み込み、ひたいで切りそろえられた長くつややかな黒髪を腰元までらし、小作りで端整な顔の中ではくろすいしょうの瞳が怒りの炎をたぎらせながら自分のぼくをにらみつけていた。


 とにかく身にけているのが黒一色であり、そのはくの肌のきわつことといったらこの上もないわけで──

「何をしていたの! 授業が終わったらただちに来るように申しつけていたでしょう?」

 ええと、あなた様のご容姿の紹介の途中だったのですが。

「男子校舎に行かれたことのない生徒会長殿は御存じないでしょうが、これでも六時限目が終わってすぐ「──言い訳をしない!」

 しまった、忠実なる臣下失格だ。むちがあったら打たれていたところだ。そのうち教師用のものしでも準備しておこう。わくわく。

 この目の前の容姿といい言動といいまさに女王様然とした少女こそ、聖レーン学園高等部二年生にして現生徒会長の園内最高権力者、天堂てんどうなたお嬢様その人であった。

 この説明にはけして何ら誇張は入っていない。よく小説やマンガの学園物のヒロインが理事長の孫娘だったりするが、名門天堂本家にとってはこの学園の理事長など下っ端のそのまた下っ端の配下にすぎなかったりするのだ。


 ──天堂家──。数百年の歴史を持つこの地方都市をぎゅうる名家にしてそれにとどまらず、たぐいまれなる『のうの血統』によりこの国の政治や経済を闇の世界からあやつり続け、その権力への尊敬と畏怖いふから『りゅうの一族』と暗に呼ばれる家柄であった。


 予言の力を持つ『とお巫女みこ』をはいしゅつすることで権勢を伸ばしてきたこの家は典型的な女系一族であって、まだ少女とはいえ本家直系の女子であるこの日向こそは、日本全国に散らばる本家や分家の者たちの絶対的崇拝の対象であり、文字通り『女王様』然としていても誰からも文句を言われる筋合いはないのだ。

 そして天堂家の筆頭分家にして代々直系の女子のやくとして、常におそばつかえ続けているのがまさに我がきょう家であり、しょうこの僕こそがその次期当主に内定している鏡池うしおなのだった。

 天堂家における本家と分家は絶対的な主従関係にあり、つまり目の前の少女と僕とはいわば『女王様と犬』の関係にあると言っても過言ではないのである。もちろん約束の時間に遅れたりしたり、口答えしたりしようものなら、「どうやら、お仕置きが必要なようね」

 ええっ⁉

「何がいいかしら。真っ裸マッパで女子エリアのグランドを十周──ううん、なまぬるいわ。女子用のワンピースの制服を着て職員室に──いえ、これもありふれているわね。いっそのこと、好きなの体操着を盗み出させて社会的地位を抹殺まっさつ──」

 あごに手をそえどこぞの名探偵みたいに、ちくなことを次々とひねり出すお嬢様。どうでもいいけど、『セクハラ系』に寄るのだけはおやめください。

「いい加減にしておきなよ日向。ほら、潮君が恐怖で震えているじゃないか」

「いいのよ。守り役の者が天堂本家の人間のためにめっ奉公ほうこうするのは、ごく当然のことなんだから」

「……いやしかし、今は明治でも大正でもないんだからさ」

 ああ、何と幸運なことでしょう。この資料室におられたのは日向お嬢様だけではなかったのです。


 そのお方は窓からそそぎ込むゆうを浴び白い前歯を輝かせながら、さわやかなほほみを浮かべなさいました。──まさに、『聖レーンの王子様』の称号にふさわしく。


 やまゆう。学園の女王様天堂日向の同級生クラスメイトにして、生徒会副会長と美術部部長を兼ねる『さいえん』。

 そう。そのベリーショートの茶髪とすらりとした長身からあたかも少年のようにも見えるが、勝ち気な黒目がちのうるわしきご尊顔そんがんは間違えようもなく少女のものであり、文字通り生徒会長の日向と学園の(主に女子の)人気を二分するアイドル的存在であった。

 ……しかし、共学なのに女生徒が『王子様』とはこれいかに。いったい男子の立場は?

 まさしく彼女こそ天堂日向にとって唯一といっていいほどの大親友であり、本来名家の深窓の令嬢であり人見知りで引っ込み思案であった日向を生徒会長にかつぎ出したのも、誰あろう彼女その人であったのだ。

 最初はあくまで美術部の新鋭ホープとして、日向のひなにはまれな美少女ぶりに『ぜひとも絵のモデルに』と目をつけていたのだが、ごく自然ににじみ出る天堂家直系ならではの『特異ユニークな性格』を感じ取るにつけじんじょうならざる興味がきだし、そのぼうと家柄と隠されたカリスマ性と既にあった男女問わぬ学園内の人気を武器に(もちろん夕樹自身の女性票もプラスし)、ごと天堂・久我山二重政権の樹立を勝ち取ったのであった。

 自身はあくまで副会長として一歩退いて日向会長を前面に押し立てているが、裏工作や情報収集等の政治面はすべて夕樹が握っており、まさに学園の『影の黒幕』と呼ぶべき人物なのである。

 言うなれば理事長ですらひれ伏す天堂のお姫様に物申ものもうすことのできる『学園唯一のご意見番』であり、お嬢様のわがままに振り回されている守り役の僕としては、非常に頼りがいのあるありがたい存在であった。

 しかし日向にとっては、そのことが半分はうれしいようで、半分はしゃくさわっているようで──。

「何よ夕樹。人の守り役のことに口を出すひまがあるのなら、たまには部活動にでも顔を出して来たらいかがかしら。あなた一応美術部の部長でもあるんでしょ?」

「ふっ。わざわざあんな時代遅れでネット環境も整っていない文化系部室棟なんかに行く必要はないよ。今はパソコンやタブレットが一台でもあれば、油絵でも水彩画でも思うがままに描けるんだからね」

 そう言いながら自席である事務用の机につき、目の前のパソコンを起動させる。

「それに私が席を離れているすきに、日向の決定的瞬間をのがしてしまうかもしれないからね。納得いく作品を仕上げるまではこの『サロン』に入りびたらせてもらって、生徒会の仕事と部活動とをやりたい時に気楽にやらせてもらうよ」

 そして、いきなり一眼いちがんレフのデジタルカメラを取り出して、日向に向けてパチリとやる。

「決定的瞬間ですってえ⁉ あなた私をモデルにして、いったいどんな絵を描く気なのよ! 肖像権の侵害とセクハラは断じて許しませんからね! それに生徒会の仕事はお遊びじゃございませんから、いい加減な気持ちでやられたら困るわよ!」

「はいはい、お姫様のおおせの通りに」

 と、わざとらしく胸に手を当てる王子様。

「もうっ!」

 ぷいっと、ねるようにそっぽを向く日向様。おお、何だか可愛い♡


 今し方夕樹副会長が口にした『サロン』とは、この生徒会資料室のことであるが、単に書類等が山積みになった殺風景さっぷうけいな書庫なんかではなく、けっこう広々としていて簡単なキッチンなんかもそなわっており、元女子校の伝統を感じさせるしゃれた調度品もそろっており、よく役員たちによって学園活動に功績のあった生徒たちを招いての『お茶会』等がもよおされたりして、全校生徒(主に女子)のあこがれの地ともくされていた。


 もちろん僕が日向お嬢様から毎日のように呼び出しを受けているのは、お茶会なんて優雅なことのためではなく──

「さあ潮、これとこれをコピーしていらっしゃい。この件とその資料については教務主任のみず先生に確認してもらってきなさい」

 別に生徒会役員でもないのに、こうして日向お嬢様のパシリをするためである。いくら守り役といっても公私混同ではないのか?

「何よ、文句でもあるの? 安心しなさい。遅刻の罰ゲームはあとでちゃんと考えてあげるから」

 有無を言わさずせき立てるお嬢様。僕は反論をあきらめ、書類の束を抱えてその場をあとにした。


 ──そして所用をすべて済まして、ようやく生徒会資料室サロンへと帰還したころには、


「お疲れさーん。日向ならもう帰ったよー」

 出迎えてくれたのは、ネットサーフィンをなさっている王子様ただお一人。

 もう帰っただと? いったい守り役を何だと思っているんだ。いくらここが天堂家のちょっかつとはいえ、こんな遅い時間に護衛もなしに一人帰路につかせてしまったんじゃ、僕の立場がないではないか。

「いやいや、潮君は本当によくやってくれているよ」

 がっくりとうなだれる僕をはげましてくれるかのように、夕樹様が優しく肩を叩いてくれた。

「だけど日向のやつ、いくら本家のお嬢様とは言っても、何で君に対してあんな態度ばかりとるのかねえ。だいたい君たちはおさななじみだったんだろ?」

「……昔の話ですよ」


 そうそれは、昔々の話。


 まだ本家とか分家とか、次期当主とか巫女みこ姫様とか、お嬢様とか守り役とか、そんなものは全然関係なく、僕たちがただのおさななじみ同士として、仔犬のように仲良くじゃれあい野原をけ回っていたあのころの。


 僕にとってもそれは、唯一大切に守り通してきた、だけの『思い出』の日々で──。


 そんな僕の、『のすたるじい』というキャラクターを登場させる物語はどうかなあ、けっこう面白そうだぞ。他にライバルで『てくのろじい』とか出てきて、くのがノロくて機械に頼ってばかりで──とかなんとか感慨かんがいにふけっていると、隣の王子様キャラLvレベル・ワンが更なる話題をふってきた。

「しかし何だろうね。あの仕事第一の日向が、毎日この時間になると急にすべての作業を打ち切って帰りたくを始めるんだから。しかも何か用事があるのかたずねてみても、何だかうわそらで要領を得ないし。もしかして男とでも会っているのかね。ねえ守り役殿?」

「……お嬢様のプライバシーまでは、関知しておりませんので」

 意味あり気な笑みでカマをかけてくる副会長を適当にいなし、これ以上ここにいるのも無駄だとばかりに帰り支度を始める。


 更なる頭痛のたねが待っている、あの部屋に帰るために。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 学園のある山のふもとには、小さいながらもそれなりの街が整備されていた。


 そう。あくまでもであって、ではないのだ。


 閑静な住宅街とおもに学生たちを収容する賃貸マンションの群れ。県庁所在地へと一直線にのびている高速鉄道の終着駅。そしてその周辺にはまるで首都圏にでもいるような錯覚すら感じさせる、真新しいビルばかりが建ち並ぶ商業地域。

 せいレーン学園が共学化し規模を大きくする計画がたてられた時、学園都市としての街おこしを目的に県庁主導で地域開発が行われたというのは単なる表向きの名目めいもくで、実際のところは学園の方針変更により寄宿舎から退出なされることになった天堂てんどう本家直系のお嬢様に、学園の至近距離にそのおんにふさわしい快適な住環境をご用意するために、官民一体となって巨費を投じて『姫様仕様の街づくり』をしたっていうのが真相なのであった。

 お陰で守り役の僕の生活環境もすこぶる快適なものがあてがわれており、だんだんと紅葉めいてきた山を徒歩でのぼくだりしても十分通学圏内であるふもとの新築マンションの最上階の2LDKの部屋へと、今日も今日とて無事ぶじ息災そくさいにて帰宅したのである。

「ただいま~」

 返事の有無を気にせずに、いつものじょうとうを口にしながら扉を開ける。

 短い廊下の突き当たりは十二畳もある広々としたリビングで、まだまだ真新しい調度品がシンプルと殺風景さっぷうけいのちょうど中間あたりの絶妙なバランスで配置されている。

 この部屋で最も面積を占有してその存在感を誇示している、僕のお気に入りのクリーム色のソファベッドにまずは身を預けようと、ガラス製のテーブルの上にかばんを放り投げ腰をおろし「──グエッ!」

 何だあ、カエルでも紛れ込んでいたのか。ひらけているように見えてもさすがは山奥だな。

 何か柔らかいものを尻にしいた感触に、慌てて立ち上がり振り返った僕の目に飛び込んできたのは、ソファの上にあおけになって倒れ込んでいる、一人の少女の姿。


 ほっそりとしたたいからみついている長くつややかな黒髪。その身をおおっているのはひとえと呼ばれる白く薄い和装下着だけであり、大きく開いた襟元えりもとや割れたすそからなまめかしい素肌がぞうに露出していた。


なたお嬢さま⁉ どうなされました、しっかりしてください!」

 とっさのことで我を忘れて慌ててけ寄った僕の目の前に、ギャラクシーな閃光せんこうがほとばしりあごに激痛が走った。擬音はさしずめ画面全体を覆う太文字で『ガカッ‼』であろう。

われは『日向』ではない。何度言うたらわかるのじゃ!」

 見事なアッパーカットを決めたその少女は、一直線に切りそろえられた前髪の下でくろすいしょうの瞳を鋭くきらめかせ、僕をにらみつける。

 ふむ、たしかに。外見は我が学園の誇る女王様天堂日向生徒会長そのものであるが、今の一撃はただ者じゃなかった。お嬢さん、わしと一緒に『なみだばし』を渡らないかい。

「それでは我が巫女みこ姫様、一人きりの留守中にそんな不用心な格好で、ソファの上に寝そべっていったい何をしやがっておられたのですか?」

 いくら犬でも『アパカ』をらったあとでは、いくぶん機嫌も悪い。

「おなかいた」

 はあ?

「おなか空いた! おなか空いた! おなか空いた! おなか空いた! いったいいつまで待たせる気か。おぬしはそれでも『とお巫女みこ』の守り役か? この我を飢死させる気か⁉」

 一方的にわめき散らしながら、ソファの上でバタバタと手足を振り上げる『巫女姫様』。ああ、ひとえがめくりあがって白いものがチラリと待望のサービスシーンが♡──て、あんた何もはいてないやんけ。いくら数百年の歴史を誇る巫女の末裔まつえいでも、日本の伝統守りすぎだろ!

 何なんだ、そのわがままいっぱいのお子さまな有様ありさまは。

「……昼間はあんなに、女王様然とり散らしていたくせに」

「ああっ、また日向と一緒にした! 今度あやつと取り違えおったら、本気でのろいをかけてやるぞ!」

 いや、あんたが言ったらシャレにならんから。


 何せ、日本の政治経済を影で数百年もあやつってきた、天堂本家秘蔵の『巫女姫様』なのである。そのたぐいまれなる霊力とぞくにまみれぬ独特の価値観をもってすれば、自分の欲望を実現すること──たとえば心底愛する者を独占するためになら、仮に相手が実の親兄弟であったとしても、平気で消し去ることすらもためらわないであろう。


 そう、この目の前の尊大でおうちゃくきわまりない少女こそ、あの聖レーン学園の女王様で生徒会長である天堂日向お嬢様の一卵性双生児の姉君、天堂つきその人なのであった。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 数百年にわたり、この国を影で支配し続けてきた天堂てんどう家。その権勢の根源をなすのは数十年に一度の割合で本家にさずかる、双子のじょのみに備わる超常ちょうじょうなるちからであった。


 女系一族であるゆえに次期当主ともくされるのはもちろんだが、それよりもはるかに重要視されたのが、双子のうち必ず一方が、予知能力を持つ『とお巫女みこ』として生まれることであったのだ。

 巫女の予言はほぼ完璧に的中し、一族に望むだけの繁栄を与えるのみにとどまらず、この国全体の政治や経済に対する多大なる発言力すらもたらした。

 しかし明治維新以降百数十年間にわたり、天堂本家に双子の女児が誕生することはなく、戦争や大災害や経済変動が続いたこの激動の時代に、さしもの天堂家も大きくへいしてしまっていた。

 そんななか生まれた待望の双子の女児がつきなたの姉妹であり、彼女たちに対する一族全体の期待は大きく、その健全なる育成にはしみなく財貨や人員が投入されてきた。

 かく言う僕、きょううしおこそその代表格とも言え、我が家系は代々天堂家の筆頭ひっとう分家として次期当主や巫女姫の『やく』として仕えてきたのであり、その後継者である僕は、昼間は次期当主である日向お嬢様の学園生活を補佐し、朝夕は巫女姫である月世様の生活全般のお世話をおおせつかっているといった次第であった。

 そのための資金や人材はほぼ無制限に保証されており、一介の高校生であるはずの僕ではあるが、姉妹の養育のために必要ともなれば、一つの地方都市を買い取ることすら可能であったのだ。


 しかし、守り役の実際の仕事ぶりときたら、そんな華やかなものでも楽なものでもなかった。


「ああ、やはり潮の作る御飯は最高じゃ。待った甲斐があるというものだ」

 テーブルいっぱいに並べられた料理をすべてたいらげ、ごくご満悦に感想を述べられる巫女姫様。

 シェフとしては感涙にむせぶところであるが、美麗なご尊顔そんがんの口元にこびりついている米粒がすべてを台無しにしており、加えて年頃の男子高校生が何でこんなことをやっているんだというせきりょうかんが、容赦なく僕をさいなむのであった。

「ほんにどこぞの料亭やレストランも顔負けじゃろうて。しかもわれの好みというものをちゃんと把握しているところが、また格別よのう」

 そりゃあたゆまぬしゅうれんと徹底的な調査研究を、日夜続けていますもので。

「次は湯浴みじゃ。風呂はいているか?」

「御意」

 ユニットバスだがな。

「よし、おぬしも一緒に来い。背中を流せ」

 ありがたき幸せ♡「──じゃなくて!」

「姫様、何度も言うようですが、姫様ももう年頃なのです。いつまでも男手にそういうことをさせてはなりません」

 本心ですよ、これ。

「今さら何を言っておる。幼少のみぎりは日向も加えて、一緒に裸で水遊びをしていた仲ではないか。それに我は巫女姫、世俗とは離れた存在ぞ。年頃とか男手とか気にする必要なぞないわ」

 あんたが気にしなくても、こっちが気にするんだよ。

「そうではなく、大切なおんゆえに危機意識を持っていただきたいのです。世の男どもがどのような思惑を持って、あなた様に近づこうとするのかわからないのですよ」

「そんなもの、潮が守ってくれるのじゃろ?」

「それはまあ、それが僕の仕事ですから……」

「それならいいではないか、我とおぬしが一緒に湯浴みをしても♡」

「は、はあ」

 あれ、どこかで論理がすり替わってないか?

「では参ろうぞ」

「あ、ちょっとお待ちを。て言うか、脱ぐな。あっさりとひとえを脱ぐな。それしか着ていないくせに!」

「西欧伝来の下着は嫌いじゃ。何か身体からだめつけられる気がして落ち着かん」

 何という豪放磊落ごうほうらいらくなお方だろう。いや、問題はそこではなくて。

「たとえ相手が守り役であろうと、男の目を意識してくださいと言っているのです!」

「手だの目だのうるさいやつじゃのう。初めて我らと水浴すいよくした時は、いかにも興味深そうに見つめていたくせに♡」

 そんな『なつかしきお医者さんごっこの思い出』的なことを語られても。それにこのシーン『♡マーク』使いすぎ。

「とにかく僕は、替えのひとえをご用意してきますので」

「あ、こら。逃げるな、憶病者!」

 せいを背中に浴びながらも、僕はリビングを出る歩みをゆるめはしなかった。

 正直に言うとおしい気もする。もしこれが彼女単独の問題なら構わない。しかしこっちは毎日彼女そっくりの妹さんと、学園という神聖な場で顔を合わせなければならないのだ。その際いろいろと想像して目のやり場に困るではないか。

 あるじの着替えを用意しながら、盛大なため息をついた。楽しいはずのおさななじみの守り役が、いったいいつからこんなおかしなことになってしまったのだろう。


 そしていったいいつまで、こんな馬鹿げた『ガマン大会』を、僕はし続けなくてはならないのだろう。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ──やっと今日も、長かった『一日』が終わった。


 居室きょしつとしてあてがわれている八畳の洋室のベッドの上で大の字に寝そべり、ようやく僕はほっと一息つく。

 考えるまでもなく正式にやくになってからこの数ヶ月、ただただあの姉妹たちの世話に明け暮れ休暇なぞ一日もなかった。こうして就寝する時が文字通り唯一の安らぎの時なのである。

 双子の美少女。しかも真性お嬢様と本物の巫女みこ姫様。その上『ツンデレ』に『ヤンデレ』。

 こう言うと何とうらやましい状況なんだと思われるかもしれないが、実態はがいしてこうしたものなのである。何のうま味どころかうるおいすらもないのである。


 何で僕は、こんなことをしているのだろう。


 天堂てんどう一族の者としての責務だから。金や権力をほしいままにできるから。将来一族の中で大きな地位を得れるから。人の期待通りに振る舞ったほうが楽だから。


 ──いや違う。


 僕には、『守るもの』があるからだ。


 それは、愛する者や地位や名誉とか、そんなご大層なものではなくて、もっとささやかでありきたりだけど、とても大切なもので。

 そんな自分にとっての『守るもの』があるからこそ、僕は生きていけるのである。

 同じ年頃のおさななじみの女の子にあごで使われ、『犬』と呼ばれて、はいつくばりながらも。


 だって僕らは出会ってしまったのだから、十年前、あの蔵の中で。


 ──その刹那。突然聞こえてくる、扉がゆっくりと開いていく音。そして、入り込んでくる夜風。

 何かがベッドにがる。何かがおおいかぶさる。何かがなまあたたかい吐息を吹きかける。


『思い出』が夢の世界からやってきたのであろうか。その時僕の顔をのぞき込んでいたのはあの日と同じ、真一文字に切りそろえられた前髪の下でれている、くろすいしょうの二つの瞳。


「……って、何やっているんですか。こんな夜分に人の部屋で。つき様」

「なんだ、起きていたのか。驚かそうと思ったのに」

 いえいえ、十分驚きましたよ。というか、目はひらいていたし。

「何度言ってもわからないようですね。あれほど人の寝込みを襲ってはいけないと申し上げてきたのに」

 何だかこのパターンばっかし。これでいいのか巫女教育。

「違うぞ、これはれっきとした巫女の仕事なのじゃ」

「はあ?」

 何が仕事だ。どうせ怖い夢を見ただの、おねしょをしただの、そういったお子さまな理由のくせに。

 しかし、その巫女姫はしたり顔で言う。

「おぬし、夕刻帰ってきてからずっと、異様にイライラしっぱなしであろう」

「はあ」

 それはすべて、あなた様のお陰です。

われの見たところ、何か悪い気にとりつかれているようじゃ」

 きっとそれは、長い黒髪に、人形のような顔をしているのでしょう。

「そこでだ。我がその悪い気をすべて吸い取ってやろうかと思って、こうして推参すいさんしたというわけなのじゃ」

「吸い取る?」

「そうじゃ、とっとと脱げ」

「脱ぐ?」

「そうじゃ、悪い気はため込み過ぎると健康に悪いと書物にも書いておったぞ。最低でも一週間に一回は放出せねばならぬそうだ」

 あんた、最近どんな本を読んでいるんですか!

「帰れ! そして変な本は読まずにさっさと寝ろ!」

「何じゃと、人がせっかく親切に言っておるのに! おぬしはおとなしく裸になって、我のなすがままに任せればいいのだ!」

 おまえはどこぞの悪代官あくだいかんBLボーイズラブ小説のめキャラか! あ、こら、布団にもぐり込んでくるんじゃない! 変なところに密着してくるな!

「いい加減にしないと怒るぞ! とっとと出て行け!」

 布団から飛び出してくる二つの瞳。なぜかそれは怒りをはらみながらもうるんでいた。

「なぜじゃ、なぜ我ではだめなのじゃ! そんなになたのほうがいいのか⁉」

 何でここで、日向お嬢様の名前が出てくるんだよ?

「知っておるのじゃぞ。おぬしがな日向の名前を呼びながら、何かの儀式を行い、悪い気を吐きだしているのを!」

 な、ちょっと、それって。おいおい、守り役にはプライバシーもないのか。

「日向がなんじゃ。あやつは我らをくだしておるのじゃぞ。分家のおぬしのことなぞ自分の手足としか見なしておらぬし、姉であり巫女である我すらも天堂家のお荷物としか思っておらぬのじゃ!」

 そう泣きわめくように叫んだあと、少女は黙り込みうつむいた。

 まるで親とはぐれたひな鳥のように。抱え込んだ不安におしつぶされそうになりながら。


 そうか、そういうことか。


 巫女姫と呼ばれたところで、もう長いあいだ本家からはったらかしで、陰では『ちこぼれ』とまで言われて。それに比べ、平凡な娘として生まれたはずの妹のほうが、次期当主としてきゃっこうを浴びてきて。だんだんと自分のことが、一族の者から忘れられていくように思えて。

 誰でもおちいる落とし穴に、彼女もはまりこんでしまったわけだ。

 忘れていた。巫女姫なんて言っても、本当はただの女の子にすぎないことを。

「もういい、帰る。邪魔したの!」


「──


 あっにとられて振り返る少女。それはすべての時を巻き戻す、『魔法の呪文』。

「僕は何も変わっていないよ、あの時から」

 変わってしまったのは、むしろ──

 かなり長い時間、でも実際にはほんの数分間。少女は何かを考え続け何かを決断した。

「ありがとう。でもよいは帰ろう」

 とぼとぼと部屋を出て行こうとするその後ろ姿に、もう僕にはかける言葉はなかった。


 ──これ以上の嘘は、大切な思い出さえも、壊してしまいそうだったから。

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