18.何者にもなれない私に告ぐ

 書いたかどうか忘れてしまったので書きます。なぜこんなに生きづらいのか、なぜこんなことになってしまったのか、私の異常歴を吐き出したいのです。


 異常があらわれたのは中学に入った頃でした。どのように振る舞えばいいいのかわからなくなったのです。思春期真っ只中ですから、自意識が肥大化していたのもあるとは思いますが、それだけならばなぜ同級生たちの中で私だけがこんなにことになっているのか説明がつかないのでたぶん異常です。もちろん当時の同級生すべての行く末を知っているわけではないので大袈裟な言い方になってしまいました。

 いちばん嫌で怖かったのは横断歩道を渡ることでした。青信号を渡るということは赤信号で車が止まっているということです。その車に乗っている人たちの視線が怖くて怖くてたまらなかった。自分がどのような動きをして表情をして姿をしているか、自分ではわからないからです。車側から私は奇異の目で見られるような動きや仕草をしているかもしれない、横顔が気持ち悪いかもしれない。そう思うと嫌で嫌で仕方なかったです。

 顔を隠せるよう髪を伸ばしていたので、うつむいてなるべく車から遠いところを足早に渡るのが常でした。

 やがてそれは横断歩道だけではなく日常に侵蝕してきます。学校でも何を言い、どう動き、どう振る舞えばいいのかさっぱりわからなくなっていました。

 ダンスのうまいムカデくんがある日、別の虫に「君はダンスがうまいね、一体どの足から動き出すの?」とたずねられて踊れなくなってしまうという話があります。私もそれに似ていました。別に何かを褒められたわけではないのですが、それまでどのように動き出し、しゃべり、元気に振る舞っていたのかわからなくて呆然としてしまう感じです。

 なので私は必死に周りを観察しました。奇異の目で見られないよう、みんながどう動いて話して日常を過ごしているのか、不自然にならずにやり過ごすことができるのか、観察をして真似ました。犯罪とかそんな大きな話ではなくて、例えばみんなで話しているときにして許されること、許されないこと。クラスの人気者と話すときの態度。顔見知りから声をかけられたときの反応。手足一本動かすのも怖かった。いつも怯えていました。けれどそれがおかしいのはわかっていたので、ひた隠しにしてクラスカーストのいちばん下認定されないように、明るくノリが良く元気な私を周りの言動や振る舞いからボーダーラインを探りながらお手本にしては保ちました。なぜこんなことになっているのか、私にはさっぱりわからなかった。なぜこんなに恐ろしいのか。自然な振る舞いを忘れてしまったのか。

 今ならわかります。中学入学直後、母にかつてないほど怒られたことがあります。怒られた理由はわからないし覚えていませんが、たぶん母には非常に生意気にうつったのでしょう。自分が全く意識していない部分での行動を全力で怒られると人間はこうなります。


 何者にもなれなかった私に告ぐ。

 何者になれなくても人間生きてはいけます。必ずしも何者かになる必要はないし、逆に言えば誰しもが誰かの何者かであるとも言えます。

 でもあなたは「何者」かになれないことを諦めきれず、苦しみます。

 先生とケースワーカーさんとお話して、もういちど障害年金申請をすることになりました。それでだめならもう諦めます。何者にもなれないこと、心を平穏に保つこと、安心すること。

 何者にかなれたかもしれない自分を潰されたあなたの人生には、なんの意味もなく、人間という生物が誕生してから今まで、このような無意味無価値な人生があって、それがたまたまあなただったというだけのことです。小さなことです。


 私ははたしてりんごを誰かと分け合うことが出来たののかな。

 人生は終わっているのに生きているのはとても苦しいことです。


※投稿ミスしたので再投稿しました。ご迷惑おかけしました。

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