14.生々しい現実

 現実の生々しさがたまらなく気持ち悪くて嫌なのですが、その感じをうまく言葉にすることが出来ないでいます。

 この生々しさは、たぶん感覚的にわかる人とわからない人がいて、そこには絶対的な溝があるはず。

 私は幼い頃から紙の上の物語を見てきて、自身の身体、存在というものの現実感が薄かったのではと思います。私にとって世界は紙の上で、『ここ』はいつか世界の仲間入りをするための準備の場所くらいの感覚でした。2次元的存在になると思っていたわけではないのですが、小さい女の子が「おとなになったら私もお嫁さんになるんだろうなー」と思うように、私もいつか私のための世界にいくんだろうな、私のための世界を作るんだろうなと思っていた感じです。

 そして私の愛する紙の上の世界から『ここ』に目を向けてみると、とんでもない生々しさがそこにはあるのです。人間はいろんな液を体から出し、それにはにおいもある。死ねば腐る。においもする。こういうことはもちろん、うまく言えませんが現実というものがあまりにも生々しくグロテスクであるように感じられて仕方がない。グロテスクというと少し違う気もしますが……

 この生々しさ、何なのでしょう。

 何ひとつ省略することが出来ない、という部分が大きいような気がします。例えば誰でも毎日トイレに入ることとか、鼻水が出るとか、食べ物を咀嚼すると歯に残るとか、毛が生えるとか、唾液のにおいとか、そういう類いの細かな、けれど生から省くことのできない物事。生活に近いかもしれません。

 現実というよりも、現実の人間が生々しいのだろうか。人間が良くないのかもしれない。人間という生き物を好きになれないのかもしれない。だから自分自身も嫌いなのかもしれない。

 この現実に対する生々しさ、本当に言葉にすることができない。そういう意味では生理的嫌悪でもありそうです。何がどうというわけでもなく気持ちが悪い、というやつ。

 私はいつになったら現実と折り合いがつけられるんだろうとずっと悩んできました。折り合いをつけなければいけないというのはわかっていた。そんなのは学生の頃からわかっていました。でもどうやってつければいいのかわからない。自分と現実のまじわる妥協点が、境界が見つからない。

 それも生理的嫌悪からくるものなのかもしれないと思うと、なんとなく納得できます。どうしても拒絶してしまうもの。現実の人間として生まれておいて、それを嫌悪してしまうのはどういった因果なのでしょう。前世でよほどの罪を犯したとみえます。

 辞書で「生々しい」と引くと『その場の情景を目の前で見ているような,いかにも現実的な感じだ。』とありました。現実的? と思って類語で引いてみると『現実にありそうに感じられるさま』を元に現実的とかリアルとかいった単語が並んでいました。つまり現実的なことを生々しいというのであって、じゃあ私の感じているこの匂い立つような総毛立つような生々しさは何なんだ? わからなくなってしまいました。

 私はずっと創作物になりたかった。音楽でも漫画でも小説でもなんでもいい。とにかく生々しさのないものになりたい。生々しさのない場所へ行きたい。

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