13.シアワセうさぎ
幸せになりたいと無性に思うことが、ときどきあります。でも私の幸せってなんだろう? 漠然と幸せにと思うけれど、その内容は全然はっきりしない。
結婚とか子供とか、一般論としての幸せを私は悲しいことながら幸せとは思えません。たぶん、そういうことを幸せと感じられる人に私はなりたかったのだと思います。
じゃあ何が幸せなんだろう。何が私を幸せにするんだろう。長らく考えてきましたが、やっぱり「不安のない状態」これしかない気がします。
生きていることと不安は絶対に切って切り離せないものだと思います。生きているだけで私は不安です。でもその不安を和らげるものがあるとすれば、お金しか思い浮かびませんでした。実際、お金さえあれば生活の不安はなくなります。将来の不安も大体なくなります。お金で何とかならないことなんて、ほぼないですしね。
人間関係なんかお金があったってなくたってだめなときはだめだし。ましてや愛だの恋だのなんてお金あったほうがいいくらいでしょう。
結局そういうことなんだなあ、と思いました。幸せはお金です。不安のない状態です。あくまでも私の場合はですよ。私は頭も良くないし教養もなく、スキルもない、ないものしかない人間ですので、仕事自体が不安を増しますしそれを掻き消すくらいのお金を稼ぐことなんて不可能です。
刹那的な幸せはままあるんですよ。おもしろい漫画や小説を読んでいるとき。おいしい甘いものを食べたとき。育てている花が咲いたとき。衝動買いをした瞬間。
でもこれらは違うと思いませんか。幸せになりたいという「なる」とは別物だと思うのです。刹那的な幸せでは状況で、なるというのは状態のことではないか。ややこしい。
けれども、結婚して相手とにこにこ暮らすことに憧れないわけではありません。できたら幸せだろうなと思いはします。でも現実のこの私は、それをできない。うまく幸せにつなげることができない。
生きれば生きるほど私は惨めな人として扱われていくことになります。世間的な幸せを受け入れることができず、個人的な幸せをもたらす充分なお金も得られない。だから私は自分が近所で話題の触れてはいけないゴミ屋敷キチガイばあさんになってしまうだろうと思うのです。
人生は八方塞がり。もうとうに詰んでいます。幸福のことなんか考えたって遅いというか、意味がないに等しい。
きっと、これからも刹那的なものにしがみついていくしか方法はないのだと思います。それはこの世からの息継ぎです。モルヒネです。
幸せ。一体何なのだろう。死ぬとき、私はこの人生を振り返って何を思うのだろう。
死ぬときくらい、穏やかな気持ちでありたいものですけどね。
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