7.私の犬
前回に書いた暗く重い話というのは死んでしまった犬のことなのですが、全然まとまらず形にならず、結局思いつくまま垂れ流すことにしました。
犬が死んでしまう話ですし、犬や動物が好きな方には不快であったりつらくなったりする表現があるかと思いますので読まなくていいです。こんなのは私の身勝手なゲロみたいなものですから本来人目に晒さなくていいものなのです。私の言い訳と懺悔です。
私は柴犬を飼っていました。初めての飼い犬でした。なので何もわからず試行錯誤、大変な苦労をしながら育てた愛犬です。性格は頑固、わがまま、内弁慶となんともまあ甘やかされた犬という感じですが、柴には頑固、わがまま、気が強い辺りの性格はありがちなようです。愛玩犬ではないですからそんなものなんでしょうね。甘え方も控えめでした。膝の上に乗ってくるとか抱っこをねだるとかそういうことはなく、ただ人にぴとっと体をくっつけて座ったり寝たりするのが私の犬の甘え方でした。毎日欠かさず散歩に行って、ご飯をあげて、遊んでやりました。散歩から帰ってきたら足を拭き、ときどきはお風呂に入れる。世話は大変でときには嫌になりましたが、それでも犬はかわいかった。
犬を飼い始めたとき、私はまだ精神科にかかっておらず、精神は不安定の極みでしたので犬には本当にかわいそうだったと思います。世話をしたのは主に母と私で、母はすぐにイライラしては理不尽に怒る、八つ当たりをする人ですし、私も母がやっていることが八つ当たりでありそれはおかしいことなのだという認識が全くなくて(自分がそうやって育てられたので普通のことだと思っていた)、私自身も八つ当たりという行為を八つ当たりと思わずにやっていました。犬に対してもです。
ですがあるとき気が付きました。母がしているのは八つ当たりで、それは理不尽でおかしなことなのだと。つまり私がやってることもひどいことなのだ。それに気がついた瞬間、自分はなんということを犬にしてきたのだろうと愕然としました。我が家は何かを育てて良い場所ではないと思いました。
けれど犬はすでにうちに飼われているので、これからは私が母と自分から犬を守らなければと思いました。犬がしつこくいつまでも怒られ続けていたら不自然にならないよう母から引き離し、犬を褒め撫で回しました。母がイライラしていたら先んじて犬の世話をするようにしました。母は出来たことを褒めず出来ないことを怒る人なので、母が怒る前に褒めました。そのことで母の機嫌を損ねても犬を守らなければ何の罪滅ぼしにもならない。私は犬に申し訳なくて申し訳なくて、こんなに可愛いのになんてひどい育て方をしたんだろうとかわいそうで仕方なく、犬の前ではずっと笑って褒めて撫でて、せめて私の前では素直にたのしいとかうれしいとか楽でいてほしくて、母を敵に回すのもためらわなかった。そのくらい申し訳なかったし、犬がかわいかったです。ようやく犬の、というか動物のちゃんとした可愛がり方を知った気がしました。犬も私のことはよく好いてくれたと、思います。たぶん。きっと。
途中からは犬が見つけて私が拾った猫も加わり、猫ばかり構って犬にさびしい思いをさせないよう気をつけました。母は大きくて制御しづらい犬より、小さくて制御しやすい猫に夢中でしたので尚更でした。
私は精神がめちゃくちゃで、自分にできることは精いっぱいしたつもりですが、犬からしてみればどんなものだったのかはわかりません。うちに飼われていなければこの子はもっとずっと苦しまず幸せだっただろうにと何度思ったか知れません。
それでも私は犬がかわいかった。抗うつ剤を飲み始めて異様なイライラが治まり始めてからは犬の世話で大変だと思うことも苦ではなくなり、気持ちが落ち着いたまま常に接することが出来るようになったことがとても嬉しかったです。
これでこれからは罪滅ぼしを、犬を少しでも幸せにできるだろうかと思っていた矢先でした。ある日突然、犬が死にました。
夜、ご飯をあげたあと犬はいつものようにくつろいでいて、私は部屋に戻りました。少ししてから母の騒ぐ声がするので戻ってみると、犬がなんだか奇妙な行動をしている。うんちも漏らしているようなので、新聞を敷いて様子を見ているとすぐに悲鳴のような声をあげて倒れました。病院につれていこうとしたのですが、その時間はちょうどかかりつけの病院は閉まっていて、夜間病院はまだ開いていないという隙間時間で、私はどこかに開いている動物病院はないかと検索しまくっていました。その間も犬は苦しげに声をあげている。私は必死でした。こういうとき、母が何もできない人なのはわかっていました。私が助けなきゃいけなかった。必死になっていて、けれどふと気がつくと犬は静かに目を閉じていました。心臓が凍りつきました。慌てて名前を呼ぶと、そのことに気づいた母がまるで怒鳴りつけるように名前を叫びました。犬がびくりとして目を開けました。私と母はだめだよだめだよと呟きながら、開いている病院を探し出かける準備をしていました。このとき、犬の様子がおかしくなってから20分経っていないくらいでした。
先程開けた目が、また閉じていました。呼吸をしている気配が消えていました。名前をよんで揺すっても、起きませんでした。耳を体にくっつけても、何の音もしませんでした。犬は死んでしまいました。私から永久に失われてしまいました。
それから犬はお骨になりました。ごわごわした背中の毛もぽよぽよの耳の毛も、香ばしい肉球も、寝ると背中からはみだすお肉も、つやつやの真っ黒い鼻も、きらきらの茶色い目も、ゆらゆらしたしっぽも、歩くとぷりぷりしていたお尻も、みんなみんななくなってしまった。私にそっと寄り添ってくる温かさがなくなってしまった。骨は軽くて少し黄色がかっていて、小さかったです。
犬は14歳で、私が抗うつ剤を飲み始めておよそ半年、つまり落ち着いた人間として寄り添ってやれたのはたった半年です。理不尽な態度をやめてからは大体10年は経っていたと思いますが、犬を幸せにしようと上手に行動できるようになったのはやっぱり薬を飲み始めてからだったと思います。時間はまだまだあると思っていました。14歳といえば老犬ですが、うちの子はまだまだ元気で、見た目も老犬と思えないほど若々しくて、軽いアレルギーを持っている以外は健康で、まだ少なくとも数年は生きると考えていました。あまりに遅いし罪が消えるわけではないけれど、精神が少し落ち着いてくるとようやく「大事にする」という概念が私の中に落とし込まれて、せめてこれからは犬と楽しく仲良く暮らしていこう、大事にしよう、と思って行動していました。まさかそんな日々が半年ほどで終わるなんて思っても見なかった。あまりにも突然であっけなかった。
私は犬のお骨を手放す気に一切なれませんでした。母はお寺に納骨すると言っていましたが私は絶対に嫌だった。お寺なんかに私の犬を置いておきたくない。私があまりに嫌がるのでさすがの母も折れ、庭に埋める方向へシフトしていきました。でも私は埋めたくもなかった。手放したくなかったのです。ずっとそばにいてほしかった。骨になろうがそれは私の犬です。私はこれからずっと犬と仲良く暮らしていくつもりだったんだから、手放すなんてとんでもない。私の抵抗にずるずると埋める機会は伸びていき、冬を迎えました。ずいぶんと雪の積もる地域なので冬になってしまったら埋めようがない。私はほっとしました。このままずっと手元に置いておきたい。私が死んだら一緒にしてほしい。けれども私にそういう思いがあるのと同様、母にも納骨するなり埋めるなりしてやることでやっと犬も落ち着けるだろうという思いがあるようでした。春が来て、雪が溶けだす頃には、私にももう諦めのような覚悟が根付いていました。どうやっても手元に置いておくことを許されそうになかった。
春になり、庭を綺麗にして、墓所を作り、いくつかの小さな骨だけを手元に残して犬を埋めました。犬はふさふさの犬から軽い骨になり、土になります。土になればそれはもう私の犬ではなくて、犬はどこにもいなくなってしまって、犬に何かをしてやることが一切できなくなってしまう。私の犬が土になる。意味がわからないのに目の前でそれが起こっていて、その不条理さに息も出来なくなりました。
犬がいなくなってしまう。今もじわじわと消えていっている。そのことに比例するように後悔と罪悪感が膨れ上がっていきました。どうしてもっと早くからかわいがってやることが出来なかったんだろう。ただ一心に愛してやることが出来なかったんだろう。もっとしてやれることがあったのに。どうして犬が死にゆくとき、撫でてやらなかったんだろう。検索なんか片手でも出来るのに、触れてやることもしなかった。どうして母に怒鳴るように呼ばせてしまったんだろう。
苦しくて苦しくて、犬に謝りたくて仕方なかった。なのに犬はもう消えていく。もう私のそばに寄ってきてもくれない。
もっとこれから犬を一心に愛してあげられたはずなのに。
私には今も、犬と一緒に埋まりたいという気持ちが色褪せることなくあります。私が死んだら犬の埋まっているところに埋めてほしい。そこ以外どこにも行きたくなんてない。
猫が死んだらきっと同じく庭に埋めます。私もそこに埋まります。苦しいこの世から解放されて、犬と猫と私で綺麗に整えた花と木の茂る庭で静かに眠りたいのです。
犬、ごめんね。本当に申し訳ない。私が至らなすぎた。本当に、私は飼い主失格だった。動物を飼ってはいけない人間だったのに。それでもあなたは本当にかわいかった。
私は、懺悔がしたいのだと思います。ひとつの命を苦しめてしまった。あんなにかわいくか弱い存在を苦しめてしまいました。本当は動物虐待をするクソ人間を詰る権利なんかないのかもしれません。
少し調べたところ、人骨を庭に埋めるのは法律的に問題があるようです。でもどうでもいいです。私は犬と一緒になって静かに眠りたいのです。それだけです。
先日、犬の死に際に撫でてやることができなかったことを後悔していると母にこぼしました。そうしたら母はこう言いました。
「仕方ないよ。こっちも必死だったから。犬だってそれはわかってくれるよ」
慰めの言葉だったのかもしれない。けれどそれを聞いて、私は少しの衝撃とともに、もうだめだなと思いました。薄々わかってはいましたが、私はこの人ととことん相性が合わないのだ。わかりあえることはない。母と私は絶対的に別の人間で、どこもつながってなんかなくて、こんなにも溝があったんだ。
犬になぜこちらの状況を察させようとするのだろう。人間相手ならまだしも、犬に求めることではないだろうと私などは思うのですが、母にはそうではないのです。もともと相手に自分の言いたいこと、してほしいことを察してほしがる人なのですが、さすがに犬にそれを求めるのは酷ではないですか。あの子は死ぬ苦しみの中にいたのです。撫でてやることひとつ出来なかった私たちが不甲斐ないのではないですか。私には母がわからない。わかりあえない別人なのだという理解が、はっきりと刻まれた瞬間でした。
犬の墓前によく行きます。少しは幸せでいてくれたのか、私はちゃんとおまえを愛せていたのか、それが伝わっていたか、苦しいばかりの生ではなかったか。聞きたいことはたくさんあるのにその答えは永遠にわからないままです。本当にごめんね。
私は動物が大好きです。犬も大好き。今でも犬に触りたくて触りたくてウワーッとなったりします。でももう犬を飼うことはないと思います。私はきっと犬を飼ってはいけない人間だからです。
さようなら、犬。もし私を好いていてくれたなら、虹の橋から会いに来てくれたらうれしい。たくさん遊ぼう。一緒に走ろう。静かに眠ろうね。できるだけ早くそちらに行きたいです。
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