4.ごめんね友達さようなら

 前回は話がブレブレで「友なしとかいいながら友達の話しかしてねーなこいつ」という感じでしたが、一応「“何でも話すこと”を選ばなかった友達を失う話」のつもりで、今回は「“何でも話すこと”を選んだ友達を失った話」になります。


 高校生になりました。

 知り合いだらけの中学は私にとってもうつらい場所でしかなく、陽の者やどりちゃんを保つのも限界で、とにかく同じ中学から受験する人がいないような高校を選びました。誰も私を知らないところで新しくやり直そうと思ったのです。

 結局私以外にも数人受験していましたが、気になるほどの人数ではなくて、私はなんとか新しい自分になるべく気負っていました。

 天使なんかじゃないという少女漫画をご存知でしょうか。漫画を読まない人でも名前くらいは聞いたことがあるかもしれない傑作漫画です。そしてこれを読んで育った女の子は高校生というものの理想をこれに見ると思うんです。理想を見るというより、高校生ってこんななんだ! と思ってしまうというか。例に漏れず私もこれを読んで育ちましたしこれが高校生活そのものなのだと思っていました。天ないの呪いにかかった女子って結構いるんじゃないかな……。

 そんなふうに高すぎる理想がある一方、失敗は許されないという強迫観念めいたものがありました。中学生のときに現れた自分自身の言動への不安、恐怖は悪化していて、とにかく落ち着くこと、必要以上に取り繕わないことを自分に言い聞かせながら、同時に母や世間の求める女子高生像からずれないよう気をつけてもいました。

 世の中は求めます。当たって砕けろ、若いんだから何でもやってみろ、一度や二度の失敗で諦めるな。努力すれば夢は叶う。若者のあるべき形、女子高生のあるべき形。私は母の良い子でありたかった。良い子でないと、世の中に認められる姿でないと、存在を許されないように感じていました。命にかかわるような危機感を。

 でも結局あとになってみてわかったのですが、当たって砕けた私を誰も拾い集めてはくれないんですよね。一度二度失敗して取り返しがつかなくなっても誰も助けてはくれない。身に合わない過剰な努力はいとも簡単に人間を壊します。

 話はズレましたが、そんな気合いや強迫観念めいたものを抱えて入学した高校でも、なんとか友達ができました。それまでにずいぶん恥ずかしい思いやつらい思いもしたので、やっと安寧の地を見つけたような心地でした。その子はNちゃんといって、人当たりが良く、地味でも派手でもないおだやかな、でもよく笑う子でした。他にKちゃん、Yちゃんという友達合わせて4人でつるんでいることが多かったです。

 私はNちゃんに私という存在を受け止めてほしかった。漫画のように、あるべき正しい“友情”のように。Nちゃんは優しくて悪意もなくて、私の突然送る意味不明な雑談メールにも笑って付き合ってくれたし、退屈な授業中に書いた長文手紙にも次の時間に返事を書いてくれたし、その頃に書いていた詩や小説も(Nちゃんが実際どう思っていたかはわかりませんが)読んで褒めてくれました。私は完全にNちゃんに甘えていたし、大好きだったし、Kちゃん、Yちゃんのことも大好きだった。私たちは事あるごとにズッ友だょ☆みたいなことを言って、笑っていました。楽しく幸せな時間だったと思います。

 けれどもそれと同時進行で精神状態は悪化の一途を辿っていました。それが決定的になったのは、卒業頃です。あの時期って休みがすごく長くなるんですよね。冬休み、受験前の自由登校、春休み。ずっと、3年間気を張って周りと自分の言動を比べて境界線を探り、怯えて、それでもあるべき女子高生の姿を取り続けるために、つらくても傷ついても全て無視してきました。正しいとされるもの以外を自分の中から排除するように。みんな平気な顔をしているんだから、些細なことでいちいち傷つく私が悪い。傷つかない私にならなければいけない。

 それが長い長い休みで、ぶつんと途切れました。途切れた音が聞こえた気さえしました。誰の視線もなくなって、気を張ることもなくなって、そのときの私は女子高生でも専門学生でもない、ただの母の娘でした。そうしたらあっという間に体が重くなって、動くのがしんどくなって、思考が鈍くなりました。例えばお風呂に入るとか歯を磨くとか、そういうことをやるとかやらないの決断もうまくできなくなっていきました。

 卒業してからも、Nちゃんたちやクラスの女の子たちから遊びの誘いが来ました。嬉しかったけど、だんだん行く行かないの決断ができなくっていくのです。最初はなんとか行っていました。みんなと遊ぶのは楽しかった。でもそのうちに行きたいとも行きたくないとも感じなくなって、自分が何を思っているのかもわからなくて、ただ体が重くてしんどくて誘いを断るようになりました。断るうちにクラスの女の子たちからの誘いはなくなっていって、それでもNちゃんたちは相変わらず声をかけてくれました。ズッ友ですからね。でもそれにも返信が難しくなっていきました。

 しばらくしてNちゃんからふたりでセール行こうよという誘いが来ました。そのときの私はまた頑張って普通の人にならなきゃという気持ちになっていたので、ふたりで遊びに行きました。Nちゃんと会うのはすごく久しぶりでした。

 楽しかったし、自分が普通の若い女の子という感じがして嬉しかった。Nちゃんはいつも私を受け止めてくれた。甘えても許してくれた。私は彼女に“何でも話すこと”を選んでいました。

 その頃、毎日職場で発狂しかけて自分の頭はおかしいのではと苦しんでいたので、悩み相談のつもりで「私働くの向いてないのかも。しんどい」と話しました。横断歩道を渡っているときのことでした。

 Nちゃんは静かに、低く吐き捨てるように言いました。「誰だってそうだよ」

 そうなのかもしれません。事実、働きたくない民の多さといったらもう、とんでもない数でしょう。誰だってつらい。Nちゃんだって大学に進学して環境が変わりしんどかったと思います。私が無神経だったと思います。でも私はNちゃんが「どうして?」と聞き返してくれることを期待して、そうして苦しみを吐き出したかったのです。けれどそうはならなかった。

 言われた瞬間、全部が終わってしまったように感じました。私の心が大きな音をたてて閉じました。目の前がぐるぐるとしていました。誰だってつらい。誰だって苦しい。みんな私のように苦しい。でもみんな平気な顔をして歩いている。働いている。発狂している人なんて見たことない。トイレに駆け込んで泣いて腕を切る人が一体どのくらいいるっていうんだろう。この苦しみをみんな耐えている。とてつもないことだと思いました。みんなすごい。私が弱い。私が悪い。私がおかしい。私が正しくない。とても生きられそうにない。

 それ以降、どんな誘いにも返信ができなくなりました。行くとか行かないとか、決められないのです。布団に倒れ込んで叫びだしそうになりながらメールの文面を見つめて数十分が過ぎる。それが数時間になって、1日になる。数日になる。誘いを無視した形になる。

 それきり、KちゃんYちゃんはもちろん、Nちゃんからの連絡はなくなりました。たしか19歳のときのことです。以来いままで彼女たちとは一度も会うのはおろか連絡も取っていません。

 何でも話すことを選んだ友達を、私はこうして失いました。


 書いてみると前置きが長くて、本題はあっけないばかりでした。

 たぶんパニック障害の症状は高校生のときから出ていて、卒業前後の長い休みの間にうつ病を患っていると思います。これだって今思えばという話で、当時は何がなんだかわからなかったし、自分が何かおかしいことはわかっていてそれを周りに知られるわけにはいかないと文字通り必死になって隠していました。惨めな10代だと私は思いました。


 次は何を書こうかな。気が向いたものを書きます。

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