第7話 カップケーキ騒動

「わたくし……わたくし、あなたと親しくなりたいんですの!」

 必死な表情で美少女にそう言われたら、悪い気がするやつはいないだろう。

 シャンプーのコマーシャルに起用されそうなくらいのきれいな髪、制服に隠されたグラビアモデルになれそうなくらいの大きな胸、スカートから出てるむっちりした白い足。

 男なら「友達以上でもオーケーですっ!」と答えてしまうやつがいてもおかしくはない。(俺は除く。)

 だが、八神の場合は、

「柿沼くん、柿沼くん。調理実習でカップケーキ作ったの。ねぇ、食べてみて」

 完全無視というわけだった。

 倉利という存在が隣にいないみたいに、八神は俺の方だけを見て笑っている。

「カップケーキ?」

 手渡されたそれは、確かに八神の言うようにカップケーキに見えた。

 ピンクのチェック柄のカップの中にこんもりと盛り上がってクリーム色のカップケーキが頭を出している。

 ここで一番注意しなければならないのは、これを作ったのが八神という危険人物だということだった。

 八神が作ったものであれば、一見普通のカップケーキも、ゴミ箱に入っていた時限爆弾くらい丁重に扱わなければならない。

 手にあるカップケーキを机の上に振動を与えないように慎重に置いた。

 衝撃を与えないように後ろにさがると、ずずいと代わって倉利が前に出てきた。

「柿沼さんはいらないみたいですわ。それなら、八神さんの親友のわたくしがいただいてもよろしいですわね!」

 そう言って倉利がドヤ顔でカップケーキをつかみとった。

 八神はうんともすんとも言わず。

「親友の作ったものがどれくらいおいしいか知るのも親友としての務めですものね! では、いただきますわっ」

 倉利がぱかっと口を開いて食べようとしたその時。 

「八神さんのカップケーキは僕がもらう!」

 突然現れた桐谷が倉利の手からカップケーキをかすめとった。

「なっ、何をするんですの!? 返しなさい!」

「いやだ、僕だって食べたい!」

 俺と八神の目の前で、カップケーキの争いが始まった。

 めんどくさいことになったので、俺はこの場から立ち去ることにする。

 八神もカップケーキをあきらめたのか、倉利と桐谷から離れて俺の方へくる。

「柿沼くん、カップケーキもう一つ作ってあるから大丈夫だよ。はいっ」

 完全に油断してた。

 普通の女子みたいに両の手のひらに乗せてかわいらしく渡すのを期待してはいけなかった。

 八神はカップケーキを渡すのではなく、俺の口に向かって直接カップケーキを突っ込んできたのだった。

 俺の丸く開いた口にすっぽりとふたのようにカップケーキがおさまった。

「ぐぇええっ!」

 俺は口に入ったカップケーキを異物のように除去して放り投げた。

 カップケーキは万有引力の法則に逆らうことなく床に落ちて転がる。 

 口を手でぬぐってると、八神がカップケーキの前にしゃがんでうなだれる。

「せっかくがんばって作ったのに……」

 涙声で八神がつぶやく。

 今、八神にクラスの同情票が集まっているのを俺は肌に感じた。

 クラスのやつらの視線が俺に冷たく突き刺さってくる。

「まぁ、もったいないですわ。わたくしがいただきましょう」

 倉利は舞い降りた天使のようにカップケーキを拾い上げて、ぱくりとカップケーキをかじる。

 一度俺の口に入ったカップケーキを倉利は満面の笑みで食べた。

「まぁ、おいしいですわ」

「八神さん、おいしいよ!」

 もう一個のカップケーキ争奪戦には桐谷が勝者になったらしく、頬をもぐもぐとふくらませている。

「……ありがとう」

 八神が涙を拭きながら微笑むと、パチパチとクラスから静かに拍手が起こった。

 拍手をしているクラスメートの中からチラリとこちらを視線を送ってくるやつがいる。

 この寸劇で、俺は悪役になってしまったらしい。

 いたたまれなくなるのと同時に、口についているカップケーキのカスが気になって、俺は教室を抜け出した。

 廊下にある水道で何十回もうがいをして、ようやく一息着いた。

 そういえば、八神のカップケーキを食べて桐谷と倉利は大丈夫なんだろうか。

 二人ともおいしいとか感想をのべてはいたが。

 その後の責任は自分でとってもらうしかないと考えていた時、後ろから風が巻き起こった。

 廊下をものすごいスピードで誰かが駆け抜けていったのだ。

 男子トイレの方向にまっすぐと。

 それが誰だったのかといえば、犠牲者になった桐谷だった。

 やっぱりあのカップケーキを食べて無事では済まなかったらしい。

 俺は両手を合わせて桐谷の武運を祈った。

 それから、もう一人の犠牲者となりうる可能性のある女子のことが気になった。

 倉利は大丈夫なんだろうか。

 教室に戻ってみることにした俺は、入り口の前で立ち止まる。

 倉利はクラスメートの女子と談笑しているところだった。

 なんともなさそうだ。

 やっぱり倉利は普通の人間じゃないのかもしれない。

 この前の火事騒ぎの時もそうだったが、倉利は火傷したはずなのに、保健室で見たときには傷跡が消えていた。

 そういえば、八神も何度かそんなことがあった。

 教室の中を見回してみたが、八神はいなくなっている。

 八神はどこにいったんだ?

 その時、ツンと背中を刺されて俺は女みたいにかわいすぎる悲鳴を上げた。

 背中をおさえて振り返ると、八神がにこにこ微笑みながら立っていた。

「今、わたしがどこにいるか探してた?」

「探してねぇよ!」

 図星だったから、俺はあわてて嘘をついた。

「……倉利さん、なかなかトイレに行かないね」

 ぼそりと八神がつぶやいた。

「カップケーキに何を仕込んだんだよ、おまえ!」

「えへへ。なんだと思う? 実はぁ、お腹の中身が出てくる薬を入れたの! 柿沼くんに食べてもらって、小腸とか胃袋とか見てみたかったのにな~」

「出るわけねぇだろ!」

「残念だなぁ。人間の内側ってどうなってるんだろう。見えないから、見てみたいのに。柿沼くんの中身」

「気色悪いこと言うな。俺はそんなことを考えるおまえの頭の中身を見てみたいぜ」

「そ、そうなの?」

 急に八神の瞳が大きくなって輝き出す。

「柿沼くんは、わたしの脳味噌が見たいんだね。それじゃあ、今度、順番に見てみようか!」

 頬を赤くしてうれしそうに八神が言う。

「そういう意味で言ってねぇし!」

 俺は頭を抱えて壁にゴツンとうなだれた。 

 八神に変なことを言うと、本当にやりかねない。

 よけいなことは言わないように気をつけようと俺は胸に刻んでおく。

 ふと、何気なく教室に視線を向かわせると、教室の中から強烈な視線を跳ね返された。

 倉利がこちらをにらんでいる。

 かと思えば、倉利がこっちに向かってきた。

「柿沼さん!」

「な、なんだよ」

「話したいことがありますの」

 いきなり倉利にぐいっと襟首をつかまれて、前に引きずり出される形になる。

 倉利の顔が耳に近づいた。

「わたくしと八神さんの秘密を知りたければ、放課後に一人で保健室に来てください」

 吐息のような小声だった。

 すっと音もなく倉利は離れて、また教室の中へ戻っていった。

 そして、がやがやとうるさいいつもの教室に戻った。

「……B子、なんて言ってたの?」

 しばらくしてから八神が聞いてきた。

 俺は黙った。

 言うと、なんだか面倒なことになりそうな気がする。

「八神さんの親友はわたくしですわ!……と言っていた」

 倉利のものまねをして声もかえて言ってみた。

 言ってからものすごく恥ずかしくなった。

「ふぅ~ん」

 八神は疑う風でもなくつまらなそうにつぶやいた。

 それから、すぐに俺の方を見上げて、

「もし、B子から解体されたり実験されそうになったら言ってね。わたしが先にやるんだから止めるから」

「あ、ああ……」

 俺は真剣すぎる表情の八神に合わせてうなずきかけた。

「って解体も実験もさせねぇぞ!」

 油断して八神に自分の体の解体と実験を認めてしまうところだった。危ない、危ない。

「そういやさ、おまえ、今日部活はあんの?」

「今日はないよ」

「そうか、そうか」

 八神は学校に残らない。

 俺は八神にさとられずに、放課後倉利と会うことができそうだ。

   

 放課後になり、八神から逃げるように教室を出て念を入れて校内を一周してから保健室に来た。

 まだ倉利は来ていなかった。

 もしかすると、掃除当番なのかもしれない。

 またまた都合よくも誰もいない保健室の丸いすに俺はそこの主であるかのようにまたがって座る。

 ひまなので、くるくると丸いすを回転させて回りながら、倉利は俺に何を話すつもりなのかと考えた。

 倉利と八神の秘密ってなんだ?

 すぐに頭に浮かぶのは、二人が普通では考えられないほど怪我をしないということだ。

 マッチの火で火だるまになったはずの倉利は後から無傷だった。そして、八神は危険な薬品をあびても火傷をしていなかったし、殺人犯に切られた傷が消えていた。

「いったいあいつらは何なんだ……」

 思わず口に出してつぶやいた。

 その時、いきなりガラッと保健室のドアが開いた。

 現れたのは倉利だった。

 だが、倉利は「く」の字に体を曲げて、顔を真っ青にしてふるえながら立っている。

「ま、まってなさい……トイレに行って、ぐぅ、うっ、とにかく逃げるんじゃありませんわよっぉおおおおおおっ!」

 叫んで、ものすごいいきおいでドアが閉まった。

 八神のカップケーキが今頃、効いてきたらしい。

 ご愁傷様だ……。

 倉利が戻ってきたのはそれから三十分がすぎた頃だった。

 おそらく、倉利は俺の考えがおよばないような死闘を繰り広げてきたのだろう。

 さっき見た時より、額に脂汗がのっていて、顔はげっそりしていた。

「まだ待ってましたのね。……」

 倉利がつぶやくような声で言った。

 手にはかばんと白い小さな紙袋を持っていた。

「おまえが逃げるなって言ったんだろ」

「そ、そういえば、そうでしたわね」

 戦いのダメージが大きすぎて、記憶が欠落してしまったらしい。

「おまえ、もう腹は平気かよ」

「え?」

 倉利が驚いて俺を見る。

 荷物をテーブルの上に置いて、倉利はふっと鼻で笑う。

「何、心配してるんですの!? わたくしはこれくらいなんともないですわ!」

「嘘つけ。腹下してたんだろ。無理すんなよ。やっぱり八神の手作りのもんなんか食うもんじゃねぇよな……」

「それ以上八神さんのことを悪く言えば、その口を炭にして二度と口をきけなくしてやりますわよ」

 倉利はスカート下のガーターベルトから素早くマッチを取り出してすごむ。

 普段が美少女でも殺気だってにらまれると、殺人鬼並に怖い。

「きっとあなたがいるせいでわたくしは八神さんと親しくなれないのですわ……! 調理実習でカップケーキを柿沼くん、柿沼くんと言いながら八神さんは作ってましたわ。八神さんはあなたに特別な思いを抱いていますわ。殺人犯から身を挺(てい)してあなたを助けたこともあったとか」

「あ、ああ……」

 今も殺人犯並に怖い顔をした同級生から助けてもらいたいくらいだが。

 助けに来るのが、殺人犯並に不可解な女だったとしても。

 倉利は俺の胸の内を読んだかのように嘲りをふくんだ笑みを口元に広げた。

「毎回、八神さんがあなたを助けに来るなんて思わないことですわ。八神さんは今頃、帰宅の途(と)。丹精こめて作ったカップケーキを食べていただけなくて、さぞかし心を痛めているでしょう。彼女を傷つけたあなたに、八神さんを頼る資格なんてありませんのよ!」

「八神を傷つけた?」

 俺はカップケーキを食べなかった時の八神を思い出してみた。

 八神は笑ってて、傷ついた様子は微塵もなかった。

 だけど、本当にそうなのか?

 八神は平気だったのか?

 いつも心は見えない。

 八神が、腹の中身を出すカップケーキを食べさせて人間の中身を見たがっていたように、見えないものがある。

「そうですわ、あなたは八神さんを見えないナイフで傷つけたのです。だからわたくしは、あなたを許せませんの」

 太股についているガーターベルトのケースにマッチをすると、倉利は俺に向かって火のついたマッチを向けてきた。

「避けないでくださいな」

「無理言うなよ!」

 当然、俺は避ける。

「柿沼さん、あなたはわたくしと八神さんの秘密を知りたくてここへ来たのでしょう? わたくしはそれをあなたに身をもって教えてさしあげるつもりですのよ」

 倉利が何を考えているのかさっぱり分からないが、俺はおとなしく火を身に受けるつもりはなかった。

 ふたたび倉利が突き出したマッチを避けた時、俺のひじにテーブルにあった軽いものがぶつかって倒れる音がした。

 青いプラスチック容器がひっくり返って、中の無色透明な液体がテーブル上にこぼれた。

 倉利が持ってきた荷物の白い紙袋に液体は向かっていく。

「あっ!」と倉利は短く叫ぶと、紙袋に手を伸ばそうとして、マッチを落としてしまった。

 テーブルに落ちたマッチの火はオレンジから薄い青に変わって、液体に色を添えるように火をつける。

 そして火は白い紙袋に引火した。

「イヤぁあああっ!!」

 がばっと倉利が燃えている紙袋を守るように抱きついた。

「あ、あぶねぇだろっ!」

 俺が怒鳴ると、

「大切なものが入ってますの!」

 倉利は少し目尻に涙を浮かべながら言い返した。

 火の勢いは弱く静かだ。

 そこで、俺は流しに置いてあった桶に水をため、それをもってきて水をテーブルの上にぶちまけた。

 火は簡単に消えた。

 そして、また水を桶にくむと、今度は倉利の持っている紙袋めがけて水を放り投げた。

「なっ、なんてことしますのよっ!」

 頭の上からびしょぬれになった倉利は怒りの声を上げた。それからすぐに紙袋の中身を確認する。

 紙袋の中から出てきたのはカップケーキだった。

 八神と同じく調理実習で作ったものだろう。薄紫色のリボンでラッピングしてある。

 リボンにはメッセージカードがついていて、「愛する弘樹(ひろき)さんへ」と書いてあった。

「ああ、よかった! 中身は無事でしたわ」

 安堵の表情で倉利はつぶやいた。

「……腕は大丈夫か?」

「心配には及びませんわ」

 きれいに傷のない腕を見せて、フッと倉利は優越感の笑みを浮かべた。

 火だるまになった時と同じく、倉利は無傷だった。

「わたくしたちは特別な人間ですの。あなた方のような一般的な凡人とは違いますの。なにしろ……」

 固唾をのんで言葉の続きを待ったが、倉利が話す前に、

「柿沼くーん!」

 別の声が邪魔をした。

 八神が元気よくドアをあけて俺に向かって走りよってくる。

「な、なんでおまえ、学校に残ってんだよ。部活はないはずだろ?」

「それは、これのためだよ」

 八神は満面の笑みで、後ろに隠していたものを俺の鼻先に差し出した。

 なんと、カップケーキだった。

「柿沼くんのために作ったんだよ。今度は食べてくれるよね?」

「い、いらねぇよ!」

 そう激しく拒絶してから、八神の反応が気になった。

 傷つけたかも。

 だが、八神の目は鋭くなった。 

「だけど残念。柿沼くんに食べてもらう前におしゃべりな女の口をふさぎたくなっちゃった」

「え?」と言ったか言わないかのうちに、八神は倉利の方を向き、倉利の口に一切の容赦なく、カップケーキをつっこんだ。

「あがっ、ぐっ」

 さすがの倉利もこれには困惑し、苦しそうになっていた。

 しかし、八神は人の心がないようで、腕にかけていた籠からカップケーキを次々取り出して、倉利の口に力いっぱいつっこみ続けた。

 こいつ鬼だ。

 倉利も倉利で、口に入ってくるカップケーキを吐き出そうとはしないで耐えている。

 倉利を見ているのが辛くなって、俺はついに目をそらした。

 八神は持っていたすべてのカップケーキを使い切ったらしい。

「さぁ、柿沼くん、帰ろっ!」

 八神が俺の腕にからまってくる。

「あ、ああ」

 俺は水浸しのテーブルに手をついて前かがみになっている倉利が気になったが、とりあえず八神に従った。

 先に廊下に出て、気になって教室をのぞくと、

「今度、柿沼くんに何かしようとしたら、わたし……」

 八神が最後になんと言ったのかよく聞こえなかったが、倉利には大ダメージだったらしく、倉利は口をおさえて青ざめていた。

(カップケーキを口につっこまれすぎたせいかもしれない。)

 げた箱まで来て、靴をはきかえていると、

「カップケーキ全部なくなっちゃってごめんね」

 と、八神が謝った。

「べつに」

 なくなってよかったと俺は思いながら答える。

「かわりに日曜日、デートしよう!」

 八神がかばんを背中に持って、くるりと回転する。

「なんでかわりになるんだよ」

「来るよね?」

 八神が笑う。

「柿沼くんに会いたいっていう人がいるの」

 別にカップケーキは関係ない。

 だけど、俺には断る勇気はなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る