第6話 八神の親友!?

 俺は連続殺人犯と対峙したあの事件の日以来、ものすごい不眠症になっていた。

 やっと眠れたかと思えばカラーの夢を朝まで見て、寝た気がしない。

 修学旅行から帰ってきてから二日後には目の下にはっきりと紫色のくまができあがっていた。

 俺に比べて、崖から落ちた宮里は元気だった。

 運良く軽傷で済んだようで修学旅行の途中から戻ってきていた。

「くそう」

 俺のほうを見て、宮里と仲間の女子たちが笑ってるのを見てやたらとイライラする。

 机のイスに座っていた俺は前にあったイスを机の下でけとばした。

 今朝見た夢はかなり悪質だった。

 八神のいたずらかと思えるくらいのレベルだ。

 机の上に誰かが座っていて、その誰かが足を折り曲げて机の上に足をつける。そうすると、スカートがあがって中が見えそうになる。そこから伸びている白い足はやわらかそうで、スカートの奥にちかづくほど太く肉がついていた。

 そして、俺はそれが誰の足なのか確かめようと顔を上げる。すると、その顔は八神なのだった。

 八神が俺に薬をもって夢に侵入してきたんじゃないかと思ってしまう。

 だがいくら八神でもそこまでのことはできないだろう。

 八神についてはそれよりも先に考えることがある。

 片手をあごの下に置いて、窓の向こうの青空を見ながら考えごとに入ろうとしたそのときだった。

 俺の横に一人の女子がふさがるようにして立った。

 俺にちょっかいかける女なんて一人しかいない。

「どけよ」

 追い払うように手をふると、その手をはらいよけるようにして肌色の丸みあるものが机の上に乗る。

 それが、太股だと気づくのと同時に、俺のあごをその女子の手が持ち上げる。

 夢だとそこにいるのは八神だったが、実際に見えたのは八神じゃなかった。

「ごきげんよう。わたくし、倉利B子(くらり びーこ)と申しますの」

 ストレートの髪が女子の着ている菫色のベストの肩にたれている。

 その間にある顔は、芸能界で活躍している若い女優なみにきれいに整っている。

 もし本当に芸能人だと聞いても驚かないだろう。

 だからと言って、俺の態度がやわらかくなることはない。

「なんの用だよ」

 その言葉が気に食わなかったのか、女子は俺のあごから手をぱっとはなすと俺に顔を近づけてにらんだ。

「八神A子さんをご存じですわよね?」

「あいつがなんだよ」

「わたくし、八神さんの親友ですの」

 女子は胸に手を当てて自信満々に答える。

「八神の親友?」

 親友がいるということより、まず、あいつに友達がいたことが驚きだ。

 今まで、八神が他のクラスメートに積極的に話しかけてるところも、仲良く話しているところも見たことがない。

 どの女子ともつるまずにいてクラスでは浮いている。

 科学実験部の連中とは実験好きな特殊な共通点があるから話は合うのかもしれないが。

「ええ、今日決まったんですの。もしかして疑ってらっしゃる? 八神さんに直接聞いてもらってもいいんですのよ」 

 そう言って、倉利B子が後ろを向くと、その後ろに八神が立っているのが見えた。

 八神は笑顔で、それでいて無言だった。

「なんか言えよ」

 あまりに何も言わない時間が長いので俺が言った。

「柿沼くんはどんな実験が好き?」

 今度は俺が黙る番が来た。

 ここで変なことを答えるとろくでもないことが起こるのは間違いない。

「実験自体が嫌いだ」

「じゃあ、解体の方が好き?」

「嫌いに決まってんだろ」

 メスを取り出して、言われると笑っていても冗談には聞こえない。

「わたくしは八神さんが好きよ!」

 急にむりやり、倉利が話をねじいれてきた。

 八神に無視されて耐えきれなくなったらしい。

 倉利は机からおりると細い腕を八神の肩に回して抱きついた。

 女子同士が手をつないだりしてるのは見たことがあるが、抱きついているのは始めて見た。

「八神さんはわたくしのことが好き?」

 倉利は八神のことを見つめながら聞いた。

「わたしが好きなのは柿沼くんだよ」

 ばっさりと八神がふると、振り向く倉利の目が俺をきつく睨んだ。

 怒ったライオンのようだ。

 元はかわいい顔をしているのに、女ってのは嫉妬するとこんなにも怖くなれるらしい。

 こういう三人の関係を三角関係というのか、と思ったが、この三角関係は図式が変だ。

 それよりもまず、八神が俺を好きだということが間違いであってほしい。

 その時、俺のそばでシュッという軽い摩擦がした。

「わたくし、決めましたわ」 

 倉利の声がして、気がつくと机の上から煙が上がっている。

 おかしいと思った時、俺はすぐに立ち上がって机から離れた。

 机の上に置いてあった知らないうちに配られていた白いプリントが小さな火を上げて縮こまりながら燃えていた。

「あなたには死んでもらいますわ」

 倉利はマッチを手にほほえむ。

「うわっ!」

 俺は机の脇にあった自分のかばんで机の上をはたいた。火は小さかったのですぐに消えた。

 プリントの燃えカスと机から煙が消えるのを確認して俺は倉利をにらむ。

「何すんだよ!」

「なにって殺すんですのよ?」

 きょとんとして倉利が殺人予告をする。

 なんだこいつと思わずにはいられない。

 倉利は片手でスカートの内側に手を入れてめくりあげる。

 一瞬太股に見えた紫色を見て、下着かとドキッとしたが、それはガーターリングだった。

 しまっていてそれでいてふっくらとした太股。

 そこにまいてあるガーターリングにはマッチの入った箱がくくりつけてあった。

 倉利が持っていたマッチの火薬をマッチ箱で擦る。

「柿沼さん、わたくしと八神さんの友情の存続のために命を捧げてください」

 友情という言葉の響きが好きらしく、倉利はうっとりと微笑む。

 コイツ、完全に狂ってる。

 俺は教室から逃げ出した。


 逃げている最中に、八神と初めて会った日もこうして追いかけてきたことを思い出した。

 あの日の八神はメスを持って俺を追い回していた。

 今回は八神の親友を自称するマッチを持った火付け女。

 八神に関わると命に関わる仕組みになっているのか。

 階段を駆けあがって三階について廊下を走り出したところで、横の窓に「廊下を走らないでください」と注意書きがしてあるのが目に入った。

 だが、そんなものは命が危険な時にはどうでもいいことだ。

 無視して走り出すと、さらに「滑るので気をつけてください」と書いてあるのに気がついた。

 そのとたんにズルーと俺は転びながら廊下をまっすぐ滑った。

 短くても十メートルは滑ったんじゃないだろうか。

 いったいなんなんだよと起きあがりながら腹や足、手にねばりつく透明な液体に目を向ける。

 なんだこれ。

「よく滑ったね。おめでとう。記録更新だ!」

 ぽんと肩に手を置かれて、顔を上げれば、頭を左右上下に動かせば風が起こるような横に扇のように広がったパーマ頭が見えた。

 その女は、科学実験部部長だ。

「うれしくねぇよ!」

 手に力を入れて起きあがろうとすると手がぬめってすべった。

 危うく頭を打ちそうになるのを腕に力を入れてこらえる。

「おお、君は柿沼亮二くん! うちの実験体じゃないか!」

「実験体になった覚えがねぇよ!」

 どうやら、実験部が廊下で迷惑な実験をしていたところだったらしい。

「実験体が来てくれて助かったよ。これから、私が試そうとしてたところだったんだ」

 そう言いながら、部長は着ていた白衣を脱いだ。

 白衣の下から、黒いウエットスーツが出てきた。

 なぜか、この部長が着ていると牡蠣をとりに海にもぐる海女のように見えた。

「何の実験だかしらねぇけど、やっててはずかしくねぇのかよ」

「心配はいらないよ! 摩擦ゼロの物質を作ってるところさ。実験のためには、恥はどんどん捨てなければね!」

 ある意味すごいと呆れつつも感心していると、

「ぜんぜん燃えませんわ」

 と後ろから声がした。 

 気がつけば倉利がいて、手につかんでいたものを床に投げ捨てる。

 それからはもくもくと煙が上がっていたが、俺の大事に吸っている高いタバコだった。

 十本くらい束になって火がついて黒くなっている。

 俺の口から言葉にならない奇声が飛び出た。

 倉利は大して気にせずに、科学部部長に話しかけている。

「よく燃えるものありません? これ火が弱くて」

「君も実験中なのか。それなら同じ研究者として協力させてもらおう。このネバネバはよく燃えるよ。エタノールを使っているからね」

「なっ!?」

 たばこの残骸を前にひしゃげていた俺が顔を上げると、倉利の満面の笑みがあった。

「それは好都合ですわ」

 俺の両手はねばつく液体でべとべとで、ワイシャツの前も全部液体がくっついている。

 科学実験部部長が言ったとおり、このべとべとがエタノールで出来ているのなら、火がついたら俺は間違いなく火だるまになる。

 倉利は手をふとももに寄せて、スカートの内側についているガーターリングからマッチ棒を取り出して擦った。

 マッチの先の赤い火薬がオレンジ色の光に包まれる。

 それを見た科学部部長が反応した。

「火をつけるならもう少し離れたところでしないと危険だぞ」

 急に科学部部長が至極まともなことを言って、倉利を遠ざけようとする。

「ちょっと、うるさいですわよ」

 倉利は部長をどんと押した。

 すると、ウエットスーツを着た部長はツルーとべとべとにの上に転んで、そのまま廊下の隅までまっすぐ滑っていった。

 俺が遠くにいく部長を見届ける前に、倉利が動き始めた。

「あなたがいなくなれば八神さんはわたくしの親友になってくれますわよね」

 背筋がぞっとして後ろにさがれば、足下がずるつく。

 液体のまかれた床がすぐ後ろだ。

 倉利を追い抜かして走り抜けたとしても、マッチを投げて引火したらおしまいだ。

 なんとかしてマッチの火を消すしかないのか。

 そう思った時だった。

 後ろから来た何かに足首をわしづかみされた。

「うわぁああっ!」

 びっくりして後ろにひっくり返りそうになったが、なんとかもちこたえる。

 おそるおそる足首を見れば、両足に五本の指がからみついていた。

「なにしてんだよ、八神!」

 こんなことをする奴は八神A子以外に思いつかない。

 そして案の定、俺の下から八神の声がした。 

「ねぇねぇどうしたの、B子ちゃん?」

 八神はゆっくりと俺の後ろで立ち上がって俺の横にくる。そして、俺の左手をつかんだ。

 腹ばいになっていた状態だったことからして、八神も廊下を滑ってここまで来たらしい。

 俺と同じく、八神もベトベトになっていた。

「火、つけるの?」

 さっき教室では倉利を一切無視していた八神が倉利に笑顔を向ける。

「今、柿沼くんに火をつけたら私も丸焼けだね」

「うっ! ……た、たしかにそうですわね」

 倉利は八神と俺がつないでいる手を見てうろたえた。

 まだ倉利の手には火のついたマッチ棒がある。

 オレンジの火が困惑したように揺れている。

 やがて、倉利はやけに色っぽいためいきをついた。

「降参ですわ。わたくしが八神さんにそんなことできるわけないじゃありませんの」

 少し残念そうに、敗北感で力がぬけたような声だった。

 だが、これで終わらなかったやつがいた。

 その瞬間、俺の横にいた八神が前に出て、持っていた何かを倉利にむかって投げつけた。

 パシャッと倉利の顔と上半身に透明な液体がかかる。

 倉利の手にあったマッチが急速に炎を大きくし、燃え上がる。

「きゃあっ!」

 倉利は悲鳴を上げて、あわてて両手をばたつかせたが火は簡単に消えなかった。

 火は倉利へ燃え移り、倉利の全身が火の衣に包まれていく。

「や、やべぇ……消火器、消火器!」

 廊下には消火器があるような気がしたが、探すとないもので、しかもうわばきのかかとにべとべとがくっついていて、滑ったりしながら廊下の端のほうに隠れるようにして立っていた消火器を見つけた。

 消火器は持ち上げると予想以上に重い。

 なんとか立ち上がると、消火器をつかんで火に包まれてる倉利に向かって走った。

 消火器の黄色いリングをとって噴射口を倉利に向ける。

「消さなくていいのにぃ~」

 そばで見ていた八神が残念そうに言って俺を止めようとする。

「S級のバカかおまえはっ!」

 持ってる消火器で八神の頭を殴りたくなった。

 目の前で同級生が燃えているのに見殺しにしようとするなんて正気の沙汰じゃない。

 そこまで八神はこの倉利という女が嫌いなのか。

「大丈夫。このくらいじゃ死なないよ」

 マジでなぐりたいと思った瞬間、頭の上から大量の水が降ってきた。

 やっと炎感知器が働いたらしく、警報音がうるさく鳴っている。

 天井から水を放出してるスプリンクラーの水が徐々に倉利の身にまとっていた炎を鎮火していった。

「ひどいわ、八神さんたら」

 スプリンクラーのどしゃぶりの雨のなかで倉利が笑う。 髪で顔が見えないが口元だけ笑っているのが見えた。

 こいつも正気の沙汰じゃない。

 俺が呆然としているうちに、スプリンクラーの水が止まった。

 教室から廊下をのぞく顔がいくつも見えた。

 教師が走ってこっちにこようとして滑ってこけている。

 廊下にぬられたべとべとに足をとられたらしい。

「柿沼くん、行こう」

 八神が俺の手をひっぱった。

「倉利をどうすんだよ……っお!?」

 空いていたもう一方の手を倉利の手がつかんだ。

「わたくしも行きます。まってくださいな」

 倉利がよたよたと歩く。

 顔はホラー映画の主役みたいに黒髪で覆われていた。

「いいいいっ……!??」

 悲鳴をかみ殺したような声を上げる俺を八神が引っ張り、俺は後ろからくっついてくる倉利から逃げるように走った。

 八神に引っぱられて着いたのは保健室だった。

 都合がよすぎることに誰もいない。

「はい、ここに座ってね」

 八神は回転丸イスを指し示すと、白衣のポケットから何か小さな容器を取り出した。

「柿沼くん火傷したでしょ。これ、あたしが作った薬。ぬってあげるね!」

 八神は薬がぬりたくてたまらないらしい。

「い、いや、いい……自分で冷やす。っていうか、それよりも倉利が先だろ!」

 手を蛇口の水で冷やしながら言う。

 倉利は俺よりもひどい火傷を負っている。

 保健室じゃなく救急車をよんだほうがいいと思ったが、八神は少しもそう思わないようだった。

 そして、それは倉利本人も同じようで、

「八神さん、わたくしも診てもらっていいですか?」

 恥ずかしそうにもじもじしながら、それでいて「いいよ」と一言もらえれば服を全部脱ぎ出しそうな様子だ。

 制服のボタンに手をかけて今にも脱ぎそうだ。

 俺の頭は急沸騰してがんがん熱を上げる。

 その時、腕をまくった倉利の腕を見て俺はふしぎに思った。

 火傷の痕(あと)がない。

「倉利……おまえ、火傷は?」

「そんなもの、もう治ってますわ」

 倉利は腕を俺の前に突き出してせせら笑った。

 常識的に考えてみて、おかしいのは俺じゃないはずだ。

 おかしいのは倉利の方だ。

 俺はさっき火にまかれて悲鳴を上げている倉利を確かに見た。

 それなのに、その出来事がまるでマジックショーだったかのように、倉利は無傷で笑っている。

 騙されてるみたいだ。

 納得がいかない。

 ……不可解がまた始まった。


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