第4話 八神の部活探し
「ね~えっ、柿沼くんって部活はどこ?」
突然、後ろから明るい声がして俺は猫みたいに飛び上がった。
「な、なんだよ!」
振り向くと、窓から八神が顔を出して笑ってる。
植え込みに隠れて、校舎に背中をあずけてうたたねしていたところにいきなりこれだ。
俺はくらくらしてる頭をがっくり膝の上に乗せた。
「わたしね~部活に入ろうと思うの。だから柿沼くんの部活どこなのか聞きたくて」
答えないと八神は解放してくれなさそうだ。
仕方ない。あきらめて答えることにする。
「どこでもねぇよ。部活なんか入る気がしねぇ」
「そうなんだ。じゃあ、わたしに何部が合うと思う?」
「自分で決めろよ」
頭がすっきりしてくると立ち上がって俺は八神を見た。
今度はどんな危険物を持ってるかわからない。
だが八神は窓のさっしに腕をのせたまま動かない。
「じゃあ、科学実験部に入ろっかな!」
「はいはい。そうすれば」
俺はあくびをすると、一人になれる場所を探して歩きだした。
その時、肩の上に何かがのっしりと乗った。
くわと言うのだろうか。農作業に使うあれ。
先がのこぎりの刃のようにギザギザしているあれだ。
それが俺の肩にのっていた。
「いっしょに部活見学にいこうよ」
八神が笑顔で誘う。
いや、これは誘いじゃない。脅しだ。
だがそんな脅しにすぐ従う気はない。
「うぉああ!」
下にしゃがみ、かがんだ姿勢のまま忍者のような体勢で俺は疾走した。
「あいつ、毎回、物騒なもん学校に持ち込みやがって……」
独り言を言いながら、廊下の角を曲がろうとしたそのときだった。
白衣が見えてぎくりとしたが、八神ではなかった。
パーマをかけた髪が扇のように広がってる女だった。すると、女が反応した。
「おっ柿沼亮二だ!」
女は目を丸くして俺を真正面から指さしている。
この女に見覚えはない。だが、向こうは俺を知っているようだった。
「ふふふふん。これは奇遇奇遇! 会いたい会いたいと思ってたところに! 私は、君が三階から飛び降りて無傷でいるのを見たことがあるんだよ。ねぇ、うちの部に興味ない?」
「どこの部?」
入る気は一ミリもないがなんとなく気になって聞いてみる。
「うん、科学実験部って言うんだけどね。で、私が部長」
「へー……」
八神がさっき入ろうかと言っていた部活だ。
「どんな部活なんだ?」
「そっか。わかりにくいよね。うちは何でも興味あることを試験的に実験する部活なんだ。たとえばだね、え~と」
科学研究部の部長はごそごそと白衣のポケットから何かを取り出した。
それは茶色いガラス瓶のスプレー。
俺は瓶の中身を聞かずにはいられなかった。
「……その瓶の中は?」
「ええ! これはハーブとエタノールを使った消臭スプレーなのだ。ふふふふん。君、興味があるようだね!」
部長が興奮した口調で言う。
「このように一吹きすると」
スプレーの噴射口が俺に向いていたので、とっさによけると、シュッと霧が噴射された。
霧はたまたまとおりがかった運の悪いハエにかかった。
そのとき、小さなものが落ちて床を見ると、さっきまで飛び回っていたはずのハエが足をばたつかせて床に転がっていた。ハエはしばらくもがいていたがあっけなく動かなくなる。
「あれれれれ。この消臭スプレーって殺虫効果もあるようだね。これは大発見だ!」
部長は目の色を変えて喜び、メモを取り始める。
「……それ、殺虫スプレーの間違いじゃねぇの」
人にかかったらどうなるんだろうと思うと鳥肌が立つ。
この恐怖感といい、この女部長の雰囲気といい、八神に寒気がするほどよく似ている。
おそらく科学実験部の部員は八神と同じ部類の人間の巣窟だ。
つまりは、要注意危険人物の集まり。
もし八神がこの部活に入ったらどうなるんだ?
今以上にヤバい領域に進むことが容易に想像できる。
絶対にこの部活だけには八神を入れたくない。
さらに恐ろしい危険物をあいつが手に入れたら俺の命が危なくなる。
科学研究部の部長が虫を探してしゃがんだり窓に張り付き始めた。俺は八神を探しに向かった。
八神はすぐに見つかった。
というのはもちろん、八神の方も俺を探していたからだだ。
「いい部活ありそう?」
八神は離れていた数分をまるでなかったかのように俺に聞いてきた。
「とりあえず科学実験部はやめとけ。他の部活にしろ」
「じゃあいっしょに探してくれる?」
「……ああ、いいぜ」
もううなずくしかない。
すると、八神がそばに寄ってきて俺の手をつかんだ。
小指に八神の小指がからむ。
「……これ」
「指切りね。約束やぶったら針千本呑むんだよ、えへ」
八神なら本当にやりそうだ。
「俺はそんなのやらねぇぞ」
「指切~った! 約束しちゃったよ?」
「おまえが勝手にやっただけだろ」
八神を手で押し退けてると、一人男子生徒が通りがかった。
「八神さん!と……また君か」
俺を見ると目に見えて、桐谷の表情が残念なものに変わる。
桐谷は小声で俺に話しかけてきた。
「八神さんにあれからまたデートに誘ってるんだけど、行ってくれないんだよ。それって君のせい?」
「知らん」
八神は桐谷の誘いを断っているらしい。
それはいいことだ。桐谷が八神の実験体になる危険性が低くなるわけだからだ。
「あきらめて八神に近づくのをやめたらどうだ? その方がおまえのためだぞ」
「そんなに言ったって八神さんのことはあきらめないからね!」
俺はため息をついた。
救いようがないなコイツは。
「そうだ。会ったついでだ。おまえ何部だ」
「僕? 僕は乗馬クラブだよ」
「そんなもんあったのか。この学校のどこに馬がいるんだよ。見たことねぇぞ」
「あははっ、この学校にいるわけないじゃないか。普段は基礎訓練をしていて、合宿で毎年栃木の乗馬クラブに行くんだよ。八神さんは乗馬に興味ない?」
「馬っ?」
八神の目がきらきら好奇心に輝く。
俺はひたすら嫌な予感しかしない。
動物実験しようとかそういうことを考えているに違いない。
「やめとけ。馬に会えるのは年に数回だけだぞ」
八神に動物はだめだ。みんな実験動物にされる。
動物に関わらない部活がいいだろう。
「これからコイツと部活見学に行くんだ。おまえは部活だろ、行けよ」
桐谷を追い立てるように言うと、気に食わなかった桐谷は恨みがましく少し泣きそうな顔でにらんでいたが何も言わずに去っていった。
「じゃあ、科学実験部の見学にいこっか」
くるりと俺の方を振り向くと八神が言った。
「ま、まて」
裏返った声が出た。
八神を科学実験部に入れたくない。
どうにかして八神を引き留めなければ。
「お、おまえには、別の部活の方が似合ってると思うぞ!」
人間の言葉をはなさない猫や犬にだってわかるくらい不自然な声が出た。
俺はこういう嘘が苦手らしい。
じんわり手のひらに汗を握っている自分に気がついた。
八神は俺の不自然さに気づかないのか、気づいているのに気づかないふりをしているのか判断がつかない笑みを浮かべていた。
「ほんとう?」
「あ、ああ。たとえばだな……あそこだ!」
俺が指さしたのは校舎から離れて建っている弓道部の練習場だった。
もう少し考える余裕があれば、安全な部活を選択できたかもしれない。
しかし、廊下の向こうでスプレーをまきながらノートにメモをとる白衣の部員が見えて、俺はとっさに八神を引っ張って反対側の廊下に走り出したのだった。
弓道部は、学校が認める不良である俺を見てあまりいい顔をしなかったが、それでも部員不足だったらしく八神だけは歓迎してくれた。
二年生の女子は八神に胴着まで着せてくれた。
胴着を身につけた八神は一回り胴が大きくなっていつもより勇ましく見える。
手に黒いグローブみたいなものをつけてもらって、八神は喜んでいた。
この分だと弓道部で決まるかと俺は胸をなで下ろす。
そして、弓の扱い方を教わっているはずの八神に視線を戻した。
なぜか俺に向かって矢をしぼっている八神がいた。
ひゅんと俺の横をかすめて矢が飛んできた。ガツっと後ろの壁に矢が刺さった。
「あっぶねぇええ! どこを狙ってんだ!」
「ややや、八神さん! 人に向けちゃだめです!」
慌てて弓道部の女子が八神に注意した。
「そうなんだ。つまんないの」
八神は残念そうに口をとがらせるだけだ。
「じ、じゃあ弓道はだめだな」
俺は作り笑顔でそう言いながら頭を回転させる。
弓矢とか凶器になるものを八神に持たせたらいけないことを忘れてた。
どっかに安全そうな部活はないか?
もっとあるはずだ。
凶器になるものが一切なくて、怪しげな実験ともほど遠いおだやかで安全な部活が。
その時、弓道場の上から外につながっている部分から、音楽が聞こえてきた。
そうだ、文化部があった。
八神にはスポーツをやらせるよりおとなしい文化部のほうがいいだろう。
だが、部活に興味がなかった俺は他にどんな部活があるのかを知らなかった。
そこで「おい」と八神を入部させるのに失敗して残念がっている弓道部の女子に声をかける。
「おとなしそうな文化部ってなんかあるか?」
「えっ!? えっと……茶道部はどうでしょう?」
女子はびっくりして肩をすくめたが俺がほしい答えをくれた。
「茶道部か。それいいな」
まさにおとなしい部活という感じがする。
だけど、うちの学校にそんな部活あったとはまったく知らなかった。
「八神。次の見学する部活が決まったぞ」
あっさり弓道に興味をなくして着替えて舞い戻ってきた八神に俺はそう告げた。
弓道部は部員数が男女含めて十人以上いたが、茶道部は女子ばかり三人の少人数だった。
女子は三人とも着物をきていた。
茶をたてる和室の部屋はあがるのに靴をぬがなきゃならない。
しかも、茶道部は女ばっかりで入っていく気になれなくて入り口のほうで俺はあぐら座りで見てることにした。
三人の女子部員も奇異なものを見る目で俺の方をチラチラ見てくるのがさっきから目障りだった。
茶をたてる場所が部屋の角にあるらしく、八神やその他の女子部員がどんな風に茶道をやっているのかが見えない。
ただ、動作に関することを教えたり、楽しそうな騒ぐ声が聞こえた。
早く帰りたくなってきた頃に、八神が入り口に顔を出した。
「柿沼くん、飲んでみて。わたしがたてたお茶なの。絶対においしいよ」
八神は両手に軽いどんぶりほどもある陶器の器を持っていた。その中には緑色の液体が入っている。
「それ何だっけ」
「抹茶だよ。ハイッ」
渡された器の中の緑を見て、のどの奥が鳴る。
これ、飲んでも平気か?
「俺はいらねぇよ」
そう言うと、女子部員が出てきて器を受け取った。
「では私が。ちょうだいいたします」
やめといたほうがいいと忠告する前にごくりと女子は抹茶を飲み込んだ。
その数秒後。
女子は畳の上に白目になってごろんと転がった。
小さな部屋が一気に騒がしくなる。
俺以外の誰も何が起こったのかさっぱりわかっていない。
「おまえ何を盛ったんだ!?」
予想がついていて俺は小声で八神を問いつめた。
「え? わたしが一週間前に作った特製ドリンクだよ?」
「おい!」
そのドリンクについて深く聞く勇気は俺にはなかった。
俺は立ち上がると、八神の腕を引っ張って廊下に出た。
「えへへ、きれいな緑色だったからみんな気づかなかったね」
いたずら成功とでも言うように八神が笑う。
俺はつられて笑うようなことはしなかった。
口を引き結んで、無言のまま八神を置いて歩きだした。 こいつにはつきあいきれない。
部活に入った八神がますますエキセントリックになる心配をするよりも、八神から離れたほうがいいことに俺はようやく気がついた。
後ろから八神がついてくる気配がした。
俺はどんどん足を速くして終いには走り始めた。
八神から少しでもはなれようと俺はさっきからしているのだが、その後ろを八神がぴったりとはりついたように追いかけてくる。
しばらく八神も何も言わずに後ろを走っていたが、急に銀色のものが横につきだしたので俺は横によけた。
振り向くと下を向いたまま俺に向かってメスをつきだしている八神がいた。
「柿沼くんのウソツキ。いっしょにって言ったのに。いっしょに部活探してくれるって言ったのに!」
「……ああ、言ったな」
妙な説得力がある。
たしかに俺は八神と部活を探すと約束した。
「うそつき、うそつき、うそつき!」
八神は泣いているように見えた。
俺は顔をふせている八神をアホみたいに見つめた。
ありえない気がしていた。
八神が泣くなんて。神経が何本も足りないような笑顔で人を殺しかねない実験を繰り返すこの女が涙を流すなんてことは……。
その時、いきなり背後からシュッと音がした。
どこかでかいだことのある香りと共に、横を飛んでいたテントウムシがころりと床に転がり落ちた。
「ふふふふん。怖いくらい効くねぇ、この殺虫スプレー!」
扇状のパーマ頭をした科学実験部の部長だった。
「それ、消臭スプレーじゃなかったか?」
俺の記憶違いでなければだが。
「えー? そうだったかなぁ?」
部長はとぼけて大口で笑う。
それから俺の前にいた八神に視線を移した。
「あ、八神くんじゃないか」
科学実験部部長はすでに八神のことを知っていた。
八神は部長とすでに知り合いだったということだ。
つまり、俺が科学実験部をはちあわせしないようにしていた努力はすべて無駄だったということだ。
「いい実験体を見つけたようだね、八神くん。柿沼亮二は、体が丈夫で金属パイプで殴打しても肋骨が無傷だったという伝説がある男だぞ」
「そんなデマ、本気にするんじゃねぇよ!」
「こんな生きのいい実験体はそうそうないよ」
「……人の話を聞いてねぇな?」
ため息をつきながらそう言ったとき、八神が顔をあげた。
八神の頬に涙はなかった。
さっき泣いているように見えたのはやっぱり目の錯覚だったのだろうか。
「ちょうど部員一名と実験体を募集してたんだ。見つかってよかったよかった!」
「ちょっとまて。実験体って……まさか俺のことじゃねぇだろうな?」
半分冗談のつもりで聞いたのだが、八神も部長も「そうだけど」と言わんばかりの顔で俺を見る。
また俺だけが上滑りして、八神にしてやられた感がする。
「部活が見つかってよかったね!」
八神が笑顔で言う。
「冗談じゃねぇ!」
俺が走り出すと、当然のように八神も走る。
そして、ほいきたと科学実験部部長も走る。
追いかけてくる奴が増えて、俺の悩みも二倍に増えそうな予感がした。
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