第3話 三角デート

 午後二時前。

 待ち合わせの駅に八神はまだ来ていなかった。

 切符の券売機の横の壁によりかかって腕時計を気にしている妙に目立つ男子がいた。それが桐谷(きりや)だった。遠くにいても左右不揃いな髪型で一発でわかる。

 こいつは、八神に告白して今日の展覧会に誘った命知らずのバカ男子だ。

 周りにバカをしらしめたいのか、このうだるほど熱い季節にスーツなんか着ていた。

 桐谷は俺を見ると、

「うわっ、君か!」

 と飛び上がった。

「……本当に来たんだね」

「来て悪かったな」

 俺が睨むと桐谷は亀のように首をすぼめた。

 どうやら俺が来ないことを期待していたと見える。

 そうは行くか。

 しばらく駅を出入りする人を無言で見送っていると、

「暑いなぁ」

 額からだくだく流れ落ちる汗をハンカチでぬぐいながら桐谷がつぶやいた。

「あたりまえだろ」

「今日は気温が高いからね」

「そうじゃないだろ」

 俺は目を細めて桐谷のグレーのスーツを見る。

 ビーサンにティーシャツ、短パンとラフな格好の俺とスーツ姿の桐谷はこいつらいったいどこに行くんだろうという謎な雰囲気を産み出していた。

 桐谷が首に食い込む蝶ネクタイを少しゆるめて扇子でパタパタあおぎはじめた頃、ようやく八神が参上した。

「おまたせ~。ごめんねおそくなって」

 俺は唖然とした。

 なぜだ。

 おかしいことに八神が普通の女子に見える。

 膝より上の白いワンピース。涼しげなレースがひらひらついていて完璧に女子だ。

「おはよう柿沼くん。どうかしたの?」

 下から八神にのぞきこまれて俺は顔をそむけた。

「どうもしねぇよ」

 熱中症になったか。頭がやられてる。

 いつもの白衣を着てないだけなのに。白衣を!

 暑さにまいっておかしくなってるんだと俺は自分にそう言いきかせた。


 展示会のある会場は駅から歩いて十分ほどの場所にあった。

 会場の入り口までくると、意味ありげに桐谷が俺を振り返る。

「柿沼くんはここで並ばなくちゃならないんだよね。どうする? 八神さんと僕は先に中に入ってようか」

「なんだと?」

 俺の表情を見て桐谷が入り口横にある入場券の金額表示を指す。

 大人、千六百円。学生、千円。

「これはどういう意味だ」

「僕が持ってるチケットは二枚しかないんだ」

 桐谷は残念だ、と作り笑いを浮かべた。

「俺だけ自腹かよ!」

 こいつ、殴ったろうかと俺は拳を握った。

 気配を察知したのか、桐谷は一歩飛び跳ねるようにさがりながら苦笑する。

「あたりまえだろう? 僕は八神さんにチケットあげたんだからね」

「ま、まじか……」

 それは予想してなかった。

 うすっぺらい黒財布に紙幣が入っているか確認しようと広げると、百円玉数枚と少しの小銭しか入っていなかった。

 ここまで来て、すごすご一人で帰るのはダサすぎる。

 だが、桐谷には絶対に貸しを作りたくない。 

 財布をぱったりとじて俺は桐谷を睨んだ。

「なにがチケット持ってるだこのヤロウ。最初からそのつもりだったんだな」

「君がどうしてもついてきたいっていうから承諾しただけじゃないか」

「ケチケチしてっと八神に嫌われるぞ」

「うっ」

 八神に嫌われる、のフレーズが思わぬ効果を発揮したらしい。

「……わかったよ。仕方ないな」

 ついに、観念したような桐谷の声がした。

 顔をあげると桐谷が渋々俺に向かってチケットを一枚差し出していた。

「サンキュー」

 と言って、俺は桐谷からチケットをひったくった。

 やっぱり三枚持ってやがったな、こいつ。



 会場に入ると、冷房がきいていて汗だらけになっていた俺は天国に来た気分になる。

 一番はじめのコーナーは、人間の進化がテーマのようで類人猿のリアルな模型や解説が展示されていた。

 八神と桐谷が前を歩く半歩後ろを俺は歩いた。

 こうやって歩いていると、八神と桐谷がカップルに見える。そうなると、俺の存在はどう見ても邪魔者だ。

 もともとこの展覧会は、桐谷が八神を誘ったものだし、俺は関係なかったのだからあたりまえといえばあたりまえではある。

 八神の普通すぎる後ろ姿を見ながら考える。

 異常なのは俺の方なのか……?

 だが、忘れてはならない。

 メスや硫酸を持ち俺を追いかけ回してきた八神を。

 どう考えてもあれは普通の女子がすることじゃない。

 やばいことに今の八神を見ていると忘れそうになる。

 油断するな。

 油断したら殺られる。

 展示の中にはけっこうグロテスクなものもあった。

 俺たちは『人体の解剖』のパネルのついた入り口で立ち止まる。

 そこから先に入るには年齢制限があった。

 十二歳以下の方は控えるようにとのこと。

 無論、高校生の俺たちには関係ない。

 だが桐谷は一番先に入って、一目で中のモノを見て引き返そうとした。

「あの辺のはあんまり見たくないな……」

 桐谷が手で目の前を覆う。

 俺は桐谷が背を向けている向こうに立っているリアルな臓器を身につけている人体模型に目を移した。

 たしかに見ていて気持ちのいいものではない。

「え~見たいよ。いこう、いこう」

 興味津々の八神は明るくそう言って、ぐいぐいと俺を引っ張る。

「悪いけどぼくは遠慮しておくよ……気持ち悪くなってきちゃった。うえっ」

 吐く寸前の青白い顔をして、桐谷はトイレの方角に走って行ってしまった。

「……大丈夫か、あいつ」

 八神と同じ人体の解体の本を読んでいたから、その手のことが好きなのかと思ったが、あれは八神の気を引くための演出だったらしい。

 災難だなと俺は人事に思う。

「すごい、すごい、すっ~ごい!」

 俺の隣で八神がはしゃぎ出した。

 小学生(ガキ)みたいにあちこちを指さしては、俺にそのいちいちを報告してくる。

「この心臓、すっごい本物みたい! ぶにぶにしてるよ~」

 台の上に吊されている握りこぶしほどの心臓の模型をぐにぐにと八神が握る。

 その赤い心臓の色も形もあまり見ていて気持ちのいいものではない。

「そうかよ」

「心臓ってね、人が生まれる時に一番最初にできる臓器なんだって!」

「そうかよ」

「う~ん、柿沼くんの心臓はこの辺かなぁ」

 ぴとりと八神の指先が俺の左胸のあたりをさした。

「それともこの辺?」

 俺は八神の手をふりはらった。

 ふと気になったことができて口を開く。

「……八神、まだ俺を解体したいとか思ってんのか?」

「う~ん」

 八神は人差し指を自分の顔にあてて首をかしげる。 

「なんだ、はっきりしねぇな」

「あ! そうだ。そういえば桐谷くん戻ってこないけどどうしたのかな?」

 確かに言われてみれば、桐谷がいなくなってからだいぶ時間がたっている。

 それよりも驚いたことは、八神が他人の心配をしてるってことだ。

 俺を追い回してくる時は人の心配の「し」の字もなかったのにどういうことだ?

「わたし、見てくるね」

 歩き去る八神の後ろ姿を見送りながら、俺は違和感を感じていた。

 いつもの八神とは何かが違う気がする。

 待ち合わせの改札で会ったときからそうだった。

 今日の八神は八神じゃない。

 妙に女らしく見えたり、桐谷を気にしたり。

 そうだ、引っかかるポイントはここだ。

 あいつが目の前にある好きなもの(臓器の模型など)を後回しにして、桐谷のところに行くというところがおかしい。

 それとも、そんなに桐谷のことが気になるってことか?

 気がくと脳味噌のはみ出た人体模型の顔が目の前にあった。俺は考えにふけるのに夢中で、人体模型と間近から視線をかわしていた。

 いつもの八神だったら……。

 その時、俺の耳に思いがけない言葉が入ってきた。

「倒れた男の子についてた子、彼女かなぁ」

「そうじゃない? キノコみたいな頭してた子でしょ? かわいいカップルだったね」

「うわっ、ここの模型きもちわる~い。入るのやめようよ」

 振り返ると、引き返していく二人の女性客が見えた。

 今の会話。

 もしかすると……。

 俺は展示の出口に向かって駆けだした。

 八神がここを離れた理由は桐谷だった。

 桐谷が倒れることを八神は予想していたのかもしれない。

 そうだとすると八神は何を目的で。

 いやに胸騒ぎがする。

『……八神、まだ俺を解体したいとか思ってんのか?』

『う~ん』

『なんだ、はっきりしないな』

『あ、そうだ。ねぇねぇ、桐谷くん戻ってこないけどどうしたのかな?』

 ……あの会話の流れからして、今は別のやつを解体したいと思ってるってことはないか?

 桐谷が本当に倒れていて、さらに意識がなかったとしたらヤバいことになる。

 油断していた。八神は桐谷を狙ってたんだ。

 いつもとは違う八神に完璧に騙された!

 そのとき突然、車の急ブレーキのかかる音がした。

 俺は、はたと立ち止まって周囲を見回した。

 横の展示の壁にかかるスクリーンに流れる映像。

 猛スピードで走ってきた自動車が人間に衝突するCG。

 ここのテーマは、『交通事故のときに人間の内蔵はどうなるか』。

「うっ……」

 全身の血の気が引いていった。

 見たくない。

 避けるように、くぐりぬけるように俺は駆けた。



「お友だちですか? トイレに行く途中だったみたいで、トイレの入り口に倒れてたんですよ」

 気分が悪そうな男子を見なかったかとスタッフに訪ねると、心当たりのあったスタッフはすぐに展示順路から外れた裏の通路に案内してくれた。

「そこの角を曲がったソファで休憩してもらっています。付き添いの女の子もいっしょですよ」

 言われた角を曲がるとすぐに、茶色いソファが見えた。

 桐谷はソファの上で頭にタオルをのせて寝ていた。八神は横になっている桐谷の頭のほうで行儀よくひざをそろえて座っていた。

 ソファの上で横になってる桐谷の方はぴくりとも動かなかった。

「柿沼くん、おそいよ」

 俺に気づいた八神が俺に向かって微笑んだ。

「おまえ桐谷に何もしてないな?」

「なにを?」

 聞き返す無邪気な顔。

「……例えば、解体とか」

「え~っ、柳沼くんってば!」

 八神が笑い出す。

「しようと思ったけどしてないよ」

「……そうか」

 しようと思ったのか。

 俺は脱力して八神の隣に腰を下ろす。

 とにかく、今寝てる桐谷はなんともないらしい。

 なんともないと思えば本当に寝ているだけに見える。

 すると、八神が急に思いがけない言葉を口にした。

「それより柿沼くん。チューしよっか!」

「は?」

 俺の目が点になる。

「チューだよ。チュー」

「は……」

 それは衝撃的でものすごい威力を持つ言葉だった。

 頭の上からめりめりと地割れが起きて脳味噌が割れそうになる。

 なんだこの振動は。

 ありえない。

「じょ、冗談だろ」

 平静をよそおうはずが、言葉がつっかえた。

 どうかしている。

 相手が八神だっていうのに動揺するなんてのは。

「うごかないでね」

 八神の一言に心臓が早鐘を打ち出した。

 まともに頭が働かない。体が動かない。

 どうしたらいいのかわからない。

 固まっている俺に八神の顔が近づく。

「ほらチュー」

 至近距離にきた八神の息がかかりそうになったその時。

 八神の指が何かをからめているのを俺の目が目撃した。

 ガラスの筒の先から飛び出た針が液体の滴を散らせる。

 それは注射器だった。

 注射器を見た瞬間、頭蓋骨をつきやぶって、頭から体液が噴水のごとく飛び出る感覚がした。 

 そういうことか。

 これなら納得できる。

 それは、コイツは普通の女子などではなく八神A子だからだ。

 そして、納得の後に沸き上がってくるのは身に迫っている脅威だった。

 俺は後ずさった。

「その液体はなんだ! その注射器、何が入ってんだ!」

「知りたい?」

 注射器をかかげていたずらっぽく八神が笑う。

「ふざけんな! そんなもんで何しようって……」

「それはチューしてからのお楽しみだよ」

「楽しみじゃねぇよ!」

 俺の声が大きかったからだろう。

 その時、八神の隣で寝てた桐谷がタオルをとって目をあけた。

 それから体を起こして、まず、八神を見て、俺を見た。

「あれ、僕……どうしたんだっけ?」

 倒れて記憶が飛んだらしい桐谷に、八神がそれまでのことを説明し出した。

 俺は何気なく聞いていたが、ふと気がついた。

 さっきまで八神が持っていた注射器が消えている。

 しかも、いつ、どこに隠したのかがさっぱりわからない。

「そうなんだ、ありがとう八神さん!」

 桐谷が八神に礼を言ってるのを聞きながら俺は、八神が方からさげている赤くて四角い鞄に注目していた。

 注射器を隠しているとしたら鞄しかない。

 八神A子、本当に侮れないやつだ。


 気がつくと、いつのまにかそばに桐谷が立っていた。

「君、この辺で退場してくれないか?」

 桐谷が意味ありげに目配せをしながら耳打ちする。

「なんでだ」

「わかるだろ。僕の気持ちは」

 ちらっと八神に視線を向けて桐谷が言う。

「もし君が助けてほしいときは協力するからさ。きみが八神さんのことを好きなのは知ってるけど、少しくらいいいだろ?」

「バカ言ってんじゃねぇ! 好きじゃねぇよっ!」

 思わず拳を固めて怒鳴ると、少しはなれたところから八神がきょとんとした表情で俺を見つめた。

 俺も八神を見た。

 こいつは倒れた桐谷には手を出さなかった。

 それなら、きっと二人だけにしても大丈夫だろう。

 ……多分。

「まぁいい。先に帰る」

 本当は八神と桐谷の二人のデートになるはずだったのを無理矢理ついてきたようなものだ。

 八神が、桐谷には無害なら来る必要もなかった。

「えっ」と声がして、八神が俺の後を追いかけてくる気配を背中に感じた。

 だが、「じゃあ僕たちはお茶でもして帰ろうか」と引き留める桐谷の声に八神の足が止まる。

 そして、八神はもう俺を追いかけては来なかった。

 展示の出口に向かい、展示物の趣味の悪い土産ものコーナーを素通りして自動扉を出ようとした時だった。

「柿沼くん!」

 後ろから呼び止められて俺は振り向いた。

 八神がスカートをひらめかせて走ってきていた。

「桐谷はどうしたんだよ」

「え~それ、誰だっけ」

 八神は「わかんない」とわざとらしく首をかしげる。

「おまえ、まさか桐谷を……!」

「うるさいからチューしちゃった」

「え……」

 俺は絶句した。

 八神が手にしていた注射器が脳裏にはっきり浮かぶ。

 俺は浅はかだった。

 今日ノコノコと人のデートにまでついてきたのは、桐谷を八神から守る意味があったのを忘れていた。

「でもだいじょうぶっ。麻酔が効いてソファでまた寝ちゃってるだけだよ」

「そ、そうか」

 桐谷を殺したのかと思っていた俺はそれを聞いて深い息を吐いた。

「でも人間って心臓が止まっちゃうと死んじゃうんだね」

「……あたりまえだろ」

 人間は弱い。体も心も。

 あたりまえのように生きている人間も、肉体はいつかは朽ち果てる。

 そういうふうに定められている。

 これを人間の運命と呼ぶのか。

 生まれてきた誰もが同じ道(プロセス)をたどるようになっている。

「運命にさからえるやつなんていねぇよ」

 俺がそういうと、八神がなぜか不審な笑みを浮かべる。

 ぷっくりとふくらむえくぼ。

「……そうかなぁ」

 八神が何に向かって微笑んでいるのかはわからない。

 わかるはずがない。

 いつも、コイツのことだけは。

 不可解はまだ続く。

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