第2話 救世主 2/2



 再び二人で同時に振り返る。外壁の中からいくつかの黒煙が上がっているのが目に映った。


 どうして? それが俺の頭に真っ先に浮かんだ言葉だった。意味が分からない。巨人は殲滅した筈だ。何よりも巨人が街に侵入できるルートは存在しない。それなのになぜ街中から煙が上がっているんだ。


「おい、カーミルこれは一体……」


「カーミル、ラーム、ニルの三名は私に付いて来て下さい!」


 ガルノラ中将が普段は聞かないような叫び声を上げ外壁に向かって走り出した。その声に反応して俺を含めた三人は後を追う。


「おい、ガルノラ。これは一体どういうことだ」


 口を開いたのはラーム大佐である。


「最悪の事態が起こりました。今から街へ向かう間に端的に説明しますので良く聞いて下さい」


 追いついた三人を一瞥し、ガルノラ中将は話を続ける。


「こちら側で大量の巨人が襲来している中で、反対側にも三体の巨人がやって来ていました。その巨人にはラファル大将、ミカエト大将、ルシエラ中将、バグマーン中将、エルミナン中将、ルル少将の六人が向かいました」


「三体の巨人に六人の将官ですか?」


 俺の口から言葉が溢れる。


 巨人一体の戦闘力は一般兵三十人分と言われているが、将官クラスになると少将一人が巨人五体分の戦闘力、中将一人が巨人十五体分の戦闘力、大将一人が巨人三十体分の戦闘力、そして元帥と大元帥が巨人五十体分の戦闘力と言われている。つまり三体の巨人に対して六人の将官で挑むというのは明らかにおかしな話なのだ。それならばこちら側にもっと人数を割くのが正しい判断だと思える。


「そうです。六人の将官が向かいましたし、私もそれが正しい判断だと思いました。その三体は明らかに異常だったのです。まず三体は鎧を身に纏い、剣を携えていました。知能のある巨人だったのです。その巨人が目視できる所まで来たとき、出られる将官は私を含め七人で、私とミカエトさんがその中で最も戦闘力の高い将官だったため私がこちらの戦場を、ミカエトさんが向こうの戦場を分担し担当する事になりました。その際私が専属部隊の実力を確かめる為に一人で良いと申し出たのです。そのため残りの五人とミカエトさんの六人が向こうの三体を相手取る事となりました。知能を持った巨人と言えど相手は三体です。私も問題は無いだろうと思っていました。しかし……」


「今、街中で煙が上がってしまっている」


 その先の言葉をカーミルが口に出す。


「その通りです。おそらく向こうの三体が将官達を破って街に侵入したのだと思われます。これからみなさんも対峙すると思いますが、見つけても真っ正面からは戦わないで下さい。おそらく私でも勝てませんので」


「ならどうやって倒すんだ?」


 今度はラーム大佐が口を開く。


「私たちはとにかく時間を稼ぐ必要があります。他の大将や元帥の準備が整うのを待つしかありません。残りの将官全員で挑むのが最適解であると私は考えています。何せもう失敗は許されませんからね。それではもう着きますからみなさん死なないように気をつけて下さい」


 外壁に着いた俺たちは門の横にあるドアから街に入った。


 目前に現れたのは壊された家々と二体の鎧を来た巨人、そしてそれに立ち向かう数十人の兵士であった。一般人はすでに避難しており被害は建物だけであるが、壊れた建物を見ると過去のトラウマが甦る。


 十五メートルほどの巨人は足の先から頭の先、そして指先まで全て鎧で包まれており、普通の巨人とは威圧感が桁違いだ。


 一体の巨人が足下から腰上辺りまでの長さがある剣を叩き潰すようにして振るう。その動きは想像以上に早く、剣は数人の兵士を巻き込み大きな音をならしながら地面を割った。


「私があの巨人を引きつけますのでみなさんは一般兵を避難させて下さい。時間稼ぎにもならないので無駄死にです」


 言い残しガルノラ中将は高く飛んだ。


「は?」


 俺の口から言葉が溢れた。


 先程は少し離れていたというのと、戦闘中だったという事もありガルノラ中将の戦いをしっかりとは見られなかった。そのため中将の力を俺は初めて目の当たりにしたのだ。中将は十メートル以上の高さまで飛び上がったのである。


 人類最強、たった一人で巨人五十体以上の力を持つ男であり、史上最年少で将官に就いた天才。大勢の人を率いるのが好きではないという理由で中将に居座っているがその実力は噂されている通り元帥クラスだと実感する。


 一体どこの世界に跳躍しただけで十メートルも飛べる人間がいるというのか。大元帥が現役の時であってもそこまでの身体能力は持ち合わせて居なかっただろう。それほどまでにその動きは人間離れしており、本当に同じ人間なのか疑問に思うほどだ。


 ガルノラ中将は跳躍の勢いのまま民家の屋根を経由して片方の巨人の肩に飛び乗った。気付いた巨人は掴み掛かるがすでにそこに中将の姿は無く、巨人の首にある鎧のつなぎ目から血が吹き出る。普通の巨人ならばこれで決着が着いていただろう。俺自身も心の中で勝ったと思った。しかし、鎧を着た巨人はそう簡単には倒れない。


 血はすぐに止まり、巨人は何事も無かったかのようにガルノラ中将を探す。


 巨人の構造は人間と酷似している。唯一違うのは脳が異様に小さいという事だ。そのため首筋から血が吹き出るほどの傷は重傷となる筈である。その常識がこの巨人には通用しないのだ。


 鎧を着て剣を扱う知能があり、首筋を斬られても物ともしない。未だかつて見た事も無い巨人だ。だがやはりこの巨人に六人の将官がやられたというのは信じられない。


 戦闘力だけで言えば俺は大佐クラスであり、プラス中尉という前線に駆り出されやすいポジションや恨みから巨人を積極的に倒しにいっていたからこそ討伐数トップという肩書きを持っているが、そんな俺ですら戦闘力は大佐止まりなのだ。


 将官クラスになると一人一人の戦闘力は跳ね上がる。もちろんグリム少将のように銃撃などの援護や多対多の戦闘を得意とする将官も存在するが、将官の殆どは一対一で圧倒的な強さを誇る。


 特にミカエト大将は二メートルほどの特大剣で相手を薙ぎ払う豪将として有名だ。そんな人達がいくら相手が知能の持った巨人とはいえ負けると思えないのだ。事実、今ガルノラ中将は巨人を圧倒している。ガルノラ中将が将官最強だとしてもミカエト大将もそれに迫る実力を持っており、戦力的には六将官の方が数段上だ。


 一体なぜ将官達は負けてしまったのか。ガルノラ中将の戦いを見て考える。中将は時間稼ぎを目的としているため積極的に攻撃をしにいったりはせず、常に一定の距離を置き、巨人の気を引き続けていた。


「助けてくれ!!」


 唐突に街中に悲鳴が響いた。


 ガルノラ中将以外の三人がその発生源を探す。声の主は一人の市民であった。


 俺たちが向かおうとしている軍本部がある街の中心部の方向から男は走って来ていたのだ。


 次の瞬間男が居た場所に剣が振り下ろされ血と四肢が宙を舞う。


 俺は言葉を失った。男を潰した剣の先。そこにいたのは剣を持つ一体の裸の巨人であり、その体は赤みを帯び、髪は荒れ肩まで伸びている。巨人が咆哮を轟かせる。力任せなその声は街中に響くほど大きく、まるで獣のようである。空気が揺れ、地面が揺れる。


 咄嗟に耳を押さえた俺はその声に恐怖を覚えた。体が縮こまり微かに震える。


 あれは捕食者の叫び声だ。自分が狩られる側であると思い知らされるほどにその叫び声は荒々しく力があり、相手が異質な存在であると認識せざるを得なかったのだ。


 俺を含めた三人が同時に目を合わせる。


「あいつは何だ?」


 一瞬の沈黙をラーム大佐が破った。


 全員が頭に浮かべた疑問だが、皆その答えを察していた。しかし、認めたくはなかったため声に出し、誰かが否定してくれるのを願ったのだ。


「分かっているんだろう。あれが六人の将官が負けた理由だ。悔しいが中将を援護して逃げるぞ。俺たちじゃ対処でき−−」


 話の途中でカーミルが消えた。否、巨人によって蹴り飛ばされたのである。カーミルは家を貫通しはるか後方で倒れ、俺の目の前では血管の浮き出た巨人の足が脈打っている。


 俺の額に一筋の汗が流れた。速すぎる。これほど大きな巨人の動作が全く見えなかった事は初めてであり、俺はその場から動けなくなる。


 どうするのが正しいのか。動きが見えなければどうしようもなく、圧倒的強者を前に為す術を無くした俺の思考は停止し体が固まってしまったのだった。まさに蛇に睨まれた蛙だ。


 巨人が身を屈める。顔が俺とラーム大佐の間まで降りて来て唸るような鼻息が聞こえてくる。


 考えろ。思考を止めるな。


 俺は唇を噛みながら頭をフル回転させる。


 どうにかしてこの場を切り抜ける術を探し出すんだ。相手は所詮巨人だ。今まで数えきれないほど巨人を殺して来たのだから出来る筈だ。そうだ、俺は巨人を殺す為に行きてきたんだ。


 弱気になるな。このままじゃ俺はカーミルすらも失ってしまう。自分の死を怖がるな。本当に恐ろしいのは失う事だ。


 顔を上げ、巨人を睨み、俺は浅く息を吐く。


 こんな所で止まっている場合じゃない。こいつこそ倒すべき巨人じゃないか。


 思い出せあの時の後悔を。


「俺は巨人を絶滅させる為に生きているんだ!」


 言いながら巨人を睨みつけ刀を巨人の目に突き刺した。


 目から血を流し、文字にもならないような叫びを上げながら巨人は体を仰け反らす。


「クソッタレが。これ以上俺の大切な人を殺させはしないぞ」


 半ばヤケになっていたのは確かだが、もう誰も失いたくないという気持ちと妹を殺された時の恨みが混ざり合って今までに無いほどに俺の気持ちは昂っていた。


 巨人は目に刺さった刀を抜き取り投げ捨てる。それと同時に目からは血が吹き出すが、血はすぐに止まり傷は跡形も無く消え去った。


 俺はその隙を見逃さない。巨人が刀に気をとられている隙に背後に回りもう一本あった予備の刀で左足を切り裂いた。その動きに合わせラーム大佐は逆の足に刀を滑らせ、巨人の両足から血が吹き出す。


 しかし、やはり鎧の巨人と同じく再生能力が高いらしく傷は一瞬で修復される。


「合わせろニル。足を切断するぞ!」


 ラーム大佐は両手に持った二本の剣を並列させて足首を切り、その勢いのまま回転しもう一度傷口に剣を切り込む。肉が裂け一筋の白い線が姿を現した。


「骨が見えた、行け!」


 声を合図に俺は両手で刀を緩く握りしゃがむラーム大佐の後ろから飛び出して走りながら塞がる前の傷口に刀を潜らせた。肉を掻き分けた先で骨にぶつかった瞬間、刀を強く握り巨人の足の横を駆け抜けながら全身で刀を振り抜いた。


 巨人の足からは血が溢れ、それに合わせて足がズレる。


 骨の切断に成功したのを確認し俺は小さく息を吐く。


 さすがに骨をそう簡単に再生できるとは思えない。これで俺たちの勝ちだ。そう思ったのが間違いだったのかもしれない。安堵するには早すぎ、余裕を見せるには危険すぎる相手であった。


 気を緩めた途端に目の前の巨人が消えた。いや、俺が吹き飛ばされたのだ。後方の家の壁に衝突し倒れ込んだ俺の全身には激痛が走り、意識が朦朧とする。霞む視界の先で見えたのはまるで何事も無かったかのように立ち上がる巨人の姿であった。


 その足はすでに完治しており、隣には先程斬った足が転がっている。つまり数十秒程度でくるぶしより下が生えて来たという事だ。


 化物過ぎる。


 一度は振り切った恐怖を再び押し付けられ俺は絶望する。


「……無理だ」


 俺が言葉を零すのと同時にラーム大佐も巨人に叩き飛ばされる。


 諦めかけたその時、衝撃音と共に巨人の体が宙に浮き数メートル吹き飛んだ。


「二人とも立ちなさい! 今のうちに退却します!」


 声の主はガルノラ中将であり、持っていた軍用ハンマーは巨人を弾き飛ばした衝撃に耐えきれず根元から折れている。おそらく、先に倒れた兵士の死体から貰ったのであろう軍用ハンマーだが、巨人を倒す為に鉄で頑丈に作られたそれが折れている所を初めて見た。それほどまでに中将の一撃は凄まじいものであったのだ。


 そうだ。俺たちにはまだこの人が居た。


 俺は悲鳴を上げる体を無理矢理動かし立ち上がる。


「カーミル大佐は私が連れて行きますのであなたたちは先に逃げなさい!」


 声をかき消すようにして咆哮が響いた。しかし、それは吹き飛ばした巨人の声ではない。俺の背後、ガルノラ中将がやって来た方角から二体の巨人が叫びながら飛び込んで来たのだ。


 一体は鎧を着た巨人だがもう一体は倒れている巨人と同じ血管が浮きでて赤みを帯びた巨人である。


「こいつ等は……」


「しつこいですね。逃げる準備をしておいて下さい!」


 俺とラーム大佐二人に聞こえるように大声で言葉を発したガルノラ中将は跳躍し二十メートルほど離れたカーミルの横に着地し、カーミルを肩に担いだ。


 その動きに合わせて巨人も動く。風切り音と共に赤い巨人は姿を消し、次の瞬間ガルノラ中将の居た場所に拳が振り下ろされた。地面が割れ、衝撃が地面を伝わるがそこに中将の姿はない。高く飛び巨人の肩を蹴りこちらに向かって飛んで来ていたのである。


「カーミル大佐をお願いします。あの鎧の下が先程あなた達が相手にしていた巨人なのですがあれは倒せません。余計な事は考えずラーム大佐と共にひたすら逃げて下さい」


「中将は?」


「私はここで出来るだけ時間を稼いでから離脱します」


「しかし!」


「私は逃げろと言いました。この意味が理解できますね」


「……了解です」


 三体一でその三体全員が赤い巨人であるのだからいくらガルノラ中将といえど、いくら時間稼ぎだとしてもそれは容易ではない。そのため少しでも力になれればと思い言った言葉だったが戦力外であると言い渡されてしまった。それもその筈だ。俺には巨人の攻撃が見えず、打撃で怯ます事も出来ないのだから。


 まだ俺は仲間を守りきれるほど強くは無く、守られる側であるのだ。胸に残る悔しさはどうする事も出来ない。俺は唇を噛みながらガルノラ中将が気を引いているうちに巨人の目を搔い潜って来たラーム大佐と共にその場から立ち去ろうとしたがその隣をガルノラ中将が飛んで行った。


 そのまま家を貫通し少し先で倒れ込むガルノラ中将の左手はあり得ない方向に曲がっている。


「大丈夫ですか!!」


 駆け寄り顔を覗き込むがその顔は青い。


「鎧のまま動けるとは想定外でした」


 ゆっくりと立ち上がって発したその言葉は先程とは違い酷く弱々しい。


「来ます。あなた達は右に逃げて下さい」


 その言葉と同時に鎧を着た巨人が動いた。赤い巨人ほどでは無いがおそろしいスピードで距離を詰め手に持っていた剣を振り下ろす。


 横に飛び何とか避けたが体勢を崩してしまいその場に倒れ込み、ラーム大佐は先程の怪我の影響もあり避けきれず右足を潰されていた。


 鎧の巨人は手を緩めずそのまま剣をこちらに向かって振り抜く。だが、その剣は俺の所まで届かない。ガルノラ中将が巨人を右手で殴り飛ばしたのである。


 そしてそのまま俺の横に着地し膝をつく。


「今ので右腕も死んでしまいました。申し訳ありませんがあなた達を守れそうにありません。大佐二人をここで失うのは宜しくない。私が一番時間を稼げるので私が殿を努めますからあなた達は出来るだけ遠くに逃げて下さい」


「……了解です」


 黙って従うしか無かった。ガルノラ中将が生き残るのが一番良いのは決まっている。しかし、瀕死の大佐二人に重傷の中尉一人ではどうやっても時間を稼ぐ事は出来ない。だからこそ中将は大佐二人を残すと言う判断を下したのだ。その決意を無駄にしてはいけない。


「私を超えて下さい。人々の希望になるのです。あなたならそれが出来る。これが私からあなたへ贈る最後の言葉です」


「ガルノラ中将。……有り難うございます」


 カーミルを担ぎながらラーム大佐と共に敬礼を送り、その場から背を向け歩き出した。


 右手でカーミルを担ぎ、左手でラーム大佐を補助しながらの撤退は遅く厳しい物であったが、背後から依然として鳴っている轟音が俺の限界を超えている足を動かした。


 少しずつ音が遠ざかってはいるが未だに近い。


 十分ほど経っただろうか。四百メートルほど離れた所で轟音は鳴り止んだ。ついに決着が着いたのだろう。ガルノラ中将は勝てたのだろうか。虚ろになった頭でそれだけを考えていた。


 そして地響きが近づいてくる。その正体は巨人だ。二体の巨人がこちらに向かって一直線に走って来ていたのであった。


 俺の前で巨人が止まり、後ろの地面を指差した。そこにあったのはラーム大佐の血痕であり、巨人達はそれを追って来たのである。


「ここで終わりか。……糞が。絶対に殺してやるぞ巨人ども」


 掠れ声で俺は叫んだ。


「ミゴトダ。ココマデタタカエルトハオモワナカッタ」


 俺は一瞬何が起こったのか理解できなかった。鎧を着た巨人が喋ったのだ。知能があるとは思っていたがここまでとは。


「ダガ、コチラモコロサレタ。ダカラシンデモラウ」


 巨人は剣を振り上げ、俺は静かにその場に膝をついた。



 クソッタレが。心でそう呟いて俺は目を閉じたのだった。








 数秒後、未だに剣は振り下ろされない。何故だ。俺を見て嘲笑ってるのか。しかし、決意を決めた俺を見ても面白くも無いだろう。


 ゆっくり目を開ける。


 そこに居たのは一人の女と首の落ちた赤い巨人であった。女は白と青をメインとした見た事の無い服を身にしており、その手には持つ所に布を巻いただけの簡素な刀が握られていた。


「ダレダオマエハ」


 俺の疑問を鎧を着た巨人が口にする。


「知る必要は無い」


 力強く透き通った声が戦場に凛と響き、言葉を言い終わると同時に女は動いた。ゆっくりと巨人に向かって歩き距離を詰める。


「ナラバシネ」


 巨人が剣を振り下ろした次の瞬間、その剣が半分になって宙を舞った。


 俺には何が起こったのか分からない。巨人の剣を振るスピードは異常であり俺の目には捉えきれなかった。そのため気がついた時には刀身の半分が宙を舞い地面に突き刺さる事となっていたのだ。そのため推測でしかないが、おそらく女は巨人が振り下ろした剣を刀で斬ったのである。


 正直信じられない。目で捉えきれないほどの早さで振り下ろされたあの巨大な剣を弾いたのではなく斬ったと言うのだから。大元帥様が現役の頃であってもそんな芸当は不可能だろう。


 そしてそんな事をして刃こぼれ一つしていないあの刀は一体何なんだ。


 全てにおいて次元が違う。


 巨人は折れた剣を投げ捨て女に向かって右手を振るうが、その右手も宙を舞い、悲痛な叫び声が辺りにこだました。


「痛いか? 再生も出来ないだろう。……それが境界線を越えてしまった罰だ。しかとその身で受け止めろ」


 女の言葉に俺はハッとする。巨人の右手は再生しておらず、血が溢れ続けていたのだ。先程巨人が死んでいたのは首を切断されたからだと思っていたがもしかすると再生できなかったからなのかもしれない。いや、むしろ一瞬で足が再生するほどの再生力をもっているのだから後者の方が可能性としては高いだろう。


 無事な左手で兜を取った巨人は女を睨みつけ今までで最も大きな咆哮を放った。その眼光は声も相まって身の毛も弥立つような物であったが女はそれを物ともせずに再び歩き出す。


 手負いの獅子となった巨人に躊躇いも無く近づくなんて、一体どんな生活を送ればそんな強靭な精神を得られるのか。


 向かってくる女を見て巨人は身を屈め、目にも留まらぬ早さで女に向かって飛びかかった。圧倒的質量を持った筋肉の塊が高速で女に向かって飛んで行く。


 勝負は一瞬だった。


 巨人が目の前に来た瞬間に女は跳躍し、体を捻って刀で首を切り落としたのである。巨人は一気に失速し、俺の横を通り抜け背後の家に衝突した。


 達人同士の勝負は一瞬で決まると言うがまさにそれを目の前で見た気分だ。最低限の動きと技術だからこそ速く鋭く刺さるそれはまさに理想的な戦い方であり憧れる。


「終わったぞ。境界を越えた三体の死を確認した。転送を開始してくれ」


 女は地面に綺麗に着地して刀を鞘に納めた後に懐から小さな機械を取り出しそれに向かって話し始めた。


 数秒後、女の体を青白い光りが包む。


「待ってくれ!」


 その姿を見て俺は咄嗟に声を上げた。


 おそらく彼女はこのまま消える。それは勿体ないと俺は思ったのだ。


 聞きたい事も言いたい事も何も出来ていない。何より最強の名に相応しい彼女の技をもう一度見たく、出来るなら教えて欲しかったのだ。


 ガルノラ中将にこの世界の救世主となる事を託されたのは俺だ。だが実際俺たちを救ったのは正体不明のこの女ではないか。不甲斐なさを嘆くより前に俺は強くならなければ行けないのだ。彼女のように圧倒的な力で人々を救えるくらいに。


 そうなる為の一番の近道が彼女に教えてもらう事なのだ。


 その気持ちが俺の体を動かし、俺は彼女に向かって飛びついた。


「えっ?」


 彼女の驚く声と顔を見ながら俺は彼女の脇腹に衝突し、その世界から消え去ったのであった。



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