第3話 新たなる世界。





「いって〜」


 頭を摩りながら目を開けると目の前に綺麗な女の顔が現れた。


「ん……どうなったんだ……」


 俺に続いて目を開けたその女と目が合い二人して一瞬見つめ合う。


「あらディナルちゃん。抱き合っちゃって見せつけてくれるわね。それにしてもまさかディナルちゃんが男を連れて帰ってくるなんて、あたしびっくりしちゃったわ」


 唐突に聞こえた声に反応し二人同時に横を向いた。


 そこに居たのは紺の長いスカートに白いニットの素材の長袖を着た女であり、楕円

形の眼鏡の奥にある目は優しく俺たちを見ていた。


「……っ!! いつまで乗ってるんだ早くどけ!」


 状況を把握したディナルと呼ばれる女はその綺麗な顔の頬を赤らめながら俺の腹を蹴り飛ばす。その衝撃で仰け反った俺はそのまま後ろに倒れた。


 改めて回りを見渡すとその部屋では様々な機械が動いており、明らかに自分が暮らしていた世界とは異なった場所だという事が分かる。


「蹴り飛ばしてしまって良かったの。大事な彼氏でしょう?」


「冗談はよして下さいネサルさん。それよりもこの男どうしますか」


 ディナルは服に着いた埃を払った後に髪を整え、冷たく鋭い目つきで俺を睨んだ。


 その目を見た瞬間、俺の背筋に悪寒が走る。先程の戦いを見ていたためと言う事もあるが、彼女たちが決して味方と決まった訳ではないと言うのを理解したのだ。


 ここはおそらく彼女たちの本拠地であり、俺はそこに迷い込んでしまった招かれざる客だ。下手をすれば俺がやられる。


 そうだとしても、やらなきゃいけない事がある。


 俺は生唾を飲み込んだ。


「そうね。記憶を消して元の世界に戻すしかないのかしらね」


「それならそれでお願いします。では私はこれで失礼します」


「ちょっと待って下さい!!」


 敵と見なされていない事を確認し、俺は無理矢理話に割り込んだ。


 言い出すならここしかないと思い握った拳に力を入れながら口を開く。


「俺を弟子にして欲しいんです」 


「あら、あなたディナルの弟子になりたくて着いて来たの?」


 思ったよりも反応は悪くない。もしかしたら弟子にして貰えるのではないかと言う思いが頭をよぎる。


「はい。俺はどうしても強くならなきゃいけないんです」


 ネサルは少し考える素振りを取った。


「でもねぇ。そう簡単な話でも無いのよね。どうしましょうかディナルちゃん」



「どうしましょうかってそんなの決まってるでしょネサルさん。元の世界に返して終わりですよ」


「待って下さい! 少しの間でだけ良いのでここに居させて下さい。鍛えてくれとも言いません。近くで修練や戦いを見させてもらえるだけで十分ですから、どうかお願いします」


 俺が出会った中で間違いなく最強の存在であり、先程ここに来たときのような見た事も無い技術も持っている彼女に付いていれば必ず強くなる為のきっかけを得られると感じていたため俺は食い下がった。


 せっかく得た千載一遇のチャンスを逃す訳にはいかない。どんな事をしてでも俺は強くならなければいけないのだ。でなければ俺に未来を託してくれたガルノラ中将の思いを無駄にする事になってしまう。


「雑用でも何でもしますからどうかお願いします!」


「採用だ」


 自動でドアがスライドして開き一人の男が声と共に入って来た。


 長く癖のある赤色が混じった髪を黒のヘアバンドで後ろに纏め、上半身は裸であり首に白いタオルがかかっているだけである。


 強い。


 それが男に対する第一印象だった。筋肉質な肉体もそうだが彼の纏う雰囲気は明らかに一般人のそれではない。達人の纏う雰囲気ともまた違う、ガルノラ中将や元帥のような一段上の人間が纏う雰囲気だ。


 その男はこちら向かってずかずかと歩いて来て隣にしゃがみ、俺の服の襟を掴み上げる。


「こいつ俺が貰うわ」


 その言葉に俺を含めた三人が驚きを顔に浮かべた。


「何をいってるんだ貴様は。ついに脳まで筋肉になってしまったようだな」


「馬鹿女が。雑用を何でもするって言ってんだから掃除や洗濯をやらせとけばいいじゃねーか。それに何をしてでも強くなりたいって気持ちは嫌いじゃねえ。どうだ小僧、俺が強くしてやろうか?」


 男は言いながら俺の顔を覗き込む。


「貴様、私たちに与えられた使命を忘れた訳ではあるまいな。その男は明らかに邪魔になる。今のうちに元の世界へ返すべきだ」


「どうせしばらく暇なんだ。退屈しのぎくらいさせろよ。それにこんな奴一人いたって支障は出ないだろ。いざとなったら俺がこの手で排除してやるさ」


「そう言う事を言っているんじゃない。絶対に失敗は許されない使命に不確定要素を持ち込むな」


「こいつを連れてくるミスを犯したのはお前だぜディナル。失敗は許されないのならまずお前を始末しなくちゃいけないんじゃねーのか?」


「いいだろう。良い機会だからどちらが不必要な人材か分からせてやろう」


 険悪な空気が場に流れ出し、二人は睨み合う。


 俺の申し出が原因の話であるだけに少し申し訳ない気持ちになるが元の場所に戻るつもりも無いので出来るならばこの男に勝って欲しい。


「はいそこまで。ディナルちゃんもカラチくんも喧嘩しちゃ駄目よ」


 手を叩く音と共に穏やかな声で話し始めたのはネサルである。


「今回はカラチくんに任せる事にするわ」


「本気ですか?」


「ほらな。俺の方が正しいんだよ」


 再び二人は睨み合う。


「やめなさいって言ってるでしょう。彼を元の世界に戻すにしてもまた転送を開くと少なからず影響もあるでしょうし、それにこの世界に干渉した人間をすんなりと戻す訳にはいかないわ。最初は魂を浄化して戻そうかと思ってたけどカラチくんが預かってくれるなら丁度良いの」


「しかし……」


「わがまま言わないの。でもカラチくん、何かあった時はあなたが責任を取りなさいね」


「了解。そんじゃ行くぞ小僧」


「は、はい!」


 俺は立ち上がって部屋を出て行こうとするカラチの後を付ける。


「あ、カラチくん。その子の部屋は取りあえず一階、階段横の物置にしておいてちょうだい。あそこならそこまで物も多くないでしょうし少し片付ければ生活できるスペースはあると思うわ。それとこの船の説明と他のメンバーの紹介も任せるわね」


「そこまでしなくちゃ行けねーのかよ」


「あなたが言い出した事でしょ?」


「分かったよ。んじゃ付いて来い」


 そうして俺はカラチに連れられて部屋を出た。


 ドアの先に続く廊下の壁は青く、膝丈くらいの場所には白い線が一本通っている。


「こっちだ」


 扉を出てカラチは左へ向かう。歩く途中には白い扉が点々としており、その中の一つである少し先にある扉が開く。


「あぁ、カラチ。御機嫌ようだ。こんな所で出会うなんて奇遇だな」


 光沢のある深紅のドレスに黒の薄い上衣を羽織っている小さな少女が、ヒールの踵をコツコツとならしながら部屋から出て来た。肩まで伸びた髪はブロンドで、目は透き通るように青い。


「何が御機嫌ようだ。俺がこいつとここを通る事が見えていたから様子を見に来たんだろうが。早く用件を言え」


「ほんとせっかちな奴だ。わたしは君には用は無い。用があるのはお前だ少年」


 その青い瞳が俺を捉える。


「俺ですか?」


「そう君だ少年。名前は何と言う」


 その容姿や声とは裏腹に言葉遣いや纏う雰囲気は大人っぽい。


「ニルです。ニル・サラドエル」


「なるほど。覚えておこう。ではわたしはこれで失礼するよ」


「それだけで良いのかイウラナ」


「十分だ」


 出て来た部屋に戻ろうとする少女イウラナに向かってカラチは声をかけたが、イウラナはこちらを向かずに一言だけ発し部屋に入って行った。


 素っ気ない態度だがイメージ通りといった印象だ。気難しい性格なのだろう。不思議な雰囲気もあるためこれから同じ場所で生活するとなると大変そうだ。


「という訳であいつがイウラナ・ウィッカだ。この船の中でも異質な存在だがネサルを除けば最も頼れる奴だから何か困った事があったらあいつに縋れ。他の奴らも後で紹介してやる」


「俺よりも小さい少女なのにそんなに凄い人なんですか?」


 イウラナの戻った部屋の扉を見ながら俺は質問を投げかける。


「あいつは魔術で自分の時を止めているから若く見えるだけだ。実際の年齢はネサル以外誰も知らないが百は軽く越えてるババアだから騙されないように気をつけるんだな」


「え!?」


 その言葉に俺は驚愕する。あの少女が百歳を越えていると言う点もそうだが、それよりも魔術を使えるという点に対して俺は驚いた。なぜなら元居た世界では魔術は失われた技術だとされており、現在では幾つかの文献が残っているだけであるからだ。


 まさか俺の世界では幻だった魔術を扱う人間がこんなに簡単に見られるとは思わなかった。どうやらここに来たのは正解だったようだ。


 数分後、二つほど階段を昇った先の扉の前でカラチは立ち止まる。


「ここがコントロールルームだ」


 扉の先に広がっていたのは青い空と広大な大地、そしてそこに聳える巨大な金の天秤であった。


 辺りを見回すとそれがガラス越しの風景である事が分かった。入って来た扉のある壁から半円を描くようにして部屋の半分が巨大なガラスとなっているのである。ガラスの近くには操縦席が三つ、そして広い部屋の中心には長方形のテーブルが置かれ数人の人間がそれを囲んでいた。


「あの…ここは……?」


 俺は驚きながら言葉を漏らす。


「言っただろう。コントロールルムさ。ここでこの船の操縦とあの天秤の管理を行っているんだよ。……面倒だから全部教えといてやるよ。こっちに来い」


 再びカラチに連れられ俺はテーブルの元へ歩く。


「見ろ」


 テーブル上には様々な数字が映像として映し出されており、その中心に48.4%と51.6%の二つの数字が一際大きく表示されている。


「今俺たちの居るこの世界はランスーバって呼ばれているんだが、この世界は全ての次元の人間と人間以外の生物のバランスを管理する世界だ」


「バランスを管理する世界」


 外に聳える天秤を見ながらその言葉を噛み砕くようにして俺は呟いた。正直意味はさっぱり分かっていないが、全てが俺の知る世界とは違っているのだから言い出したら切りがない。


「そうだ。そしてそのバランスを表しているのがあの天秤で、テーブルに映し出されている数字は天秤の傾きをパーセントに直した物だ。もし人間の数と人間以外の生物の均衡が崩れるとあの天秤は大きく傾き、関わる全ての次元に甚大な影響を及ぼすと言われている。だから俺たちはそのバランスを崩さないように様々な世界に飛び、人間の数がこれ以上減らないようにしているんだよ」


 唐突にとんでもない事を言われたような気がする。難しい事は分からないが要するに彼らはこの世界に繋がる全ての世界を守っている訳だ。


 結局よく分からない。と、いうよりも話が飛躍しすぎている。圧倒的な力を持った集団が次元の違うあらゆる世界を飛び回りこのランスーバを守っていると言われて誰が納得するだろうか。まさにフィクションの世界だ。だがしかし、現実に俺はそれを目の当たりにしている。


 どうやら俺は想像していたよりも凄い人について来てしまっていたようだ。


「でもなぜあなたたちがそんな事を?」


 頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出す。


 彼らは何故そんな事をしているのか。もちろん、誰かがしなければ行けない事ではあるが、話を聞く限り彼らもこの世界ではなく他の世界の人間だ。ならば何か理由がある筈だ。


 偶然この世界を見つけただとか、自らの世界に異変があったためその原因を探しただとか、何かしら起因となる理由があるだろうと考えたのである。


「命令されたからさ。ネサルは俺の上司だからな。あいつには逆らえない。それに他の世界に飛んで強い奴と戦うのは悪くない。まあそんな事は今はどうでも良いんだよ。次行くぞ」


 自分の吐いた言葉を鼻で笑い、カラチは部屋の出口に向かって歩き出した。


 俺の求めていた答えとは方向が違ったが、カラチの言った言葉にはまた新しい情報が含まれていた。出来れば詳しく聞いてみたいが、自ら話を切り上げたと言う事はおそらくその辺りはあまり詮索されたくは無いのだろう。


 残念だが俺は先を行くカラチを追ってコントロールルームを後にした。


 階段を降りた先でカラチは立ち止まる。


「ここがお前の部屋だ。好きに使っていいぞ」


 そう言ってカラチが開いたドアの先には五畳ほどの部屋が広がっており、大量の女物の洋服が四方にあるポールに掛けられている。


「この洋服は?」


 中に入って辺りを見回すが大量の洋服を片付けるようなスペースは見当たらず、ここで生活するのは少し困難だ。ここを好きに使っていいと言われても逆に困ってしまう。


「ん? あぁ、クフースキの服だな。あいつこんな所に服置いてたのか。……丁度いい、今から聞きにいくか」


 また新たな名前がカラチの口から出てきた。


 一体この船には何人の人間がいるのだろうか。そしてその全員が並外れた力を持っていると思うと頼もしいが、同時に恐ろしくもある。


「あなた……誰……?」


 不意に背後から声がして俺の肩が跳ね上がる。


 振り返った先、ドアの前に立つカラチの後ろに立っていたのは一人の少女であった。髪と瞳は黒く背は低いため幼さのある顔つきと相まって十歳ほどに見える。


 この少女がクフースキなのだろうか。


「何だお前か。自室から出てくるなんて珍しいな。どうしたんだ?」


「……知らない……気配……したから」


 可愛らしい声だが小さく途切れ途切れなため聞き取りづらい。

カラチの話を聞くに、おそらく彼女はクフースキでは無いのだろう。本当にこの船は人が多い。


「丁度いい紹介しとくぞ。えー……ニルで良いんだったな?」


「はい。ニル・サラドエルです」


「だそうだ。今日から俺の弟子になるからよろしくしてやってくれ」


「……契りは……どうする……の?」


 言うと同時に少女は首を傾げる。


「契りはまだいい。その時になったらこっちからお前の部屋を訪ねるさ」


 契り。会話の中に含まれるその単語は魔術か何かだろうか。分からない事が多すぎて困る。


 駄目元でもいいから聞いてみるか。


「あの、契りって何ですか?」


「……まだ早い気もするがまあいいか。説明しといてやる。こいつの名前はストラと言って他の世界からネサルが連れて来た特殊な女なんだ。ストラと契約した人間は内に眠る力を解放する事が出来るが制約としてストラに魂を奪われる。それが俺たちの力の秘密だ」


 言われて俺はステラを見た。


 あっさり告げられた力の秘密は思ったよりも重い。


 魂を差し出す事で圧倒的な力を手に入れる事が出来る。その事実を俺に教えてくれたと言う事は、いずれは俺も契りを行う事になるのだろうか。もしかすると力を得る為にそこまでする覚悟があるのかと試されているのかもしれない。


「魂を奪われて大丈夫なんですか?」


 俺はまず解決しなければいけない疑問を口に出す。


 魂を奪われた結果死ぬという事は見ている限り無さそうだが、俺の目的は強くなって元の世界を救う事だ。ディナルが襲って来ていた巨人を倒したからと言って、巨人が全滅した訳では無い。そのためいずれ再び襲い来るであろう巨人に対処する為にも俺は力を手にし、かつ元の世界に戻らなければならないのだ。


「大丈夫だと言いたい所だが正直捉え方次第だ。契約するとストラに魂を奪われるため死ぬ事が出来なくなるんだ。魂を持っているのはステラだから、ストラがその魂を消滅させる、もしくはストラ自身が死んだとき契約した人間も死ぬ事となる。言わば契約者はストラの眷属だ。俺たちはこの力を使いバランスを整えるのが目的だから死なないって言うのはプラスだが、結局はストラに命を預けるって事だからな。お前に取ってはプラスにはならないかもしれない。まあ、今はまだ契約しても肉体が耐えられないだろうから気にしなくて良い。だが俺の元で力を求めるならいずれは選択する時が来るだろうから頭の隅には置いておけ。んじゃそれだけだ。クフースキの元へ行くぞ」


 言い終わりカラチは歩き出す。


 気がつくとストラの姿もそこにはなく、契約に対する若干の不安を覚えながら俺はカラチの後を着いて行った。


「ここだ」


 俺の部屋(仮)と同じ階の突き当たり、どうやらそこがクフースキの部屋のようだ。他の部屋とは違いその部屋だけドアの横にプレートが貼付けられており、ご丁寧にクフースキと名前が書いてある。


 ふと、頭の中に一つの疑問が浮かぶ。何故俺はこの世界で普通に話ができ、字が読めているのだろうか。もちろん、俺の世界と同一な言語だと言う可能性もあるが、これだけの技術や力を持った集団なのだから誰かの力で言語を統一していると言う可能性の方が高いだろう。しかし、そうなると俺は元の世界に居た時からディナルの話を理解できていたため全ての世界で言語を翻訳できるという事となる。


 それはそれでまた桁外れな能力であるのだが、あり得ないとも言えないのがこの世界と彼らだ。


 取りあえずこれも聞いてみようか。


「あの……」


「ん? 何してんのあんた。どいてくんない? てかそいつ誰?」


 目の前のドアが開き、俺の声を遮るようにして若干低めの女の声が聞こえて来た。


 部屋から出て来たのはすらっとした髪の長い女性であった。茶色い髪はウェーブがかかっており、肩の出た紺のワンピースと踵の高い変な靴を履いている。


 真っ赤な唇が印象的で、漂ってくる甘い香りは咥えている葉巻のような物からなのか彼女からなのかは分からない。


「おう、クフースキ。お前に用があったんだ。階段横の倉庫、今日からこいつの部屋になるからあの服どかせ」


「はぁ? だから誰よこいつ。それにあそこはあたしが使ってんだから他の部屋にしてよ」


 クフースキの声がワントーン高くなる。


 しかしながら、クフースキがこんな派手な女性だったとは思わなかった。何となく名前の印象からおしとやかな雰囲気かと思っていたが、いざ出会って見ると名前通りの女性だと思えるから不思議だ。


「こいつは俺の弟子で、部屋はネサルが決めたから黙って従っとけ。そもそもあそこはお前の部屋じゃねぇよ。早く服どかせ」


「えー。何でこんな奴の為にあたしが譲歩しなきゃいけないのよ。あたしが先に使ってたんだからあんたたちがどっか行ってよ。てか弟子取るなんてあんたついに頭いかれちゃったんじゃないの。他の人間を住まわすなんてディナルが許す訳ないじゃん」


「その辺は全て解決済みだから早くどかせ」


「マジで? 何であたし抜きで話し進めてんのよ」


「何でお前ありで進めなきゃいけないんだよ。それに勝手に使ったお前が悪いんだろ。ネサルの決定は覆らないんだから諦めろ」


「だからあそこはあたしの部屋なの! あーもう最悪。分かったわよ移動させとけばいいいんでしょ。でもあたしもやる事あるから今日中は無理」


 諦めたように頭を掻きながら、クフースキは細い葉巻のような物を吸って小さく煙を吐き出した。


「んじゃニル。お前今日は俺のトレーニングルームに泊まってくれ」


「あ、はい。俺は何処でも」


 話し合いと呼べるのか分からないぐらい一方的であったが、どうやら俺の部屋はあそこに決まったようだ。正直、俺は押し掛けた余所者な訳だから若干の申し訳なさも感じているが、強くなると言う目標の為にはそれぐらい面の皮を厚くしていかなければいけないだろうとも思う。


「で、あんた名前何て言うの?」


「ニルだ。よろしくしてやってくれ」


 俺が答える前に何故かカラチが答えてしまったが、クフースキとのやり取りで何となく彼の性格が分かって来たような気がする。


「あんたには聞いてないわよ! まったく、それで名前は?」


「ニル・サラドエルです。これからよろしくお願いします」


「あたしはクフースキ・ミル・コーネストよ。よろしくね」


 差し出されたクフースキの白く細い手を握り返し、俺は小さくお辞儀をした。その手と俺に向けられた彼女の笑顔はとても優しく、派手な感じの女性だがとても良い人なのではないかと思える。


「そんじゃ次行くか。後一人だからさっさと終わらせるぞ」


「行ってらっしゃ〜い。これから頑張ってねニルくん」


 こちらに向かって小さく手を振るクフースキに再び軽いお辞儀をして、カラチと共にその場を後にした。


 廊下を歩きながらそう言えばと思い俺は口を開く。


「あの、カラチさん。さっき聞きそびれたんですけど言葉が通じるのも誰かの能力なんですか?」


「あぁ、言ってなかったな。ネサルが全ての世界の言語を繋いでいるんだ。ちなみにお前、元の世界で怪我を負ったか?」


 言われて俺はハッとした。そうだ。俺は傷を負っていた筈だ。必死になってディナルに着いて来ていたため意識する事を忘れてしまっていたが確かに俺は重傷を負っていたのだ。その全てが服も含め綺麗さっぱり治っている。


「……傷が全て治っています」


「それもネサルの力だ。他の世界から召喚を行う際に全て直しているらしい。だから他の世界で体に重傷を負っても、例えば腕が千切れたとしても元に戻るんだ。魂は死ななくてもその魂に合う体はこれ一つしかないからな。まあ俺達がそこまでの怪我を負う事なんてまずないが……と、居た居た。よお、ルキル!」


 カラチの視線の先には広間があり、そこの椅子に一人の男が座っていた。


 手にマグカップを持っているその男がおそらくルキルと言う名前なのだろう。黒い髪は腰まで伸びていて体は細く、どこか哀愁の漂う絵になる優男といった印象であったが纏う空気はやはり異質。また、カラチに着いて歩いて行き、丁度ルキルと三メートルほどの距離になった瞬間、鋭く張り詰めた威圧感が俺を襲いルキルの印象が一変する。すぐにそれがルキルから放たれる殺気であると理解し、俺は身構えた。


 依然として殺気を放ち続けるルキルを俺は凝視する。まるでいつでもお前を斬り殺せると言われているようであり、ルキルの姿を見失わないように必死だったのだ。


 一瞬たりとも気を抜けず、圧倒的力量差を感じさせる殺気が俺の神経を磨り減らす。頬を汗が伝うのを感じるが拭く余裕はなく、俺はゆっくりと手を腰に向かわせた。


「やめろルキル」


 その言葉で緊張の糸が切れる。声の主であるカラチは俺とルキルを交互に見て大きく溜め息をついた。


「お前の悪い癖だぞ。ここに居るときくらいその殺気を収めろ」


「悪いのはお前だカラチ。弱い奴を俺に近づけるなといつも言っているだろう」


 状況を理解した俺は自らの腰に刀がなかった事を思い出し深呼吸をする。


 正直生きた心地がしなかった。握っていた訳でもない右の手のひらは汗で湿っていて、緊張が残っているのか未だに指先が軽く震える。底知らぬ強さ。カラチの時にもそれは感じていたが殺気として当てられるとさらに実感させられる。


「まあいい。紹介しとくぞ。俺の弟子になるニルだ。この船をうろつく事になるが間違っても殺すんじゃねぇぞ」


「それはそいつ次第だ。不用意に俺に近づけば攻撃するし、それで死んだらそいつが弱すぎただけだ。俺には関係ねぇ」


「おい、ルキル」


「面倒くせぇな。知らねーって言ってるだろ」


 言いながらルキルは立ち上がり、脇に置いてあった刀を手に取った。


「文句があるならそのガキに言え。俺は弱い奴は嫌いなんだ」


 後ろ手に手を振りながらルキルは階段を下って行き、俺はようやく突き刺さるような殺気から解放される。


「あんな奴だが刀の腕はこの船で一番いい。さっき腰に手をやったって事はお前も刀を使うんだろ? ならあいつに教わってこい。純粋な強さなら俺がどうにかしてやるが技術は無理だからな」


「……はい。頑張ります」


 もちろん今の実力ではルキルが話も聞いてくれない事は分かっている。だからこそ俺は頑張ってまず力を得なければならないという事だ。やる事が多いが、輪郭が見えて来ただけでも前進したと思っていいだろう。


「これで今紹介できるメンバーは全員だ。数人戦闘に出ているがそれはまた今度あいつらが戻って来たら紹介してやる。だから今日はもう休んどけ。あと、さっき話してたトレーニングルームはこの通路を真っ直ぐ行った突き当たりにあるから好きに使っていいぞ」


 俺の肩を軽く叩き、カラチは来た道を戻っていく。


「あ、え? あの、特訓は?」


「悪いが俺もやる事があってな。特訓は明日からだ。じゃあな」


 出来れば今すぐにでも稽古をつけて貰いたい所だが、やる事があると言われれば素直に従うしかない。それに、俺がまだ真にこの船の一員となった訳ではない事を考えると、下手をして機嫌を損ねる事も避けなければいけなかった。


「拾ってくれてありがとうございます。これからよろしくお願いします」


 唐突ではあったが、俺は言いながらカラチの背中に向かって頭を下げた。言葉の中に秘める思いは情熱。一分一秒でも早く強くなりたいというその熱意が少しでもカラチに伝わればと思ったのである。


「おう。頑張れよ」


 カラチは一言だけ言葉を返し、歩きながらルキルと同じように後ろ手に手を振ってその場を後にした。


 その態度からは俺の気持ちが伝わったのかどうかは分からないが、今やれる事は全てやったと言っていいだろう。


 仕方がない今日はこれで終わりだ。と思い、俺は言われた通りに突き当たりの部屋に入り、様々なトレーニング器具が並んでいる先の小さなスペースに座って一息ついた。


 伸びをすると自然に欠伸が漏れ、意識が完全に緩んだのか疲れがどっと押し寄せてくる。


 今は何時なのだろうか。辺りを見回すが時計はなく、そもそも時間の概念はどうなっているのかと言う疑問が新たに生まれた。しかし、考えようにも頭が働かない。


 俺は腕を枕のようにして横になった。


「しかし疲れたな」


 息を吐きながら小さく呟き、激動の一日だった今日を振り返る。


 巨人の襲撃から始まって、ガルノラ中将に託された思いを胸にディナルにしがみつき何とかここまで漕ぎ着けたが、これで正しかったのだろうか。この道を進めば俺は本当に強くなって仲間の元へ戻れるのだろうか。


 焦りと不安が胸中で渦巻くがどうする事も出来ないのも事実だ。今は信じてがむしゃらに頑張るしかない。


 そうして、眠気に飲み込まれるようにして俺の一日は終わりを迎えたのであった。



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