世界の天敵
だからアタシは彼女たちの前で、獣のように歯を剥きだして言った。
切断された魔王の体に歩み寄る。
もう心に動揺はない。
封印装置に囲まれたテーブルには胴体と、鉄製らしき箱がいくつも置いてあった。
多分、魔導具だろう……その一つを開けてみると予想通りだった。
彼の……魔王の手首が入っていた。
箱から取りだして胴体の横に置いた。
封印装置が甲高い音をだしたが、それには構わず次々と箱を開けてテーブルに置く。
やがて魔力の許容限界を迎えたらしい装置は、大きい光を一回放ったあとに停止した。
解体されたすべての体をテーブルに並べた。
私はその中から、魔王の頭を、顔前まで持ちあげた。
そして、見つめる。
…………。
炎のような瞳は抉られ、頭髪も無残に刈り切られている。
しかしその表情は安らかなものであった。
生前と変わらずに美しい相貌だったのだ。
ああ……と、溜息がもれた。
「こんなになってまで……辛かったよね……苦しかったよね……私の分まで戦ってくれて、ありがとう……」
魔王の頭を抱きしめ撫でて、ようやく実感することができた。
彼は本当に死んでしまったのだと……。
涙はでなかった。
ただ、自然の摂理に従う、冷酷な獣の諦観だけがあった。
もう私には十分だ、生きていくために別れを告げよう。
「……私はあなたを愛しています」
彼は何も応えない……そして私も、それ以外にかける言葉を思いつかなかった。
魔王と、口づけをした。
彼との最後の口づけ。
冷たい唇だった。
途端に光が……魔王の頭が、切断された肉体が光を放ち始める。
私が驚いたのは一瞬だった。
光はやがて直視できないほど眩しさを増し、臨海を超え炎へと変化した。
魔王の体が光り消滅し、赤い炎が舞いあがったのだ。
あまりにも幻想的な光景であった。
愛するべき者の死と消失を一時的に忘れさせるほどに。
炎は私の周りで踊るように回転する。
そうして、私の体に触れると溶けるように入り込んでくる。
ただならぬ状況……しかし恐怖も不安も感じなかった。
変化はそれだけではない。
大広間に置かれていたすべての魔族の体が光りだしたのだ。
様々な色だった。
同じ色は一つとしてない。
だけど、どの光も美しくて暖かいと感じた。
万華鏡のような光はすべて私に集い、私の肉体に入ってきた。
その感覚はお母さんたちに抱かれたときに感じた優しさ似ていた。
やがて、あるビジョンが見え始める。
私は光に翻弄されるように、唯々それを見つめた。
ああ……視える、と。
魔族の知る世界の始まり。
太古から受け継がれ紡がれてきた記憶……一人一人の因子に刻まれたそれはまるでパズルのピースのよう。
一つのピースでは何も見えはしない。
でもバラバラのピースが数多く集まれば、やがて描かれている絵を認識し、知覚することができる。
魔族たちの莫大な記憶を取り込んだ私は、この世界の全体像を視ることができた。
すべての真実、何故ここまで魔族が虐げられるのかを知ることができた。
世界に都合よく配置された絶対悪という名の魔王と魔族。
そして勇者と聖女と聖剣。
これらはすべて駒である。
すべてはこの箱庭のような世界で行われている、神を語る者にとって都合のいい物語。
すべては神を語る者が用意したご都合主義のあらすじをなぞるだけの登場人物たち。
この世界は、神を語る者の望みを叶えるためだけに作られた狂った舞台装置……!
あぁ……。
魔王であるあなたは、朧げながらこの記憶を所持していた。
だから伴侶を得ようとはしなかった。
自らの血を残そうとはしなかった。
いずれ、悲劇が起きると分かっていたから。
でも私と出会ってしまった。
そして私と共に生きることを望んでしまった。
だから戦った。
定められた悲しみを止めようと、皆で幸せになろうと。
魔王……あなたは誰にも頼ることができず、一人で泣いていた昔の私と一緒だった。
どうにもならないことをどうにかしようと、この残酷な世界で必死に足掻いていたんだ。
私とあなたは性格も生き方もまるで違うのに、根元の部分ではまったく一緒だった。
だから同じ望みを持つ私たちは強く惹かれ合った。
本当にささやかで小さな願い……誰にも害されず、笑って生きていけるそれだけを欲して……。
それを奪った相手は誰……?
獣の私が倒すべき敵は……?
ああ、そう、そうだよね……。
ならば、あなた……いいえ、あなたたち。
私と共に行こう……すべてを変えるため、すべてをくつがえすために……。
獣のように噛みちぎり、食い散らかすために。
神さえも配役を用意できなかった
この私―― この箱庭世界の……本物の
一瞬で広間を満遍なくおおった影は、転がる人族の死体をすべて飲みこんだ。
それはアタシが元々持っていた能力が増幅されたものなのか、あるいは魔族特有のものなのかすらも分からない。
でも、その力の使い方だけは理解できた。
影は城の通路を洪水のように流れるといくつにも別れ、侵食し、城内を探り始める。
そして、地下の部屋に囚われの魔族たちがいることを教えてくれた。
アタシは広間からでると地下部屋へと走りだす。
一瞬見えた通路のはめ込み硝子に映った自分の顔。
黒いはずだったアタシの目は朧火のような赤い光を宿していた。
その色は血の真紅。
異変に気づいた人族の兵士たちが、寝ている者も起きだして、私の進路を塞ぐように集まってくる。
その人数は私の手足の指を足しても到底数えきれない。
しかし、何人、何十人、何百人ではなく、ただ数が多いとしか思わなかった。
城にいるすべての人族……非戦闘員と思えるのも含め、五百六十二人を把握できたが、やはり多い以外の感想はない。
その感覚は、地を這う蟻の群を見下ろすのに似ている。
だから……。
故に、魔王らしく
ためらいなく決定する。
駆けるアタシの足元から、いくつもの太い影の紐と、数多くの影の獣が生まれ現れる。
影の紐はまるで人の腕を束ねて造ったオブジェのようだった。
紐はいくつもの建物の影を基点として潜み、人族を薙ぎ払い巻きついて刺し殺し、自由に形を変えながら通路を次々と鮮血で染めていく。
同時に生まれた影の獣は人の形をそのまま四足歩行にしたようだった。
獣は通路の壁を蹴って外に飛びだすと城の敷地にいた人族に襲いかかり、噛みついて血飛沫をあげさせる。
アタシの指が宿していた闇は、大きさを増して肉食獣の爪のような形状になっていた。
突き進む前にでてくる邪魔な人族たちを切り刻んでいった。
絶叫……止まることのない叫びと、血があちこちで生じた。
地下部屋の扉の前まで辿りつく。
中に入らなくても忍び込んだ影がすべての状況を教えてくれる。
部屋に入る前に意識せずに命令をだしていた。
アタシの影はそれに応える。
途端に部屋から悲鳴がいくつもあがった。
アタシはノックなしで扉を開けると地下部屋に、こつこつと足音を立て入る。
そして、魔王らしく睥睨する。
そこには、手足の首を綺麗に切断された数十人の男たちが呻き、叫びながら床を転がり回っていた。
アタシが命じ、影さんがコンマ数秒でヤってくれました。
大勢の魔族の女たちがいた……しかし、魔族の男はいない。
鎖や縄に繋がれた彼女たちはまだ若い令嬢や侍女たちだった。
若さ故に魔力が低く、素材に……殺されずに済んだのだろう。
だがその結果は……部屋にいる者は例外なく半裸か全裸だった。
先ほど作った血の匂いに交じって酷く腐った性臭がする……何があったかは一目瞭然であった。
影さんで、人族の男たちを壁に叩き付けるように移動させた。
それから彼女たちを拘束する鎖や縄、そして魔力封じの腕輪をすべて切断した。
その際に、彼女たちの体を影の力で探って診察してみたが、致命的な怪我をしている者はいないようだ。
そう、魔族の肉体は強靭だ……体は問題ない。
だが弄ばれた彼女たちの心は……。
この状況……人族の男たちはすぐに息絶えるだろう。
アタシは……どうするべきだろうか?
思い出したのは、闇の森での命がけの
アタシは決意し、人族の物らしき武器を影さんを使いすべて回収した。
そして魔族の女たちの前に無造作に置いた。
何も言わずそれらのことを行ったアタシを、彼女たちは口を開け座り込んだまま見ていた。
裸体を隠すわけでもなく、疲弊し、呆然と声もだせずに。
やりきれない怒りに心が軋む……魔族の集合意識、彼らの激しい怨嗟の声がした。
「好きにしてください」
なにを……とは言わなかった。
アタシはそれだけ告げてまぶたを閉じる。
そう、今の彼女たちに慰めなどたいした意味がない。
自分の命だ、自分の好きにすればいい。
悲しみに心が耐えられないなら、その剣で喉を刺して自殺してもいい。
あなたたちの命なのだから、自由にすればいい。
だけど……もし、もしも生きようとする力がまだ残っているのならば……。
目の前に芋虫のように転がる、あなたたちのすべてを奪い、人としての尊厳を踏みにじり、消えない屈辱を与えた者たちを――
あああああああああっ!!
叫び声にまぶたを開けた。
そして見る……。
一人の若い娘が落ちている剣を逆手で取ったかと思うと、体を震わせながら両腕で強く握りなおし、自らの喉に振り下ろさんとするかのように高く掲げた。
そして、人族の男を突き刺した。
何度も何度も泣き叫びながら何度も執拗に……。
その姿に動かされるように、他の娘たちも次々と武器を手に取る。
彼女たちの姿は奪われるだけの弱者の者ではなかった。
その目には抑えきれない激情が宿っていた。
アタシは再びまぶたを閉じる……部屋に満ちるのは悲鳴と叫びと泣き声と、殺戮の濃厚な血の匂いであった。
どうやら、城中に残っていた人族はすべて排除できたようだ。
城の敷地一杯に伸ばした影に、人族の死体を血の一滴も残さず取り込んでいった。
「あ、あのお妃様っ!」
呼びかけられ振り返る。
彼女は……一番最初に剣を取った娘だった。
アタシは怖がらせないように微笑んだ。
十代半ばほどの少女の容姿……確か侍女だったはず。
目は涙で濁って、裸体も血や汗や様々な体液で穢されて汚れている。
しかし、それでも、強い意思が宿ったその表情はとても美しいと感じた。
「た、助けていただき、あ、有難うございます!! そ、それでその、わ、私たちこれから、どうすればっ⁉」
「ええっと……」
彼女は言いながら不安げな顔をしていく。
状況が分からないのだから当然か……。
「安心してください。すでにこの城には人族の者は一人もいません」
「へっ? え、ええっ!?」
吃り癖のあるらしい彼女の頭を、優しく撫でながら更に伝えた。
「とりあえずですね……まずは体を洗って、それからみんな同じ部屋で休息をとってください。兵士用の大部屋が使えたはずです。あなたも疲れて大変だと思いますが、できれば他の人の面倒を見てもらっても……いいですか?」
「は、はい……はい、わ、分かりましたっ!! お、お任せくださいお妃さま!!」
こくこくっ頷く侍女。
悲惨な目にあっても、やるべきことをやろうとする彼女は本当に強い人なのだろう。
しかし他の娘はそうではない。
壁に寄りかかってぼんやり宙を見あげてる者や、抱き合って泣いてる者たちもいる。
いや、普通はこんな酷い状態で動ける者のほうが少ないのだ。
彼女たちに手を差し伸べて、最後まで面倒を見てあげたいと思う。
今はまだいい。
本当に苦しいのはこの後だ。
しばらくすれば、この地獄を思い出して苦しむだろう。
少しでも彼女たちを支えてあげたい、と……先ほどは突き放すような命の選択をさせて、そんなこと考えるアタシは矛盾しているのだろうか?
わからない……勇者と戦う恐怖から逃げだしたアタシには、そんな権利が最初からないのかもしれない。
例えそうだとしても彼女たちのために……魔族のために何かしてあげたいと思うこの気持ちは偽善ではなく本物のはずだ。
そして、今のアタシが本当にやるべきこと……やらなくてはいけないことは分かっている。
「アタシはこれから城下街に向かいます。戦いになるので城に逃げ込む人もでてくるはずです。そのときは倉庫にある物資を使ってもよいので、城内に避難させてください」
「え、た、戦いって!? お妃様っ、城下街には、お、多くの兵士がいます! いくらなんでも、む、無謀すぎますっ!?」
侍女の娘は叫び、アタシの服を両手で掴んだ。
その声に、部屋にいたすべての娘が不安そうにアタシを見つめる。
じっと見つめられる……。
それが敵意や悪意の宿ったものならば笑って無視できたが、このような母犬を探す怯えた子犬のような視線には弱いです。
口が巧くないアタシは、どう説得したものかと焦りを覚えた。
そこで彼女たちを安心させるために、この体に内蔵されている(はずの)聖女印の微笑みチカラの強度を高めることにしてみた。
――あなたの不安な心を落ち着かせることに関しては定評の高いお母さんたち聖女仕込みの優しくてアットホームな雰囲気も兼ね備え今なら何と税込み特別価格の零円ですがいかがですかお客様この素晴らしい微笑みは?
ニチャァ……。
あれ……彼女たちの不安げな表情をまったく消せないですね?
何故だろうアタシがやると毎回効果がない……。
元ボッチ女には、そんなカリスマ的パワーはないのでしょうか?
よくよく考えたら旦那様がお亡くなりになっていますね……。
あれ、お一人様に現役復帰ではないのだろうか?
いや待って、落ちついてよアタシ……肩書き的には未亡人だよね? 良かった!
そんな不謹慎なことを考え、天井を見上げながら少しだけ現実逃避。
ああ、本当に不謹慎だ……でも悲しいと思う気持ちが薄いのは、彼を……魔族の集合意識を取り込んだせいだろうか?
まあ、それはそれとして……彼女たちを落ち着かせ安心させるためにも、今度は自らの戦闘力をアピールしてみることにした。
袖をまくり、腕を曲げ力こぶを作ってペチペチ。
「とにかく大丈夫です。ほらほら、見てくださいこの力こぶ、アタシは滅茶苦茶強いのですよ」
「うぅ……お妃さまぁ……」
誇らしげなアタシに対し、何故か口元を押さえ余計に涙ぐむ娘……ほんと、なんでだろう?
すっかり抱きつき侍女になった彼女の頭を撫でながら、不意に自分のおかしさに気がついた。
ドレスだ……。
純白だった婚礼衣装は、いつの間にか人族の血で赤く黒く染まっていたのだ。
ああ、これでは仕方ないな。
このような格好だと彼女たちの不安が消えるはずもない。
血塗れだけど、清楚な黒の婚礼衣装。
これではまるで、死に逝く者がまとう喪服のようだ。
だけどまあ……これから世界に仇をなそうとする魔王には相応しい格好ではあるか。
それならば悪い魔王らしく、彼女たちには別の方法で説得することにしよう。
「ええっと、一つだけ訂正させてもらってもよろしいでしょうか?」
「は、はいっ! なんでしょうかお妃様っ!?」
視線が再びアタシに集まる。
今度は迷いはない。
だからアタシは彼女たちの前で、獣のように歯を剥きだして言った。
「もうアタシは妃ではありません。ですのでアタシは彼らのことを……」
故に、この世界の人族と神、それに繋がる者どもを――
「すべて、
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